ミツヤライス
正午過ぎのランチ・タイム、大阪駅前ビルを彷徨しています。
前々日に「きったんカレー」を利用したので、梅田新道を
渡った次第ですけれども……「ちかごろのカレー屋さん
KANAE」、「Roche」、「spice32」のカウンターは満席、
「十壱亭」の前に行列、「ごえん」の暖簾は上がっておらず。
昼食を取るのを諦め、「ホワイティうめだ」経由で帰社しました。
☆
19時半まで残業し、お許しが出たところで退出。
相方と合流すると、「阪急三番街」を一巡した後
(フード・ホールから「クサカカレー ロイヤル」が
撤収していましたねえ……)、「心斎橋ミツヤ」
阪急三番街店に入りました。ぼくは、“伝説の
ミツヤライス”(左画像)をジャンボ・サイズで注文。
1プレートに、スパゲティ・ミートソース、ふわふわ
オムライス(トマトソース)、サクサク・ポークカツ、
サラダが満載とはいえ、どうも、野菜不足の観。
相方は悩み倒した挙げ句、“心斎橋モヒカン”(豚カツの載った鉄板スパゲティ)にして
いました。珈琲をセット。「心斎橋ミツヤ」自体の創業は昭和18年(1943)。洋食よりも、
甘味処の印象が強いかもしれません。ふむ。やっぱり、あんみつにすればよかったなぁ。
前々日に「きったんカレー」を利用したので、梅田新道を
渡った次第ですけれども……「ちかごろのカレー屋さん
KANAE」、「Roche」、「spice32」のカウンターは満席、
「十壱亭」の前に行列、「ごえん」の暖簾は上がっておらず。
昼食を取るのを諦め、「ホワイティうめだ」経由で帰社しました。
☆

相方と合流すると、「阪急三番街」を一巡した後
(フード・ホールから「クサカカレー ロイヤル」が
撤収していましたねえ……)、「心斎橋ミツヤ」
阪急三番街店に入りました。ぼくは、“伝説の
ミツヤライス”(左画像)をジャンボ・サイズで注文。
1プレートに、スパゲティ・ミートソース、ふわふわ
オムライス(トマトソース)、サクサク・ポークカツ、
サラダが満載とはいえ、どうも、野菜不足の観。
相方は悩み倒した挙げ句、“心斎橋モヒカン”(豚カツの載った鉄板スパゲティ)にして
いました。珈琲をセット。「心斎橋ミツヤ」自体の創業は昭和18年(1943)。洋食よりも、
甘味処の印象が強いかもしれません。ふむ。やっぱり、あんみつにすればよかったなぁ。
雌伏千年
出歩いて(呑み歩いて)いるばかり
かと思えば、引き籠もってばかりもいる。
今日一日中、一歩も部屋を出なかった。
風太郎を読み、中世の大阪の文献を
2冊読了。読む物があれば、(黒い)音と
映画でもあれば、さらに言うことはない。
腰は鈍く痛むけれど、外出しないのだから
気にはしない。1週間ほど前に購入した
「文楽プレミアムシアター」第7回の視聴
期限が迫ってきても、週末の今年最後の
ガイドを終えないことには、手出し出来ず。
「大阪市立図書館」デジタル・アーカイブに
『大阪建設史夜話』 附図、「大阪古地図
集成」が加わっていたことに、感泣至極。
かと思えば、引き籠もってばかりもいる。
今日一日中、一歩も部屋を出なかった。
風太郎を読み、中世の大阪の文献を
2冊読了。読む物があれば、(黒い)音と
映画でもあれば、さらに言うことはない。
腰は鈍く痛むけれど、外出しないのだから
気にはしない。1週間ほど前に購入した
「文楽プレミアムシアター」第7回の視聴
期限が迫ってきても、週末の今年最後の
ガイドを終えないことには、手出し出来ず。
「大阪市立図書館」デジタル・アーカイブに
『大阪建設史夜話』 附図、「大阪古地図
集成」が加わっていたことに、感泣至極。
北辰橋
天満堀川に架かっていたといわれる
15橋(当座)について、これまで、8橋を
取り上げてきました。今回は「長江橋」
と「夫婦橋」の間に架けられていたという
「北辰(ほくたつ)橋」のお話です。よく読み
間違えられますが、重箱読みで正解。
阪神高速12号・守口線が開通した昭和
43年(1968)5月1日の時点で、天満
堀川も無くなったように受け取られがち
ですけれど、すぐに埋め立てられたという
こともなく。右上画像が、翌年8月12日
撮影された天満堀川になります……
「夫婦橋」の橋柱灯を少々弄った形状に
しか見えず、「夫婦橋」かなと思いきや、
阪神高速のカーブの具合や橋脚の配置
から鑑みるに、「北辰橋」ではないか、と
穿っています。ただ、あまりにも、「夫婦
橋」と似過ぎており、逡巡は止まず。
「浪花百景」 “北妙けん堤” で有名な
北辰=北斗星・北極星を祀る能勢妙見
本尊を勧請した“妙見堂” (現在名は
「正善院」)が近くに在ったことから、
橋名は付けられたのでしょう。橋も地名も
残っていないにせよ、橋(跡)の南詰
西側には、「北辰ビル」(大阪市北区
天神橋3丁目11−34)が建っています。
その3軒ばかり隣が 「正善院」(北区
天神橋3丁目11-3)という位置関係。
参考記事:関西大学 大阪都市遺産研究センター 所蔵・牧村史陽氏旧蔵写真データベース
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15橋(当座)について、これまで、8橋を
取り上げてきました。今回は「長江橋」
と「夫婦橋」の間に架けられていたという
「北辰(ほくたつ)橋」のお話です。よく読み
間違えられますが、重箱読みで正解。
阪神高速12号・守口線が開通した昭和
43年(1968)5月1日の時点で、天満
堀川も無くなったように受け取られがち
ですけれど、すぐに埋め立てられたという
こともなく。右上画像が、翌年8月12日
撮影された天満堀川になります……
「夫婦橋」の橋柱灯を少々弄った形状に
しか見えず、「夫婦橋」かなと思いきや、
阪神高速のカーブの具合や橋脚の配置
から鑑みるに、「北辰橋」ではないか、と
穿っています。ただ、あまりにも、「夫婦
橋」と似過ぎており、逡巡は止まず。
「浪花百景」 “北妙けん堤” で有名な
北辰=北斗星・北極星を祀る能勢妙見
本尊を勧請した“妙見堂” (現在名は
「正善院」)が近くに在ったことから、
橋名は付けられたのでしょう。橋も地名も
残っていないにせよ、橋(跡)の南詰
西側には、「北辰ビル」(大阪市北区
天神橋3丁目11−34)が建っています。
その3軒ばかり隣が 「正善院」(北区
天神橋3丁目11-3)という位置関係。
参考記事:関西大学 大阪都市遺産研究センター 所蔵・牧村史陽氏旧蔵写真データベース
梅新西歩道橋(仮称)

『昭和の大阪 昭和20~50年』の
頁を繰っていたらば、調査中の物件
「梅新西歩道橋(仮称)」に行き当たり
ましたよ。Bravo! 地図等では確認に
至っていないので、ぼくなりの当座の
命名です。キャプションには、「梅新東
交差点に完成した歩道橋 昭和45年
7月」とあり、手前に現在の「梅新東
歩道橋」(平成10年竣工)の前身となる
歩道橋が写っています。北西角の
「国道ビル」には、「近畿相互銀行」が
入居。南西(上中央)に 「あいおいニッセイ同和損保フェニックスタワー」の前身である
「同和ビルヂング(同和火災海上)」が在り、その手前角には「関西相互銀行」が見えて
います。「同和火災海上」の前から、「梅田新道歩道橋」(リニューアルされているか
どうかは未確認)が架かっており、その奥に、もう1つの歩道橋が写っているのでした。
田辺聖子のエッセイで、その存在が推測されていた「梅田新道の西側歩道橋」です。
梅田新道交差点の南西角に建っていたという「梅田東映会館」の開館は、昭和34年
(1959)3月20日ですから、写っていそうなものですが、歩道橋を下りてすぐ(映画館の
北側)は駐車スペースのように空き地があって、映画館自体は「同和火災海上」の陰に
隠れているようです。他の個人ブログでも、「梅田東映会館」前の歩道橋は確認済み。
参考文献:写真―産経新聞社『昭和の大阪 昭和20~50年』(光村推古書院)
田辺聖子『大阪弁ちゃらんぽらん』(中公文庫)
tag : 橋
異形の血
胃壁が破壊されている模様。
元々胃下垂気味ではあった
けれども、春先から抱えている
腰の爆弾とともに、極めて不穏。
土曜出勤すれば、欠勤者多数で
残業を強いられ、胃液を吐くと、
グレープ・ジュースの色なのか、
血が混じっているのか、判然と
せず。相方が大阪を去っており、
しんしんと寒さが染みてくる……。
元々胃下垂気味ではあった
けれども、春先から抱えている
腰の爆弾とともに、極めて不穏。
土曜出勤すれば、欠勤者多数で
残業を強いられ、胃液を吐くと、
グレープ・ジュースの色なのか、
血が混じっているのか、判然と
せず。相方が大阪を去っており、
しんしんと寒さが染みてくる……。
tag : つぶやき
非忠臣蔵
古川智映子の『小説 土佐堀川 ―広岡浅子の生涯』を読了。
小説としては喰い足りないけれど、広岡浅子(1849~1919)の
生涯を一読で理解するには便利な本です。ふと気になり出すと、
相棒のシャープ製「Linux Zaurus(C860)」の先行きを案じて、
予備の1機をネット・オークションで落札。発売されたのは平成
15年(2003)11月末でしたか……何もかも懐かしい。もしかして、
それが最後の相棒になりそう。在庫が払底するより何より先に、
ぼくが(……因みにSL-C760 も1機、キープしていますよ)。
ガイド絡みで、大阪の中世について学習中ですが、まとまった
書籍が無く、手を付けあぐねていたところ、Amazon に注文して
いたハード・カバー1部が配達されてきました。これで切り崩して
いけるかなあ。もう1冊、カートに入れて注文してみましょう。が、
何故か、余裕をかまし、山田風太郎の忠臣蔵の頁を捲る、と。
小説としては喰い足りないけれど、広岡浅子(1849~1919)の
生涯を一読で理解するには便利な本です。ふと気になり出すと、
相棒のシャープ製「Linux Zaurus(C860)」の先行きを案じて、
予備の1機をネット・オークションで落札。発売されたのは平成
15年(2003)11月末でしたか……何もかも懐かしい。もしかして、
それが最後の相棒になりそう。在庫が払底するより何より先に、
ぼくが(……因みにSL-C760 も1機、キープしていますよ)。
ガイド絡みで、大阪の中世について学習中ですが、まとまった
書籍が無く、手を付けあぐねていたところ、Amazon に注文して
いたハード・カバー1部が配達されてきました。これで切り崩して
いけるかなあ。もう1冊、カートに入れて注文してみましょう。が、
何故か、余裕をかまし、山田風太郎の忠臣蔵の頁を捲る、と。
溝之側横断歩道橋
これまで、天満堀川に架かる(架かっていた)橋を
気の向くままに取り上げてきました。基本的には、
15の橋が在ったといわれていますが(もう1本の
謎の橋 については調査中)、「太平(たいへい)橋」、
「樽屋橋」、「堀川橋」、「寺町橋」、「綿屋橋」、
「梅ヶ枝橋」(改めて、記事を1本仕立て直すかな)、
「夫婦橋」(現在も調査続行中の物件)はログ参照。
☆
「浪花百景」の頃であれば、大川(旧・
淀川)右岸に天満青物市場が在って、
その西側が“市之側”と呼ばれていた
ようです。青物市場が無くなってからも
天満橋と天神橋の間(大川北岸)は、
市之側と呼ばれていたことが、大正
3年の地図で確かめられます。そこから
本題に入るのですが、市之側のさらに
北側が“溝之側”と呼ばれていたらしい
です(現在、古地図では未確認)。「堀川橋」と「寺町橋」の間辺り、溝之側筋(?!)に
架かっていた橋が「溝側橋」とされまして、当然、現在は跡形も無いのですけれど、その
位置に「溝之側横断歩道橋」が架かっている訳ですよ。自転車も渡れる仕様ですが、
阪神高速道路の高架下で、圧迫感を受け、あまり愉快な心持ちにはなれません。昔は、
浮浪者が段ボールを持ち込んでいた時期もありましたかねえ。何とかしてあげたいな。
気の向くままに取り上げてきました。基本的には、
15の橋が在ったといわれていますが(もう1本の
謎の橋 については調査中)、「太平(たいへい)橋」、
「樽屋橋」、「堀川橋」、「寺町橋」、「綿屋橋」、
「梅ヶ枝橋」(改めて、記事を1本仕立て直すかな)、
「夫婦橋」(現在も調査続行中の物件)はログ参照。
☆

淀川)右岸に天満青物市場が在って、
その西側が“市之側”と呼ばれていた
ようです。青物市場が無くなってからも
天満橋と天神橋の間(大川北岸)は、
市之側と呼ばれていたことが、大正
3年の地図で確かめられます。そこから
本題に入るのですが、市之側のさらに
北側が“溝之側”と呼ばれていたらしい
です(現在、古地図では未確認)。「堀川橋」と「寺町橋」の間辺り、溝之側筋(?!)に
架かっていた橋が「溝側橋」とされまして、当然、現在は跡形も無いのですけれど、その
位置に「溝之側横断歩道橋」が架かっている訳ですよ。自転車も渡れる仕様ですが、
阪神高速道路の高架下で、圧迫感を受け、あまり愉快な心持ちにはなれません。昔は、
浮浪者が段ボールを持ち込んでいた時期もありましたかねえ。何とかしてあげたいな。
tag : 橋
極月ミニ
今日は余裕を持って、門戸厄神へ出掛けました。
最近お気に入りの厨二病パーカーを羽織ってね。
18時30分から、「門戸寄席(J:SPACE)」にて
「桂文鹿ミニ独演会」開催です。スタンプ・カードに
12個押印してもらい、コンプリート。特製サイン入り
手拭いやシール等を頂けるとのことで、密かに楽しみ
ではあったのですけれども。まずは、文鹿さんから
「看板の一(ピン)」。オリジナル(短縮版?!)のサゲが
ずばっと決まり、良い流れで、開口二番が桂雪鹿の
「持参金」。非常に上手くなっていると思います。
続いて、文鹿さんが笑福亭たま・原案の「消防士」。
上方落語協会を脱退してから、文鹿さんと組んでの
二人会に付き合ってくれるのが、笑福亭由瓶、たま、
桂雀太――3人の気●いだと、笑かしてくれました。
中入りの後、「瘤弁慶」で締めています。来年も同じ
ハコで、月例の独演会を行うのかと思っていたらば、
次は無いらしい。毎月3本、計36本のネタを披露して
くれて、有り難かったけれど、門戸厄神へ通うのは
今回で最後だったみたい。皆で打ち上げでもしようか
という話が出ていましたが、ぼくは記念品を頂きも
せず、寒風に吹かれて、ホームで阪急電車を待ち。
最近お気に入りの厨二病パーカーを羽織ってね。
18時30分から、「門戸寄席(J:SPACE)」にて
「桂文鹿ミニ独演会」開催です。スタンプ・カードに
12個押印してもらい、コンプリート。特製サイン入り
手拭いやシール等を頂けるとのことで、密かに楽しみ
ではあったのですけれども。まずは、文鹿さんから
「看板の一(ピン)」。オリジナル(短縮版?!)のサゲが
ずばっと決まり、良い流れで、開口二番が桂雪鹿の
「持参金」。非常に上手くなっていると思います。
続いて、文鹿さんが笑福亭たま・原案の「消防士」。
上方落語協会を脱退してから、文鹿さんと組んでの
二人会に付き合ってくれるのが、笑福亭由瓶、たま、
桂雀太――3人の気●いだと、笑かしてくれました。
中入りの後、「瘤弁慶」で締めています。来年も同じ
ハコで、月例の独演会を行うのかと思っていたらば、
次は無いらしい。毎月3本、計36本のネタを披露して
くれて、有り難かったけれど、門戸厄神へ通うのは
今回で最後だったみたい。皆で打ち上げでもしようか
という話が出ていましたが、ぼくは記念品を頂きも
せず、寒風に吹かれて、ホームで阪急電車を待ち。
tag : 落語
健診森厳
11時から「大阪中央病院」にて、健康診断。
前日、「オオサカガーデンシティ」は散策した
ばかりなのですが、連日の訪問となりました。
予約から診察当日まで間が無かったために、
10時半頃には9階に上がって、問診票を記入。
深夜業健診とあって、採尿(尿蛋白/尿糖/
尿潜血)、聴打診、胸部X線、腹囲、心電図、
身体計測、視力、血圧の受診のみに留まり、
30分程度で終了です。Osaka Metro・谷町線に
東梅田から乗ると、大阪天満宮で下車。同宮の
石碑、歌碑・句碑等を見た後、霊符筋へ回って
歩を進めました。まだ利用していないカレー店の
位置を確かめ、「北辰ビル」(どうにか、記事に
まとめられる手応え)や「錦地蔵尊」に詣でて
帰宅しますと、腰を休めんと、夕刻までシエスタ。
前日、「オオサカガーデンシティ」は散策した
ばかりなのですが、連日の訪問となりました。
予約から診察当日まで間が無かったために、
10時半頃には9階に上がって、問診票を記入。
深夜業健診とあって、採尿(尿蛋白/尿糖/
尿潜血)、聴打診、胸部X線、腹囲、心電図、
身体計測、視力、血圧の受診のみに留まり、
30分程度で終了です。Osaka Metro・谷町線に
東梅田から乗ると、大阪天満宮で下車。同宮の
石碑、歌碑・句碑等を見た後、霊符筋へ回って
歩を進めました。まだ利用していないカレー店の
位置を確かめ、「北辰ビル」(どうにか、記事に
まとめられる手応え)や「錦地蔵尊」に詣でて
帰宅しますと、腰を休めんと、夕刻までシエスタ。
Grateful
12月12日(月)13時15分から、「大阪区民カレッジ」
北校のまち歩き講座「地下迷宮・うめ地下探訪」を実施
しています。コース自体は前年の「北区ぶらぶら」を踏襲。
今夏の自主勉強会でも歩き倒し、調べ尽くしているので、
内容自体に不安は無いのです(それでも、スクリプト作成で
ほぼ徹夜)。約2時間前には現地に入り、自分が担当する
コースを2巡ほどしてみました。「紀伊國屋書店」から「阪急
三番街」を回って、「ディアモール大阪」円形広場までを
スポット解説込みで、45分ぎりぎりという所感。円形広場の
女神はぐるぐる巻きにされ、人目に触れないように隠されて
いました(右画像は、「ディアモール大阪」のアトリウム)…
…さて本番では、危惧されたとおり、「HANKYU BRICK
MUSEUM」に皆が喰い付き、同じ「阪急三番街」北館の
B2F、「ポポンデッタ」脇のトイレに駆け込む学生が続出して
10分超のロス。致し方ないながら、臍(ほぞ)を噛んだ次第。
後半を担当したRさんに 不本意なバトン・タッチとなり、
しょんぼり。その後も、歩き疲れた学生が1人、また2人と
脱落していき、満身創痍のゴール(元気な人は元気です
けれども)。10月の区民カレッジのような絶望感に陥らない、
とはいえ、どう改良したものやら……。現役カレッジ生にして、
サポートもこなしてくれたKさんには、頭が上がらず。Grateful!

北校のまち歩き講座「地下迷宮・うめ地下探訪」を実施
しています。コース自体は前年の「北区ぶらぶら」を踏襲。
今夏の自主勉強会でも歩き倒し、調べ尽くしているので、
内容自体に不安は無いのです(それでも、スクリプト作成で
ほぼ徹夜)。約2時間前には現地に入り、自分が担当する
コースを2巡ほどしてみました。「紀伊國屋書店」から「阪急
三番街」を回って、「ディアモール大阪」円形広場までを
スポット解説込みで、45分ぎりぎりという所感。円形広場の
女神はぐるぐる巻きにされ、人目に触れないように隠されて
いました(右画像は、「ディアモール大阪」のアトリウム)…
…さて本番では、危惧されたとおり、「HANKYU BRICK
MUSEUM」に皆が喰い付き、同じ「阪急三番街」北館の
B2F、「ポポンデッタ」脇のトイレに駆け込む学生が続出して
10分超のロス。致し方ないながら、臍(ほぞ)を噛んだ次第。
後半を担当したRさんに 不本意なバトン・タッチとなり、
しょんぼり。その後も、歩き疲れた学生が1人、また2人と
脱落していき、満身創痍のゴール(元気な人は元気です
けれども)。10月の区民カレッジのような絶望感に陥らない、
とはいえ、どう改良したものやら……。現役カレッジ生にして、
サポートもこなしてくれたKさんには、頭が上がらず。Grateful!
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術