fc2ブログ

師走のカレー

2020_12_19_「大阪天神橋カレー」
2020_12_20_「サケトメシ」
2020_12_21_「なっぱ」
 気が付けば、3日連続でカレーを食して
 いましたよ。毎日でも平気なのだから、
 特筆するほどのことでもないのだけれど。
 「安倍文殊院」から帰阪した前々日は、
 京橋の「P&G」で、昔ながらのスタンド・
 カレーを食して、膝を打ちます。流行りが
 どうだろうと、“3割打者”の偉大さについて
 思いに耽る訳。地元の天満に帰ると、7月
 1日にオープンしたと覚えていながら、利用
 できていなかった「大阪天神橋カレー」に
 入店しました。“キング”と“クイーン”の
 あいがけ(上画像)を賞味。かなり辛口仕様
 という“エンペラー”は次回かな。ちょっと、
 「インデアン」を彷彿とさせる甘さが後を
 引きます。前日は、本町から西長堀を経由
 して、九条の「サケトメシ」を再訪。Hさんと
 忘年会のような格好になりまして、スパイス
 居酒屋の本領発揮。パパド付きのアテカレー
 (中画像)でお酒が進みます。カウンター隣の
 茨城県から来た二人連れと納豆談義も弾み
 ました。12月21日(月)、ラスト・チャンスか?
 スープカレー「なっぱ(下画像)の前に30分ほど
 並んだ結果、最終営業日(19~23日)はテイク
 ・アウトのみと知らされて、残念な幕切れ。
 慌てて、「ヤドカリー」に赴き、牛すじカリー
 (辛口)を頂いた後、事業所に駆け戻った
 次第です……12月も余すところ、あと10日。

続きを読む

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : カレー呑む納豆

Détente

12月20日(日)13時から、「朝日生命ホール」にて開演の
桂佐ん吉独演会」を聴きに出掛けました。Osaka Metro・
淀屋橋駅の12番出口が「朝日生命館」(同館8階がホール)に
直結していて、以前からそうだったっけ?と、今頃の発見。
チケットは「大阪新音」で入手済み。元々、東北から来阪予定
だった友人らと合流する手筈が、大阪府の新型コロナに対する
医療非常事態宣言」(12月4日発令)などもあり、キャンセル。
ひょんな成り行きから、「文学学校」時代の友人、Hさんと
落ち合う約束を交わし……思えば、Hさんと落語を聴くのは
2014年7月22日の「らも噺の会」(in 天満天神繁昌亭)以来。
前座に桂團治郎の「つる」、もう1人の客演は桂鯛蔵「二人ぐせ」。
團治郎は2014年6月21日の「それゆけ!團治郎」(in 動楽亭)、
鯛蔵は同年同月25日の「第14回鯛の学校」(in 太融寺)で、
どちらも駆け出しの頃に、初めて聴いたのよねえ、と追想。
桂佐ん吉は「いらち俥」、「たちぎれ」、「浮かれの屑より」。
「いらち俥」と「浮かれの屑より」は2018年9月29日の独演会でも
取り上げていたし、自信のある演目なのか。中入り前の大ネタ
「たちぎれ」の番頭を演じるのは本当に難しいです。煙管を2回
吸う仕草が忙しく見えてしまい、苦しかったなぁ。枕では、今回も
スーパー「ラ・ムー」(大黒天物産)此花店のでアルバイト談。
少々気になったのが、「いらち俥」にしろ、「浮かれの屑より」
にしろ、“仕方噺”とは言わないまでも、オーバー・アクションで
笑いを拾いに来たように感じられたことで、端正な話芸で一旦は
きっちりと世界を構築した上で、思い切り、崩してほしいのだけれど。

テーマ : 落語
ジャンル : お笑い

tag : 落語

安倍文殊院

12月19日(土)、近鉄・大阪線で桜井へ向かいました。2020_12_19_金閣浮御堂(霊宝館)
のんびりと午後から出発したため、桜井駅へ到着すると、
14時前でしたか。バス乗り場を探す間も惜しく、冬曇りの
空の下、「安倍文殊院」までタクシーを走らせるのでした
(乗車賃800円)。大化元年(645)、安倍倉梯麻呂の
創建といわれ、“日本三文殊”第一霊場となります。
他の2つは、「智恩寺」(京都府宮津市)の切戸文殊
「大聖寺」(山形県東置賜郡高畠町)の亀岡文殊です。
前回、「安倍文殊院」(奈良県桜井市阿部645)を
訪れたのが、2010年10月19日(ぼくの黒子時代)…
…十年ぶりの安倍文殊。文殊池に浮かぶ金閣浮御堂
(霊宝館)は以前スルーしたものですが、今回は氷雨の
降る中、「七まいり」を敢行。浮御堂の周りを時計回りに
7周しながら、おさめ札を投じて、七難を避けられるように
祈願しました(ぼく自身がどうのという欲は無くっても)。
       ☆
2020_12_19_開運招福橋 霊宝館では、室町時代の「安倍晴明公像」、
 「弁才天像」、「安倍仲麻呂公像」等を拝観
 できましたけれども、拝観料が本堂と同じく
 700円(セットで1,200円)なのが、若干疑問。
 本堂の「渡海文殊群像」が素晴らし過ぎる
 せいにしましても(画像の「開運招福橋」の
 上に見えているのが本堂です)。平成25年
 (2013)6月には、重要文化財から国宝に
 格上げされていますしねえ。快慶・作である
本尊「文殊菩薩」は当然として、後補となる「維摩居士像最勝老人像)」が慶長
12年(1607)、宗印の作と裏付けられていたことにも驚きました。宗印は「蔵王権現
立像
」(金峯山寺)の制作者です。10年前はちょうど修理期間中でしたから、文殊
菩薩も唯の木箱の上に鎮座していたものでしたけれども、本来の騎獅像の姿に戻る
と、さすがに現存最大の文殊菩薩像(総高7m)。本堂の下から見上げれば、余計に
これほど大きかったのかと呆れるばかり。それなのに、なおも優美な気品を失わない
快慶の表現力よ。「善財童子像」は、「西大寺」の童子像より、躍動感というか、
ストップ・モーション感が強いですね(路上で、ふと呼び止められたかのような)。
須菩提像(仏陀波利三蔵像)」、「優填王像」も良いですが、個人的には初対面
だった獅子像(後補で、宗印・作の可能性が高い模様)の健気さがいじらしく映って
仕方なし。本堂に接続した釈迦堂の「釈迦三尊像」も拝観することが出来ましたよ。
       ☆
西古墳」を再訪し、「願かけ不動」を観るだけで終わらず、稲荷社、十一面観音、
白山堂、合格門、「天文観測の地」碑、晴明殿、ウォーナー塔、「東古墳」も観て
歩きます。「花の広場」には、パンジーか何かの花で、五芒星と「合格」の文字や
干支の丑(牛)が描かれていました。天文観測の地に立ち、二上山の方(西)に
伸びる“長寿道”の近くに「おふさ観音」が載る地図を見て、位置関係を頭の中で
整理。奈良(も京都)も、もっと土地勘を鍛えなければなりません。そうそう、安倍
文殊院も“大和十三仏霊場”の一つ(第三番)となるのです。菩提寺ではなく、
祈祷寺としての性格上、各所で“攻め”の姿勢が感じられました。端的に言うと、
客寄せのネタが満載かな。「渡海文殊群像」だけでも十分のように思うのですが。
帰り際、境内の売店「いわれ茶屋」に立ち寄りまして、手土産の「亀パン」を調達。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像史跡おやつ

LES LIAISONS EROTIQUES

今月初日に手配したDVD2点が揃っていたこともあり、
第37回「秘密のビデオ会」を催したぜ、shake it up!
当然の如く、内田裕也特集・第2弾となるんだよね。
まず鑑賞したのは、リメイク作となる若松孝二・監督
『エロティックな関係』(1992)。全編パリ・ロケを敢行
したのは偉い、おフランスに喧嘩を吹っかけようとした
心意気も良し。でも、主役は裕也なんだよ。宮沢りえ
立てようとする気持ちは愛らしいけれど、主役がフランス女に
絡まなくてどうするのよ。ビートたけしも、芸風が裕也を
継承した観が強いので、悪役として、立ち位置がぼやけて
しまったようにも見えるし。仏国でも暴れてほしかったよ、
日本人の映画監督としては。同じ若松監督が裕也と組んだ
『水のないプール』の毒気の十分の1も感じられなかったし、
『聖母観音大菩薩』など、他の傑作と比較してしまうと……。
レイモン・マルローの原作小説は未読だけれど、先行する
オリジナル映画作品の長谷部安春『エロチックな関係』
(1978)は日活ロマン・ポルノ、純然たるプログラム・ピクチャー
で、お気楽に楽しめます。裕也のキャラが自然に溶け込んで
いるし、探偵の助手役(=加山麗子)が(宮沢りえと異なり)
妻と設定されているため、オープニングから積極的に絡んでくる
だけでなく、探偵は他の女性キャラとも性交渉を行っているし
(……裕也なので、常に受身の観はあれ)。ただ、“運命の女”
としての牧ひとみより、加山麗子の方が魅力的に映るのが難。
同じ論法で行くと、リメイク作『エロティックな関係』でも、裕也
(=役名「篠山紀信」)が色香に惑わされるほどの女なのか、
ジェニファー・ガランは? と終始疑問ではありました。内面を
描かないことで神秘化するという手法を採るにせよ、ならば、
主人公との濃厚接触を通して、フィジカルな魅力を訴えるべき。
「ロレーヌ」と名を連呼するだけで、ちゃんと抱いてないだろ? 
黄色人差別の裏返しか、と勘繰りたくなる箱庭的な世界観。
事情は数十年前と変わっていないのではないのかなあ。

テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

tag : 映画

乗り越し

携帯電話に着信があり、電話予約したきり、引き取りに行けていない
落語会のチケットを頂きに、「大阪新音」(大阪市北区西天満4丁目6−14、
イーデザインビル201)まで方向転換。「ホワイティうめだ」方面には赴かず。
昨日は辛口飯屋森元」で昼食だったから、今日は「もりやま屋」と算段
していたところ、15時過ぎで閉店。ブログの記事も前日からの引き継ぎ――。
       ☆
白い花崗石(みかげいし)や漆喰の窓枠が、赤レンガ
絶妙のコントラストとなっている
」とわざわざ書かれていなくても、
近代建築好きは「嗚呼、辰野式のことね!」と、深く首肯するところ。
東京駅 丸の内駅舎」でなくとも、大阪人ならば「大阪市中央公会堂
(実施設計が辰野金吾片岡安)、京都人ならば「京都文化博物館」を
有していますもの。丸の内駅舎の保存・復原工事(2012)では、屋根材に
用いられている天然スレート(粘板岩を薄く板状に加工)に関して、
また、因縁めいた物語があったようです……天然スレートの産地、宮城県
石巻市雄勝町(おがつちょう)も、東日本大震災(2011)に巻き込まれて
いたことから、丸の内駅舎の復活は、東北の復興も祈願しています。
       ☆
さて、煉瓦の積み方にもうるさい貴方を満足させる一節も引用しておきましょう。
文中、明言はされていませんが、明らかに“イギリス積み”ですね。昔、郵便・
小荷物運搬用に利用されていた地下道らしいですが、まだ、あるのかしら? 
       ☆
 レンガの長手という側面の長い方ばかり積み上げた層に、今度は小口という一番短い面ばかり積み重ねてある。なだらかな丸味を持ったアーチ状の壁面は“五分(ごぶ)の跳ね出し積み”という珍しい手法がとられているという。五分つまり約十五ミリずつずらしながら積み上げてあるのだ。そのために壁はすこしずつせり出しながらアーチをなし、独特の雰囲気を作っている。手間隙(ひま)かけた明治のレンガ職人の名人芸である。

参考記事:屋根材にも歴史有り!東京駅 スレート屋根の物語
参考文献:稲見一良『セント・メリーのリボン』(光文社文庫)

テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 小説近代建築カレー

稲見一良の「終着駅」

12月の読書会のテクストが 稲見一良の短編集『セント・メリーのリボン』で、
集中の一編「終着駅」に、近代建築好きには何とも言えないパラグラフが
あります。昔から好きな作家で、目にしていたはずなのに、建築好きになり、
初めて浮き上がって見えてくる文章です。スペイン風邪で亡くなった辰野金吾
(1854~1919)の設計による「東京駅 丸の内駅舎」(1914年開業)が舞台。
       ☆
 わたしにとって東京駅は、丸の内側のこの赤レンガ駅舎である。八重洲口の方は単なるコンクリートの塊だ。ふくれ上がった輸送の、巨大な容器(うつわ)でしかない。
 丸の内側の東京駅は、世界に誇る建築物だ。もともと皇居つまり江戸城に正対して作られたものだから、明治の日本人の思想がバックボーンを貫いている。日本国有鉄道、いや大日本帝国の誇りがある。
 南北に三百メートルを越す横に長い構造は、皇居を威圧することのないよう配慮された設計だという。この横に長い構造と赤レンガが美しさを決定づけている。
 そして左右対称の位置に築いた八角形のドームでもって、建物は古典的な典雅豪壮な姿となった。また青いスレート葺きの屋根や、白い花崗石
(みかげいし)や漆喰の窓枠が、赤レンガと絶妙のコントラストとなっている。
 大正時代の関東大震災、そして第二次大戦の戦災にもびくともしなかった赤レンガは、東京は足立区の土を使った国産である。その赤レンガ九百万個を一つ一つ入念に積上げた明治、大正の職人たち……。東京駅はまさに手仕事の一大作品であり、当時の日本の職人の心意気の結晶である。

       ☆
作品の発表年代で考えるよりも、作品の設定年代で読んでみる方が
正当な態度でしょう。国鉄の分割民営化により、JR が発足したのが
昭和62年(1987)4月1日――などと計算せずとも、少し後の文章でも
大正三年、一九一四年に開業して、すでに八十年近く経った。
レンガ建築の耐久年数は半世紀とされている。東京駅も齢をとった。
とり壊して再開発するという話もあるようだ
」と書かれています。
昭和末期~平成時代の幕開けの頃でしょうか。ただ、丸の内駅舎は
昭和20年(1945)の戦災によって、南北2つのドームと屋根・内装を消失。
戦後の戦災復興工事(1947)を経て、2階建てに改修され、南北ドームも
(中央部分と同様に)寄せ棟にするという応急処置のまま、平成24年
(2012)の保存・復原工事完成まで、南北のドーム(=丸屋根)は
ほぼ1世紀近く存在しなかったことになります。となれば、作中の
「ドーム」は一体、何を指すのか? 往年の東京駅を見覚えている
人ならば、あの寄せ棟を「ドーム」と表現するのは躊躇するでしょう。
そこで、はっと気付くのです。稲見一良の「終着駅」は、世界大戦
だろうと、何だろうと、身揺るぎもしない“男の物語”なのだ、と。
駅舎はびくともしないし、南北ドームも壊れなかった世界なのです。

参考文献:稲見一良『セント・メリーのリボン』(光文社文庫)

テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 小説近代建築

A-chan

2020_12_15_「A-chan」 12月15日(火)17時から、今年初めての
 忘年会を開きましたよ。会場は北新地の
 「A-chan」(大阪市北区曽根崎新地1丁目
 2−1)でして、立地上、気になるような お高く
 留まったお店ではなし。昼時分には唐揚げ
 目当ての行列が出来る優良店ですから。
 今回は店名にも大書されている“餃子鍋”が
 メイン。オーナーの祖母(=あーちゃん)が
 夫の仕事の都合で満州に渡った折、現地の
中国人から教わった餃子の作り方が「あーちゃん餃子鍋」の原点になったそうです。
餃子の具材は、国産牛と沖縄産「うかじ豚」。ニンニクを使用していないため、素材
本来の味を素直に愉しめます。特製白濁スープは、牛肉・テール・すじ肉や野菜を
10~12時間かけて、じっくり煮込んだ物。ハーフ&ハーフ(白×赤)の餃子鍋コース
をオーダーしたのですが、突き出しから何から、提供される一品がどれも旨くて(特に
こんにゃくステーキの焼き加減)、唸らされました。採算度外視なの?と。赤色の
スープには自家製唐辛子たれがブレンドされており、他にトマトやカレーのスープも
選択可能。もちろん、秘伝のたれの唐揚げも嘆賞。麦焼酎「大金持」のボトルを空け
ながら、大事に付き合っていければ、と心覚え。「鍋プログラム(29)」に数えます。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : 呑むこんにゃく

御堂筋ダイビル

2020_12_11_御堂筋ダイビル “ダイビル”と言えば、大阪・中之島の渡辺節・設計
 「ダイビル本館」(2013年再築)を筆頭に思い浮かべて
 しまうのは仕方ありません。でも、「新ダイビル」も
 あれば、「御堂筋ダイビル」(大阪市中央区南久宝寺町
 4-1-2)だってあります。昭和39年(1964)9月竣工、
 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上8階(地下3階)建て。
 元は「東洋工業」大阪支社ビルで、ステンレスの外装と
 角丸窓が、当時のスペイシーな浮遊感を髣髴とさせて、
 個人的には喫茶「マヅラ」の匂いを嗅ぎ取るのでした。
 御堂筋沿い、「難波神社」と「南御堂」の間に建って
 いますが、何と、立て替えられる模様。本年末に閉館し、
 2023年度中の竣工が予定されているとは、人生60年。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築

奈良県里程元標

巨樹で思い出すのが、奈良市の三条通り沿いに立って2020_11_24_奈良県里程元標
いたムクノキ(画像は11月24日撮影分)。幹周6.5m、
樹高25m、樹齢推定1000年。明治6年(1873)、明治
政府の実施した道路里程調査に基づき、明治21年
(1888)7月に設置された「奈良県里程元標」(実物には
「県」の旧字「」が使用されています)や、復元された
高札場の後方に根元が隠れていますけれども……。
大阪市(大坂)で言えば、「高麗橋」に里程元標は建って
いましたね。「大阪市道路元標」のことも思い起こす訳
ですが、奈良県里程元標と併せて、「奈良市道路元標
(大正9年設置)も移設されたらしいと知れば、数十m で
あれ、本来は道路の起終点を示す物であった標識を
動かされたことに対して、若干の不安を拭い去れず。
「奈良市から(まで)~km」という表記がある物を全て
書き換えるなんて、到底、無理な話ですもの。誤差の
範囲内とはいえ、もやもやとします。現行の道路法では、
奈良市役所の前を基準としているのでしょうか? 
奈良市の建設部土木建築課に問い合わせてみよう。

参考記事:道路の標識の「○○まで何キロ」はどこが基準なのか

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 樹木史跡

稲荷社文楽座跡

2020_12_11_難波神社の保存樹 「南御堂」から2ブロックほど南に下がると、
 「難波神社」(大阪府大阪市中央区博労町
 4丁目1−3)がございます。主祭神は仁徳
 天皇
、他に素盞嗚尊や摂社「博労稲荷神社
 の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。東門の外に
 「稲荷社文楽座跡」という石碑が建っており、
 境内の説明板を読むと――文化8年(1811)、
 植村文楽軒稲荷社(=難波神社)境内で
 人形浄瑠璃の小屋を開き、“文楽発祥の地
といわれているとのこと。一時移転するも、安政3年(1856)に再び稲荷社に復帰した
頃から「文楽軒の芝居」と呼ばれるようになったそうです。初代・植村文楽軒(1751
~1810)は淡路の出身でしたねえ……それはともかく、お気付きのとおり、説明板は
端折っていますが、「稲荷の芝居」を立ち上げたのは、2代目・文楽軒(1784~1819)
となります。3代目・植村文楽軒(1813~1887)は2代目の実子(史実的には「4代目」
が正しいかと思われますが、難波神社の説明板に従い、「3代目」と表記します
)。
寺社内での芝居が禁止される(天保14年)などして苦労したようですが、「文楽座の
芝居(=稲荷の芝居)」を確立したのはこの人。明治5年(1872)、文楽座は新開地の
九条(松島新地)に移り、「官許人形浄瑠璃文楽座」の看板を掲げている隙を突いて、
明治17年(1884)、三味線の2代目・豊沢団平を擁する「彦六座」(稲荷座)が難波
神社の北門に開場。同年、対抗する文楽軒(4代目、正味5代目)が「御霊神社」の
境内に芝居小屋を掛け、「御霊文楽座」として大正15年(1926)まで興行を行って
いました。熾烈な興行戦争が引き起こされるほど、熱烈な文楽人気があった訳です。
しかし、落語家の名跡と同様、太夫等も何世だか何代目だか、ややこしい限りで、
難波神社の説明板もその煩雑さを厭い、一部記述を省いたものだろうと納得。
       ☆
忘れてはいけないのが、境内入り口付近いっぱいに枝を広げる楠の大樹(御神木)。
樹高11.0m、幹周り3.2m。戦争で火傷を負うも生き残り、大阪市内では最古の楠
らしいです。大阪市指定の“保存樹第1号とされていますよ。ぼくが携帯電話で
画像撮影に勤しむ間にも、楠の大樹にそっと触れていく参拝客の姿がちらほらと。

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽史跡樹木

カレンダー
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
Access Counter
総閲覧者数:
Online Counter
現在の閲覧者数:
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリー
プロフィール

ぽか

Author:ぽか
⇒ 旧プロフィール

歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

リンク
月別アーカイブ
検索フォーム
Amazon
QRコード
QR
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メルマガ登録はこちらから
購読希望者はメール・アドレスを書き入れて「送信」してね!
SOUKEN