No Season, No Reason

けれども、ぼくには盆も正月も無いのでした。哀しい
一介の労働者。夏に西瓜を食べていないし、元日に
お節料理や餅を食べることもないでしょう。西瓜も餅も
食べたい!と思って、わざわざ、外食しに行くような
食べ物ではありませんよねえ。前日(12月30日)から
しばらく連続出勤が続きます。余裕を見ての出勤時
(11時前)、「露天神社」の境内を通れば、ソーシャル
・ディスタンスを意識しながらも、各種出店の準備が
進められている模様。拝殿の上、「八幸ビル」の背後、
「(仮称)梅田曽根崎計画」の超高層ビルは随分と
高く積み上がってきています。事業所からは、“年越し
蕎麦”代わりのカップ麺も配給されるのですが、却って
侘びしい気分が強まるので、バレンタイン・デーの義理
チョコと同じくらい、持て余してしまいます(平常心)。
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『猟犬探偵』註
12月の読書会のテクストは、稲見一良(1931~1994)の
『セント・メリーのリボン』でした。その表題作を契機に、
失踪した猟犬探しを生業とする探偵・竜門卓のシリーズが
書き継がれ、一冊にまとまったのが『猟犬探偵』です。
竜門は北摂の能勢に住んでおり、主要な舞台が関西と
なるのは自然の流れながら、大阪市内の建物等に関して、
ぼくの注意を引いた個所をピック・アップしておきます。
☆
カスバのように入りくんだ地区を、一つずつ歩いて、広い暗い通りへ出た。関西テレビの建物の電飾が見えた。
道路には客待ちの無線タクシーが、それぞれの表示灯(あんどん)をつけて並んでいた。不法に駐めた自転車やバイクが道を狭くしている歩道の片側には、間口一間ほどの店がぽつぽつと並んでいた。
(第2話 ギターと猟犬)
☆
「ギターと猟犬」は「小説新潮」1993年12月号に発表。
引用した文章に描かれたカスバのような地区とは、
現在は「お初天神裏参道」や駐車場などに替わった
曽根崎2丁目の一部の界隈ではなかろうか、と推定。
伊波普猷に縁故の女将が営業していた沖縄料理店
「物外館」を訪ねたこともありました……竜門は新御堂筋を
過ぎ、寺町通りを東へ進んだのだろうと思われます。
現在は「扇町公園」の一画を占めている「関西テレビ」の
社屋(大阪市北区扇町2丁目1番7号)は、平成9年(1997)
10月1日に移転するまで、西天満6丁目に在ったのです。
☆
教わった金波楼宝石店というのは、JR鶴橋駅に近い大通りにあった。間口の広い大きな明るい店だ。俺は有料駐車場に車を入れて、店を訪ねた。昼間から煌々と明りをつけた店では、十人ほどの男女が働いていた。
(第4話 悪役と鳩)
☆
その昔、鶴橋に「大日本印刷」大阪工場が在った頃、
通勤していた関係上、鶴橋界隈には覚えがありますから、
(「金波楼宝石店」という店名だったかどうかはともかく)
確かに、大通りに面した貴金属・宝石店が在りましたよ。
派手な店構えをぼんやりと覚えており、どこがというのでなく、
曽根崎の「足立宝石店」とイメージが被ってしまいます。
同じ「悪役と鳩」の後半で、「猪飼野新橋」、「新城見橋」も
登場。新城見橋の説明で、「平野川と寝屋川の合流点」と
書かれていて、現在ならば、「第二寝屋川」と記す方が正確
なのでしょうけれど、昔はそう呼んでいなかったように記憶。
☆
段平船は軽やかなエンジン音を響かせて、寝屋川を左へ向かった。旧造幣局の跡を通った。戦後はアパッチ村といわれて名を高めた所だ。百鬼横行したかつての廃墟は跡を留めず、今は交通局の工場だと小松が言った。
☆
『猟犬探偵』は1994年発行で、「悪役と鳩」は書き下ろし。
手元の単行本から参照しており、文庫本も読んでいました
けれど、改訂されていたかどうかは、検証できていません。
“アパッチ村”はかつての「大阪砲兵工廠」跡地であって、
「造幣局」とは何の関係ございませんので、誤記というか、
単純に事実誤認と思われます。ちゃんと、校閲してあげたいな。
参考文献:稲見一良『猟犬探偵』(光文社文庫)
参考記事:梅田に「物外館」という店が在った!
『セント・メリーのリボン』でした。その表題作を契機に、
失踪した猟犬探しを生業とする探偵・竜門卓のシリーズが
書き継がれ、一冊にまとまったのが『猟犬探偵』です。
竜門は北摂の能勢に住んでおり、主要な舞台が関西と
なるのは自然の流れながら、大阪市内の建物等に関して、
ぼくの注意を引いた個所をピック・アップしておきます。
☆
カスバのように入りくんだ地区を、一つずつ歩いて、広い暗い通りへ出た。関西テレビの建物の電飾が見えた。
道路には客待ちの無線タクシーが、それぞれの表示灯(あんどん)をつけて並んでいた。不法に駐めた自転車やバイクが道を狭くしている歩道の片側には、間口一間ほどの店がぽつぽつと並んでいた。
(第2話 ギターと猟犬)
☆
「ギターと猟犬」は「小説新潮」1993年12月号に発表。
引用した文章に描かれたカスバのような地区とは、
現在は「お初天神裏参道」や駐車場などに替わった
曽根崎2丁目の一部の界隈ではなかろうか、と推定。
伊波普猷に縁故の女将が営業していた沖縄料理店
「物外館」を訪ねたこともありました……竜門は新御堂筋を
過ぎ、寺町通りを東へ進んだのだろうと思われます。
現在は「扇町公園」の一画を占めている「関西テレビ」の
社屋(大阪市北区扇町2丁目1番7号)は、平成9年(1997)
10月1日に移転するまで、西天満6丁目に在ったのです。
☆
教わった金波楼宝石店というのは、JR鶴橋駅に近い大通りにあった。間口の広い大きな明るい店だ。俺は有料駐車場に車を入れて、店を訪ねた。昼間から煌々と明りをつけた店では、十人ほどの男女が働いていた。
(第4話 悪役と鳩)
☆
その昔、鶴橋に「大日本印刷」大阪工場が在った頃、
通勤していた関係上、鶴橋界隈には覚えがありますから、
(「金波楼宝石店」という店名だったかどうかはともかく)
確かに、大通りに面した貴金属・宝石店が在りましたよ。
派手な店構えをぼんやりと覚えており、どこがというのでなく、
曽根崎の「足立宝石店」とイメージが被ってしまいます。
同じ「悪役と鳩」の後半で、「猪飼野新橋」、「新城見橋」も
登場。新城見橋の説明で、「平野川と寝屋川の合流点」と
書かれていて、現在ならば、「第二寝屋川」と記す方が正確
なのでしょうけれど、昔はそう呼んでいなかったように記憶。
☆
段平船は軽やかなエンジン音を響かせて、寝屋川を左へ向かった。旧造幣局の跡を通った。戦後はアパッチ村といわれて名を高めた所だ。百鬼横行したかつての廃墟は跡を留めず、今は交通局の工場だと小松が言った。
☆
『猟犬探偵』は1994年発行で、「悪役と鳩」は書き下ろし。
手元の単行本から参照しており、文庫本も読んでいました
けれど、改訂されていたかどうかは、検証できていません。
“アパッチ村”はかつての「大阪砲兵工廠」跡地であって、
「造幣局」とは何の関係ございませんので、誤記というか、
単純に事実誤認と思われます。ちゃんと、校閲してあげたいな。
参考文献:稲見一良『猟犬探偵』(光文社文庫)
参考記事:梅田に「物外館」という店が在った!
歳末中津

中津でもタワー・マンションが乱立し
始めている訳ですが、中津1丁目の
込み入った一画に、2~3年前から
空き地が広がっています。数匹の
猫を見かけたものでしたが、最近は
目にしません。「都市環境開発」が
土地を取得し、70~80戸の入居
できるマンションを建てる意向らしい
ものの、隣接地権者(住人)が反対している模様。消防車も入れない狭い道の脇に
木造家屋が密集する状況も問題かもしれませんが、高層マンションを建てるだけで
“再開発”と称し、「安全な街」を謳われるのもねえ。中崎町や空堀商店街のように
レトロな町家を残した街づくりが出来ればよいのだろうけど……そんなこんなを想い、
「大淀 信州そば」で“名代コロコロそば”を啜ります。店先の紅葉が真っ赤でした。
翌日からしばらく休日が設けられていないので、年越し蕎麦になるのだなあと観念。
☆
食後、VODで映画鑑賞。石原貴洋・監督の『大阪少女』(2019)は面白かったです。
昨年観た『RED CAPSULE』(2018)があまりに微妙で、評価に困っていたのです
が、大阪市西成区を舞台にして、開き直ったかのように べたな人情話(?)は痛快。
林海象もポルノ小説家役で出演しています。また、TAK∴が他の役者陣(主役の
坪内花菜を除く)と一線を画すオーラを放っており、格好良過ぎて。坂口拓時代の
主演作も結構観てきたつもりですが、俳優として良い味が出てきたなぁと、にんまり。
木村ひさし・監督の『仮面病棟』(2020)は可もなく、不可もなく……ミステリーと
したらばすぐに底が割れるし(100万部突破のベスト・セラーといわれても、読む気が
失せました)、キャスティングも無難に人気者を集めた観がありあり。哀しいことには、
エンド・ロールまで、佐野岳(=仮面ライダー鎧武)や永井大の出演にも気付かず。
SMTP
ぼくの相棒、ザウ8君(=Linux Zaurus SL-C860)が
発売されたのは、2003年11月末頃だったので、20年
近い付き合いとなり、かつ、今なお現役でもあるのでした
(それこそ、何度も買い替え、買い増しを繰り返し……)。
さすがに、ブラウジング機能には限界が顕著。メールと
スケジュール管理、テキスト書きに用途も限定しての
使用となりますが、前日だったか、メール受信中に障害
発生。巻き込まれたメーラーの設定ファイルが壊れた模様。
既定のメール・ソフトの構造が(OS云々を抜きにしても)
独特でして、面倒だったので、設定ファイル等を全削除
して、一から再設定してみました。ところが、受信は出来る
ようになりましたが、送信不可。昔と同じ設定をコピーした
はずなんだが……と嵌まってしまいそうになりましたが、
PHSが使えなくなり、無線LANでのネットワーク接続に
変更したことなどを思い出しました。SMTPサーバーに
充てているポート番号が25のままだったので、587に変更
(SMTP認証)。「SMTP」は「Simple Mail Transfer
Protocol」の略。何ということもなく、原状回復できました。
発売されたのは、2003年11月末頃だったので、20年
近い付き合いとなり、かつ、今なお現役でもあるのでした
(それこそ、何度も買い替え、買い増しを繰り返し……)。
さすがに、ブラウジング機能には限界が顕著。メールと
スケジュール管理、テキスト書きに用途も限定しての
使用となりますが、前日だったか、メール受信中に障害
発生。巻き込まれたメーラーの設定ファイルが壊れた模様。
既定のメール・ソフトの構造が(OS云々を抜きにしても)
独特でして、面倒だったので、設定ファイル等を全削除
して、一から再設定してみました。ところが、受信は出来る
ようになりましたが、送信不可。昔と同じ設定をコピーした
はずなんだが……と嵌まってしまいそうになりましたが、
PHSが使えなくなり、無線LANでのネットワーク接続に
変更したことなどを思い出しました。SMTPサーバーに
充てているポート番号が25のままだったので、587に変更
(SMTP認証)。「SMTP」は「Simple Mail Transfer
Protocol」の略。何ということもなく、原状回復できました。
tag : モバイル
蘭州牛肉麺

終演して、20時過ぎだったかな。
夕食がまだだったため、相方と
天神橋筋商店街を北上しました。
時短営業のお達しを喰らって、
目ぼしいお店はことごとく閉店。
そろそろ仕舞おうとしているのか
と危ぶみながら、「一品居 蘭州
牛肉麺」(大阪府大阪市北区
天神橋3-9-16)に滑り込みます。森ノ宮辺り(大阪府東成区中道)から、本年
2月2日に移転してきており、アーケードの切れ目の角地に建ち、ガラス張りの
厨房の様子は外からも目に入るので、気にはなっていたのよ。中国甘粛省の
蘭州市で定番だという“蘭州牛肉麺”が看板メニュー。他の料理も、中国独特の
薬膳スパイスが食欲をそそり立てそうです。注文してから、麺を打ち始める音が
静かな店内に響き渡ります。世が世なら(コロナ時代でなければ)、満席の
利用客を楽しませるパフォーマンスでしょうけれども……それでも、先客の姿を
認めた通行客が三々五々入店してきたので、ほっとしました。ぼくは蘭州牛肉
麺と炒飯のセット(980円)、相方は羊肉麺のパクチー増しを注文。デザート?!に
湯円(8個680円)を頂きました。もっちりとした丸麺はするすると軽快で、胃にも
優しい感じ。近頃、どか食いしてしまいがちなので注意して、21時前に撤収。
tag : ラーメン
最終阪下
12月26日(土)、昼食休憩時、スープカレー「なっぱ」が
大阪での営業を既に終了していたことを失念したまま、
空しく足を運び、辛口飯屋「森元」で大汗をかきました。
レギュラー・カレー(あいがけ)を注文して、ルウをお代わり。
仕事仲間には、「定時で帰るよ」としつこく声を掛けていた
甲斐があって、夕方早々に退散。Osaka Metro・谷町線で
東梅田から南森町へ1駅だけ移動。今年最後の落語会、
「天満天神繁昌亭」での「おい!阪下」最終回に臨みます。
18時の開演。桂文鹿さんを筆頭に、気心を知る笑福亭由瓶、
林家菊丸、桂米紫が参集。文鹿さんの創作落語を全員で
演じるのでした。4人のオープニング・トークでは、第15回
「繁昌亭大賞」奨励賞を獲ったばかりの由瓶の喧しいこと。
自作マスクの販売等、面白くはあるのですが、聴かせるべき
ところでは聴かせてほしいのよね。「おい!阪下」と銘打った
落語会の終了以外にも、諸々の企画などを一旦リセット。
単なる継続を惰性として忌避し、新しい試みで攻めていく
という文鹿さんの矜持から出た“最終回”であり、2021年は
インドにも渡らないそうです。トリの「ルンペン」はネタおろしに
なるのでしょうか。人情噺の傑作が生まれるのか?! 途中、
ぞくぞくさせられていましたが、サゲがもうひとつかな。しかし、
今後の練り方如何によって大化けしそうで、目が離せません。
P.S. 御茶子を桂おとめが務めていたのが印象的でした。
☆
笑福亭由瓶「さわやかデッドボール」
林家菊丸「おみくじ製作所」
桂米紫「銃撃戦」
中入り
桂文鹿「ルンペン」
大阪での営業を既に終了していたことを失念したまま、
空しく足を運び、辛口飯屋「森元」で大汗をかきました。
レギュラー・カレー(あいがけ)を注文して、ルウをお代わり。
仕事仲間には、「定時で帰るよ」としつこく声を掛けていた
甲斐があって、夕方早々に退散。Osaka Metro・谷町線で
東梅田から南森町へ1駅だけ移動。今年最後の落語会、
「天満天神繁昌亭」での「おい!阪下」最終回に臨みます。
18時の開演。桂文鹿さんを筆頭に、気心を知る笑福亭由瓶、
林家菊丸、桂米紫が参集。文鹿さんの創作落語を全員で
演じるのでした。4人のオープニング・トークでは、第15回
「繁昌亭大賞」奨励賞を獲ったばかりの由瓶の喧しいこと。
自作マスクの販売等、面白くはあるのですが、聴かせるべき
ところでは聴かせてほしいのよね。「おい!阪下」と銘打った
落語会の終了以外にも、諸々の企画などを一旦リセット。
単なる継続を惰性として忌避し、新しい試みで攻めていく
という文鹿さんの矜持から出た“最終回”であり、2021年は
インドにも渡らないそうです。トリの「ルンペン」はネタおろしに
なるのでしょうか。人情噺の傑作が生まれるのか?! 途中、
ぞくぞくさせられていましたが、サゲがもうひとつかな。しかし、
今後の練り方如何によって大化けしそうで、目が離せません。
P.S. 御茶子を桂おとめが務めていたのが印象的でした。
☆
笑福亭由瓶「さわやかデッドボール」
林家菊丸「おみくじ製作所」
桂米紫「銃撃戦」
中入り
桂文鹿「ルンペン」
熊と忘年会
「だんぜん!ダイソー de だんぜん!ワクワク
シールキャンペーン」(2020年秋冬)……
キャンペーン名が長いよ。と、突っ込みつつも、
(確か、9月15日から)シールを集め出しまして、
ハニーテディベアのベビー(アダム)とラージ
(アンクルジョン)を入手しましたよ。ベビー(No.1)が
シール15枚で特別販売価格200円(税抜き)、
ラージ(N0.5)が35枚で同1,200円(同)でした。
適正価格かどうかはよくわかりません。コンビニと
違って、毎日のように「ダイソー」を使う習慣は無い
ですから。とりあえず、熊の詰め合わせの出来上がり。
☆
午後は17時から、忘年会の予約を入れていました。
例年恒例の「ごますりちゃんこ」の利用ですけれど、
今年は電話予約でなく、「ホットペッパー」経由での
WEB予約。WEB予約限定でのデザートに惹かれて
しまった気紛れでしたが……大阪府の時短営業要請
(21時まで)もさることながら、贔屓の団体客からの
予約も断っていたらしく、店舗はぼくらの借り切り状態。
店に入ってから、おそらくは閉店(ぼくらの退店)時まで
誰も入ってこず、申し訳ないなあと思いつつ、やっぱり、
ちゃんこ鍋も、熱燗も美味しく、お代わりを繰り返します。
客が他にいないせいか、用が無くても頻繁に顔を出す
女将は、早く帰ってほしかっただけかもしれませんが、
よく喋り倒してくれました。失礼にも、もう1人の女将
(キリスト教徒)の母かとずっと思い込んでいた訳ですが、
もしかすると、姉妹関係かもしれず……学生時代から
通っているとお店なのに、無頓着なことではあります。
シールキャンペーン」(2020年秋冬)……
キャンペーン名が長いよ。と、突っ込みつつも、
(確か、9月15日から)シールを集め出しまして、
ハニーテディベアのベビー(アダム)とラージ
(アンクルジョン)を入手しましたよ。ベビー(No.1)が
シール15枚で特別販売価格200円(税抜き)、
ラージ(N0.5)が35枚で同1,200円(同)でした。
適正価格かどうかはよくわかりません。コンビニと
違って、毎日のように「ダイソー」を使う習慣は無い
ですから。とりあえず、熊の詰め合わせの出来上がり。
☆
午後は17時から、忘年会の予約を入れていました。
例年恒例の「ごますりちゃんこ」の利用ですけれど、
今年は電話予約でなく、「ホットペッパー」経由での
WEB予約。WEB予約限定でのデザートに惹かれて
しまった気紛れでしたが……大阪府の時短営業要請
(21時まで)もさることながら、贔屓の団体客からの
予約も断っていたらしく、店舗はぼくらの借り切り状態。
店に入ってから、おそらくは閉店(ぼくらの退店)時まで
誰も入ってこず、申し訳ないなあと思いつつ、やっぱり、
ちゃんこ鍋も、熱燗も美味しく、お代わりを繰り返します。
客が他にいないせいか、用が無くても頻繁に顔を出す
女将は、早く帰ってほしかっただけかもしれませんが、
よく喋り倒してくれました。失礼にも、もう1人の女将
(キリスト教徒)の母かとずっと思い込んでいた訳ですが、
もしかすると、姉妹関係かもしれず……学生時代から
通っているとお店なのに、無頓着なことではあります。
阿弥陀池

Metro・御堂筋線~長堀鶴見緑地線に乗って、
本町から西長堀へ移動(心斎橋で乗り換え)。
“おだしめぐり”で取り上げられていた「おでん
○」は臨時休業していましたが(その結果、
九条の探索に至る)、西長堀には上方落語で
有名な「阿弥陀池」も在るのですよ。大阪人
であれば、阿弥陀池の所在がわからずとも、
「あみだ池筋」に聞き覚えがあるでしょう。
☆
あみだ池筋は、中之島の「堂島大橋」~「土佐堀橋」を通っています。「玉江橋」
~「常安橋」を通るのが「なにわ筋」、「上船津橋」~「湊橋」を通っているのが「新
なにわ筋」で、あみだ池筋は芦原橋交差点で新なにわ筋と合流しているのです。
☆
阿弥陀池(あみだ池)は通称でして、正式名称は

「和光寺」(大阪市西区北堀江3-7-27)。
どこから境内に入ろうか、迷いましたけれど、
西側の「あみだ池 和光殿」出入り口から参上。
元禄11年(1698)、堀江新地の開発時、智善
上人が建立。其角の句碑や何やと池の周囲に
在りますが、本堂は閉ざされていました。池中の
「放光閣」に(永代)灯明が見えます。嘘か真か、
廃仏派の物部氏に捨てられた阿弥陀如来像が
池から出現し、後に「信濃国善光寺」の本尊
とされたそうです。秘仏中の秘仏、絶対秘仏ではないですか。
☆
落語の「阿弥陀池」は、日露戦争後に桂文屋が創作。
「いらち俥」も文屋の作。いらち俥には鉄道が登場し、
阿弥陀池では“新聞”という当時の新メディアが
フィーチュアされている訳ですが、現在となっては、
純然たる古典落語の観。スピード社会への疑問を
呈していたり、メディア批判であったりするようにも
読み取れるところが、息の長いネタの秘訣かもしれません。
参考文献:桂米朝『米朝ばなし』(講談社文庫)
桂米朝 『上方落語 桂米朝コレクション6 事件発生』(ちくま文庫)
本願寺 津村別院(北御堂)

折から、「北御堂」に行かなければ……と
考えていたところだったので、「朝日生命
ホール」を出た後、御堂筋をぷらぷらと南下。
「本願寺 津村別院」はOsaka Metro・淀屋橋
と本町駅の間、本町通の北側に位置します。
「北御堂ミュージアム」(2019年1月オープン)
の開館時間が16時までとあって、少々焦り
ましたかね。大阪(坂)と本願寺、北御堂との
関係をパネルや映像、模型で説明。「大坂」という地名が史料に初めて現れるのは、
明応7年(1498)11月21付、第8代・蓮如上人の「御文(御文章)」の中。ふむふむ
と頷いているうち、エレベーターで1階のミュージアムから本堂に上がるも、本尊の
「阿弥陀如来立像」は遠目にしか拝めず。再会を期して、立ち去る前にもう一度、
「西本願寺 津村別院」本堂を眺め遣ります。設計が岸田日出刀(1899~1966)で
あったと再認識。「リバーサイドビルディング」と同じなのよ。かつて、土佐堀川で
同人仲間のMさんと観て、北御堂を文校仲間のHさんと訪れたことは、奇しき縁か?!
寺川まで
大和川水系の寺川は、中流において、奈良県桜井市や
橿原市を流れています。「安倍文殊院」からの帰途、
時折、氷雨に吹き付けられながら、近鉄・桜井駅を
目指して、早歩き。バスの便も無ければ、タクシーも
拾える雰囲気ではありませんでしたから。独りでならば、
どこまでも速く、遠くまで行けるはず。しばらくは、誰と
行き交うこともなく、頭の中の地図を頼りに、道なりに
北上するだけ。ふと気付けば、おそらくは寺川に注ぐ
であろう用水路(?)に架かった橋(右上画像)を渡って
いました。名前の無い橋も好物です。水流の西側に
橋脚の残骸めいた、石碑のようにも見えるコンクリートの
塊が在りましたが、委細は未確認。「稲田酒店」の
裏手に位置しています。程良い所で、右折(東進)。
☆
古代は官道(=横大路)だったのかしら。
「仁王堂八幡神社」(奈良県桜井市谷
170)を左手に過ぎ、勾配を感じ出す頃、
寺川に架かる「小西橋」(左画像)が見えて
きました。西詰の袂付近には地蔵菩薩像が
建っています。横大路に対して、寺川は
斜めに流れている格好。小西橋を渡らずに、
寺川の左岸を上流に歩いても、すぐに国道
169号でして、「磐余(いわれ)橋」南詰です。
☆
南北に走る国道169号は寺川を磐余橋で渡り、東西に
延びる横大路は小西橋で寺川を渡ることになります。
磐余橋と小西橋と(斜辺を成す)寺川によって、三角形が
作られ、直角部分の角地には祠が建っていました
(右下画像・右端)。何が祀られていたかは、ぱっと見では
判然とせず、また機会があれば、調査してみたいな、と
思います。169号と横大路が交わる交差点の名称は
“小西橋東詰”……“磐余橋北詰”でもよいように見受け
られますが、もやもやと脳裏を掠めることがあり、この橋は
いつか渡ったことがあるような、ないような……独りでは
なかったのか、どうなのか。人間は橋。渡り切った後は、
順にぽろぽろと焼け落ちていくしかない、一本一本の橋。

橿原市を流れています。「安倍文殊院」からの帰途、
時折、氷雨に吹き付けられながら、近鉄・桜井駅を
目指して、早歩き。バスの便も無ければ、タクシーも
拾える雰囲気ではありませんでしたから。独りでならば、
どこまでも速く、遠くまで行けるはず。しばらくは、誰と
行き交うこともなく、頭の中の地図を頼りに、道なりに
北上するだけ。ふと気付けば、おそらくは寺川に注ぐ
であろう用水路(?)に架かった橋(右上画像)を渡って
いました。名前の無い橋も好物です。水流の西側に
橋脚の残骸めいた、石碑のようにも見えるコンクリートの
塊が在りましたが、委細は未確認。「稲田酒店」の
裏手に位置しています。程良い所で、右折(東進)。
☆

「仁王堂八幡神社」(奈良県桜井市谷
170)を左手に過ぎ、勾配を感じ出す頃、
寺川に架かる「小西橋」(左画像)が見えて
きました。西詰の袂付近には地蔵菩薩像が
建っています。横大路に対して、寺川は
斜めに流れている格好。小西橋を渡らずに、
寺川の左岸を上流に歩いても、すぐに国道
169号でして、「磐余(いわれ)橋」南詰です。
☆
南北に走る国道169号は寺川を磐余橋で渡り、東西に

延びる横大路は小西橋で寺川を渡ることになります。
磐余橋と小西橋と(斜辺を成す)寺川によって、三角形が
作られ、直角部分の角地には祠が建っていました
(右下画像・右端)。何が祀られていたかは、ぱっと見では
判然とせず、また機会があれば、調査してみたいな、と
思います。169号と横大路が交わる交差点の名称は
“小西橋東詰”……“磐余橋北詰”でもよいように見受け
られますが、もやもやと脳裏を掠めることがあり、この橋は
いつか渡ったことがあるような、ないような……独りでは
なかったのか、どうなのか。人間は橋。渡り切った後は、
順にぽろぽろと焼け落ちていくしかない、一本一本の橋。