寝たきり探偵
台風第2号の影響で、一日中雨に降り籠められて、
銀行窓口に出向いた以外は、部屋でPCに向かい、
文久3年(1863)の「改正増補 国宝大阪全図」を
弄り倒していましたよ。印刷するため、コンビニエンス
・ストアに向かう際、郵便受けに入っていた 『日本
相場師列伝』 と 『西遊草』 にほくそ笑む一方で、
郵便物の不在連絡票に溜め息。日中は在宅して
いたから、受け取れたはずが、気付けなかったのね。
某氏のブログに記されていた地主・阿部彦太郎が、
明らかに阿部彦(2代目)を指し示しているので、
(釣られているのか?と疑いつつも)歴史探偵として
コメントを出してみました。説明板が設けられても、
謎は解けないままですから。初代もまた、堂島浜に
住まい、「内外綿(株式会社)」の初代社長でもあり、
五代友厚や広瀬宰平とつながっているのだなあ。
氷解しない謎はそのまま、次々に新たな発見物が。
近日再び、現場に足を運ばねばならない探偵です。
明日のまち歩きは中止ですが、ぼくは岸和田行き。
銀行窓口に出向いた以外は、部屋でPCに向かい、
文久3年(1863)の「改正増補 国宝大阪全図」を
弄り倒していましたよ。印刷するため、コンビニエンス
・ストアに向かう際、郵便受けに入っていた 『日本
相場師列伝』 と 『西遊草』 にほくそ笑む一方で、
郵便物の不在連絡票に溜め息。日中は在宅して
いたから、受け取れたはずが、気付けなかったのね。
某氏のブログに記されていた地主・阿部彦太郎が、
明らかに阿部彦(2代目)を指し示しているので、
(釣られているのか?と疑いつつも)歴史探偵として
コメントを出してみました。説明板が設けられても、
謎は解けないままですから。初代もまた、堂島浜に
住まい、「内外綿(株式会社)」の初代社長でもあり、
五代友厚や広瀬宰平とつながっているのだなあ。
氷解しない謎はそのまま、次々に新たな発見物が。
近日再び、現場に足を運ばねばならない探偵です。
明日のまち歩きは中止ですが、ぼくは岸和田行き。
スポンサーサイト
tag : 地図
極楽橋(大阪市城東区)
6月に入ったことではあるし、台風第2号
も近付いているし、5月のネタを片して
おかないと……寝屋川に架かる大阪市
城東区の「極楽橋」が右画像。北詰の
近くには、「旧野崎道の跡」や、(今福
小学校内に)「室戸台風を偲ぶ」碑が
建っていました。「極楽橋」という橋名は
ありがちでして、大阪城にも架けられて
いますし、様々な寺社の小橋に限らず、
寝屋川市内にも寝屋川に架かる同名の
橋が存在するので、ややこしい限りなのです。
![]() |
「極楽橋」北詰の西側から(5月9日撮影分) |
も近付いているし、5月のネタを片して
おかないと……寝屋川に架かる大阪市
城東区の「極楽橋」が右画像。北詰の
近くには、「旧野崎道の跡」や、(今福
小学校内に)「室戸台風を偲ぶ」碑が
建っていました。「極楽橋」という橋名は
ありがちでして、大阪城にも架けられて
いますし、様々な寺社の小橋に限らず、
寝屋川市内にも寝屋川に架かる同名の
橋が存在するので、ややこしい限りなのです。
時かけ
3月下旬頃に携帯電話を替えたことから(同一機種)、
電話帳のデータが飛んでいるため、電話口に出て
よいのかどうか、わからない着信履歴に脅されたり
します。老父に電話を入れてみれば、高校時代の
旧友から電話が入っていたそうで、ぼくからは連絡
しようがないし、今頃、何なんだろう? ぼんやりと
した不安しかないのよね。昨夜は大林宣彦(1938
~2020)監督の『時をかける少女』(1983)を鑑賞。
最初からアナクロニズムを狙っているので、劣化は
最小限。原田知世が演じたような女子高生は現代も
いないし、当時も存在しておらず……対照作品として
TV作品「月曜ドラマランド」の同名作(1985)も観て
います。主演は南野陽子。本田博太郎が懐かしい。
電話帳のデータが飛んでいるため、電話口に出て
よいのかどうか、わからない着信履歴に脅されたり
します。老父に電話を入れてみれば、高校時代の
旧友から電話が入っていたそうで、ぼくからは連絡
しようがないし、今頃、何なんだろう? ぼんやりと
した不安しかないのよね。昨夜は大林宣彦(1938
~2020)監督の『時をかける少女』(1983)を鑑賞。
最初からアナクロニズムを狙っているので、劣化は
最小限。原田知世が演じたような女子高生は現代も
いないし、当時も存在しておらず……対照作品として
TV作品「月曜ドラマランド」の同名作(1985)も観て
います。主演は南野陽子。本田博太郎が懐かしい。
プロアマ談義
週末土曜日に実施される「大阪SGGクラブ」まち歩きの
下見に参加しました。10時に「紀伊國屋書店」前を出発
して、正午に「グランフロント大阪」南館で解散するコース。
Nさんの案内でしたから、満遍なく笑かしていただきます。
「新梅田食道街」に移動し、「しおや」本店の2階で昼食?!
プロとアマチュアの違いは何? と意見の微妙な相違が
興味深く、対価(報酬)が発生すれば「プロ」と言うのですが、
パートやアルバイトに対して「プロ」は躊躇するなあ。職業の
一形態ではありますけれど、それで“喰える”、生計の資と
ならなれければ、プロフェッショナルでないというのが実感。
例えば、同人誌を売っていくばくかの代価を得ても、それで
食べてはいけません。だから、「同人作家」と自嘲気味に
呟き、日々の仕事に勤しむしかない訳。正業からリタイアし、
自分の好きなことをプライドをもって実践できていれば、プロ
だろうが、アマチュアだろうが、悠々自適に達観できますし、
プロを超えたアマチュア気分を堪能できるのかもしれません
が、日々の生活に追われるぼくには苦味が残る……午睡を
取った後、相方と「双月」(大阪市北区天神橋3-9−9)に
入り、お好み焼きを摘まみながら、「箕面ビール」を呑み。
下見に参加しました。10時に「紀伊國屋書店」前を出発
して、正午に「グランフロント大阪」南館で解散するコース。
Nさんの案内でしたから、満遍なく笑かしていただきます。
「新梅田食道街」に移動し、「しおや」本店の2階で昼食?!
プロとアマチュアの違いは何? と意見の微妙な相違が
興味深く、対価(報酬)が発生すれば「プロ」と言うのですが、
パートやアルバイトに対して「プロ」は躊躇するなあ。職業の
一形態ではありますけれど、それで“喰える”、生計の資と
ならなれければ、プロフェッショナルでないというのが実感。
例えば、同人誌を売っていくばくかの代価を得ても、それで
食べてはいけません。だから、「同人作家」と自嘲気味に
呟き、日々の仕事に勤しむしかない訳。正業からリタイアし、
自分の好きなことをプライドをもって実践できていれば、プロ
だろうが、アマチュアだろうが、悠々自適に達観できますし、
プロを超えたアマチュア気分を堪能できるのかもしれません
が、日々の生活に追われるぼくには苦味が残る……午睡を
取った後、相方と「双月」(大阪市北区天神橋3-9−9)に
入り、お好み焼きを摘まみながら、「箕面ビール」を呑み。
清水谷橋
“日本遺産のある町”――奈良県高市郡高取町を
流れる吉備川(だと思われるのですが、標記の
橋の親柱には「壺阪川」と書かれていました)に
架かっていたのが「清水谷橋」(右画像)です。
県道119号(飛鳥清水谷線)を下りてきまして、
清水谷交差点で国道169号と合流。169号を
南下して行くと、吉備川(壺阪川?!)を渡る個所が
在り、さりげなく架橋されていました。川縁には、
ハーブ類や薬草が自生しているような趣があり、
思わず足を止めてしまいましたが、しばらく北へ進むと、「新生薬品工業」高取工場が
左手に現れ、栽培していた薬用植物が周辺で野生化しているのではないか?と妄想。
さて、吉備川は曽我川の一支流であり、曽我川は大和川中流部の支流でありました。

流れる吉備川(だと思われるのですが、標記の
橋の親柱には「壺阪川」と書かれていました)に
架かっていたのが「清水谷橋」(右画像)です。
県道119号(飛鳥清水谷線)を下りてきまして、
清水谷交差点で国道169号と合流。169号を
南下して行くと、吉備川(壺阪川?!)を渡る個所が
在り、さりげなく架橋されていました。川縁には、
ハーブ類や薬草が自生しているような趣があり、
思わず足を止めてしまいましたが、しばらく北へ進むと、「新生薬品工業」高取工場が
左手に現れ、栽培していた薬用植物が周辺で野生化しているのではないか?と妄想。
さて、吉備川は曽我川の一支流であり、曽我川は大和川中流部の支流でありました。
tag : 橋
鷹鞭橋
一昨日(26日)、中之島の「越中橋」を渡った先、
南詰の東袂に 大ぶりの白い花を咲かせている
タイサンボク(泰山木――牧野富太郎博士は
「大盞木」説を唱えています)を目にし、先週、
壺阪山で見たウツギの花に連想が飛びます。
貴方と一緒に目に留めた花、一緒に歩いた道、
一緒に渡った橋……いつまで貴方は覚えていて
くれるかしら。歩いて渡った橋でなく、通り過ぎた
だけで終わりましたが、右画像は奈良県高市郡
高取町の吉備川に架かる「鷹鞭橋」です。往古、“鷹鞭(たかむち)” と呼ばれていた
地名が “鷹鳥” ⇒ “高取” と変化したといいます。県道119号(飛鳥清水谷線)を
北西に下りていく途中、北方に架かっていました。渡らなかった橋までも記憶に留め。

南詰の東袂に 大ぶりの白い花を咲かせている
タイサンボク(泰山木――牧野富太郎博士は
「大盞木」説を唱えています)を目にし、先週、
壺阪山で見たウツギの花に連想が飛びます。
貴方と一緒に目に留めた花、一緒に歩いた道、
一緒に渡った橋……いつまで貴方は覚えていて
くれるかしら。歩いて渡った橋でなく、通り過ぎた
だけで終わりましたが、右画像は奈良県高市郡
高取町の吉備川に架かる「鷹鞭橋」です。往古、“鷹鞭(たかむち)” と呼ばれていた
地名が “鷹鳥” ⇒ “高取” と変化したといいます。県道119号(飛鳥清水谷線)を
北西に下りていく途中、北方に架かっていました。渡らなかった橋までも記憶に留め。
蔵屋敷跡
5月27日(土)、半ドンで上がれるようなシフトを
組んでいました。Osaka Metro・御堂筋線で、
なんばへ移動します。「OCAT(大阪シティエア
ターミナル)」4Fの「SHANKH」でランチを取って、
13時30分から、3Fの「難波市民学習センター」で
「古地図で愉しむ大阪 ~蔵屋敷は大阪に
何を残したか~」を受講。講師は「大阪あそ歩」
公認ガイドの酒井裕一氏。“まち歩きのススメ”の
一環とあって、古地図の世界に深く踏み込む一歩
手前のところで終始した感はあります。同氏の
ブログ「今週の今昔館」をよく参照しているせいか、
新ネタも無かったかなあ。逆に、ぼく自身が現在、
どのレベルまで来ているのか、試されている悪寒。
周りはつれない人ばかりに見える この頃でもあり。
組んでいました。Osaka Metro・御堂筋線で、
なんばへ移動します。「OCAT(大阪シティエア
ターミナル)」4Fの「SHANKH」でランチを取って、
13時30分から、3Fの「難波市民学習センター」で
「古地図で愉しむ大阪 ~蔵屋敷は大阪に
何を残したか~」を受講。講師は「大阪あそ歩」
公認ガイドの酒井裕一氏。“まち歩きのススメ”の
一環とあって、古地図の世界に深く踏み込む一歩
手前のところで終始した感はあります。同氏の
ブログ「今週の今昔館」をよく参照しているせいか、
新ネタも無かったかなあ。逆に、ぼく自身が現在、
どのレベルまで来ているのか、試されている悪寒。
周りはつれない人ばかりに見える この頃でもあり。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
接種/健診
10時半に予約を入れていたので、Osaka Metro に乗って、
扇町から谷町四丁目へ向かいます。集団接種会場と異なり、
大々的に周知されておらず、「大阪国際がんセンター」まで
尋ねに行く始末。接種場所の「マサキここちクリニック」は
ホテル「プリムローズ大阪」(大阪府大阪市中央区大手前
3−1−43)の3Fに入っていました。結婚式場と同じフロアか
……6回目となる新型コロナワクチン接種(スパイクバックス
筋注)を済ませると、東側に位置する「舎密局跡」を訪れ、
「大阪歴史博物館」にも足を運んだ後、東梅田へ移動を図り。
☆
13時からは、「大阪中央病院」にて健康診断の予約を入れて
いたのです。腹部エコー検査やバリウム(上部消化管造影
検査)で手古摺りましたけれど、14時半頃には終了。左耳で
高音を聴き取りにくくなっているかもしれません。15時過ぎ、
相方と合流し、「西梅田公園」~堂島掘割筋~堂島浜通から
「田蓑橋」を渡り、中之島通を西進。「近代製紙業発祥の地」
前を過り、「越中橋」を渡りました。旧土佐堀通を東へ進んで、
肥後橋界隈を徘徊。「飛行船スタイル」や「柳々堂書店」で
買い物すれば、17時を回りまして、「京町酒房」で一休み。
扇町から谷町四丁目へ向かいます。集団接種会場と異なり、
大々的に周知されておらず、「大阪国際がんセンター」まで
尋ねに行く始末。接種場所の「マサキここちクリニック」は
ホテル「プリムローズ大阪」(大阪府大阪市中央区大手前
3−1−43)の3Fに入っていました。結婚式場と同じフロアか
……6回目となる新型コロナワクチン接種(スパイクバックス
筋注)を済ませると、東側に位置する「舎密局跡」を訪れ、
「大阪歴史博物館」にも足を運んだ後、東梅田へ移動を図り。
☆
13時からは、「大阪中央病院」にて健康診断の予約を入れて
いたのです。腹部エコー検査やバリウム(上部消化管造影
検査)で手古摺りましたけれど、14時半頃には終了。左耳で
高音を聴き取りにくくなっているかもしれません。15時過ぎ、
相方と合流し、「西梅田公園」~堂島掘割筋~堂島浜通から
「田蓑橋」を渡り、中之島通を西進。「近代製紙業発祥の地」
前を過り、「越中橋」を渡りました。旧土佐堀通を東へ進んで、
肥後橋界隈を徘徊。「飛行船スタイル」や「柳々堂書店」で
買い物すれば、17時を回りまして、「京町酒房」で一休み。
阿部彦太郎之像
連日、山中や街中を歩き続けていたせいで、顔や前腕が
日焼けして、ひりひり痛みます。疲れを隠しての出勤です
が、昼食時間には、堂島エリア【堂島浜】24H自転車専用
駐車場に赴きました。謎の銅像の正体が判明した――と
報告が上がっていましたから(インターネット上においては
4月2日付の個人ブログで、同様の内容を確認済み)。
建設局にメールで問い合わせたり、関係部署と思われる
連絡先に電凸した甲斐があったのかしら? 春先から
銅像の足下に(取って付けたような)説明板が設置されて
いるのでありました。「阿部彦太郎之像」とあります。
初代(1840~1904)相場師 “阿部彦”将軍と、「北浜の
聖人」と呼ばれた2代目(1879~1965)がおり、2代目の
銅像にしては、昭和10年(1935)の『関西名士写真録』
(国勢協会)の画像と風貌が異なっているようにも見え、
何とも、歯痒く……まずは、銅像探偵団に連携しました。
(「阿部彦太郎之像」以下の説明文を転記します)
☆
阿部彦太郎(1879-1965)
明治12年滋賀県に生まれ、市立大阪高等商業(大阪市立大)から慶應義塾に学び欧米に渡る。
のち英国に約5年滞在し経済界の実情を視察する。
手堅い現物商いをモットーとした大型優良株に資産を投じ、大株主として役員に名を連ねた。
大阪商船、大阪製麻、日本生命などの取締役を務め、東洋紡績、角一山林の監査役も務めるなど
日本経済の近代化を支援した。
公共事業に対しても熱心な支援者で数々の事業に寄進。

日焼けして、ひりひり痛みます。疲れを隠しての出勤です
が、昼食時間には、堂島エリア【堂島浜】24H自転車専用
駐車場に赴きました。謎の銅像の正体が判明した――と
報告が上がっていましたから(インターネット上においては
4月2日付の個人ブログで、同様の内容を確認済み)。
建設局にメールで問い合わせたり、関係部署と思われる
連絡先に電凸した甲斐があったのかしら? 春先から
銅像の足下に(取って付けたような)説明板が設置されて
いるのでありました。「阿部彦太郎之像」とあります。
初代(1840~1904)相場師 “阿部彦”将軍と、「北浜の
聖人」と呼ばれた2代目(1879~1965)がおり、2代目の
銅像にしては、昭和10年(1935)の『関西名士写真録』
(国勢協会)の画像と風貌が異なっているようにも見え、
何とも、歯痒く……まずは、銅像探偵団に連携しました。
(「阿部彦太郎之像」以下の説明文を転記します)
☆
阿部彦太郎(1879-1965)
明治12年滋賀県に生まれ、市立大阪高等商業(大阪市立大)から慶應義塾に学び欧米に渡る。
のち英国に約5年滞在し経済界の実情を視察する。
手堅い現物商いをモットーとした大型優良株に資産を投じ、大株主として役員に名を連ねた。
大阪商船、大阪製麻、日本生命などの取締役を務め、東洋紡績、角一山林の監査役も務めるなど
日本経済の近代化を支援した。
公共事業に対しても熱心な支援者で数々の事業に寄進。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
tag : 史跡
下高野街道(3)
朝9時には、近鉄・南大阪線の針中野駅に到着して、
「三菱UFJ銀行」窓口で現金を引き出す腹積もりが、
針中野支店が統合されて、無くなっていましてねえ。
キャッシュ・カードの再発行を怠ったことを悔やみつつ、
阿部野橋(天王寺)まで後戻ると、再び、針中野駅へ
舞い戻り、集合時刻(10時)10分前ぎりぎりに到着。
☆
5月24日(水)、歴史街道ウォーク
「下高野街道(2)」の始まりです。
しばらく、駒川沿いに南下。「東八橋」
~「百済大橋」~「修徳橋」~「常徳
橋」を確認しました。「常徳寺」付近で
東へ折れ、「酒君塚」に登りますよ。
「隋願地蔵尊」を見て、再び南下。
昔の街道らしい細い道に入り込み、
「雲茎(うんきょう)寺」や「満願地蔵尊」
を経て、左(東)に曲がり、「素盞嗚尊神社(鷹合神社)」に至ります。大通り(内環状線
/長居公園通)を横断し、「スシロー」や「マンダイ」を左手に南進。並び立つ「西光寺」
と「光西寺」に幻惑されつつ、「賽の神社」で立ち止まりました。祭神は「大将軍社」
(in 大阪天満宮)でも知られる八衢比古神、八衢比売神、来名戸神――道祖神のよう
ですけれども、“石”にまつわる伝承も残されており、再調査が必要な物件でしょう。
「光明寺」も過ぎ、「下高野橋」から大和川を渡ります。北詰近くには、阪和貨物線の
跡が在りまして、大和川上流に「近鉄大和川橋梁」、下流には「行基大橋」を眺める
ことが出来るのでした。大和川の左岸を流れる今井戸川に架かる「七郷橋」を渡って
(本来は「下七郷橋」を渡りたかった……)、「阿麻美許曽神社」に参拝。御朱印を
頂き、七郷の由来を聴けるなどして、非常に有意義。同社は矢田村の氏神であった
ため、大和川以南ながらも松原市ではなく、飛び地のように大阪市(東住吉区矢田
7丁目6−18)に属しています。神社の東側を下高野街道が走っていた訳で、さらに
南側の参道部分(約600m)も大阪市内となります。クスノキの大木に目が行きがち
ですが、地図を見るだけでも飽きることがありません。その後、「関西出雲久多美
神社」や「安楽寺」を横目に、「天美小学校」近くの道標などを押さえて、近鉄・南大阪
線の河内天美駅前で解散。既に松原市内でしたから、ぼくはマンホール蓋に釘付け。
「三菱UFJ銀行」窓口で現金を引き出す腹積もりが、
針中野支店が統合されて、無くなっていましてねえ。
キャッシュ・カードの再発行を怠ったことを悔やみつつ、
阿部野橋(天王寺)まで後戻ると、再び、針中野駅へ
舞い戻り、集合時刻(10時)10分前ぎりぎりに到着。
☆

「下高野街道(2)」の始まりです。
しばらく、駒川沿いに南下。「東八橋」
~「百済大橋」~「修徳橋」~「常徳
橋」を確認しました。「常徳寺」付近で
東へ折れ、「酒君塚」に登りますよ。
「隋願地蔵尊」を見て、再び南下。
昔の街道らしい細い道に入り込み、
「雲茎(うんきょう)寺」や「満願地蔵尊」
を経て、左(東)に曲がり、「素盞嗚尊神社(鷹合神社)」に至ります。大通り(内環状線
/長居公園通)を横断し、「スシロー」や「マンダイ」を左手に南進。並び立つ「西光寺」
と「光西寺」に幻惑されつつ、「賽の神社」で立ち止まりました。祭神は「大将軍社」
(in 大阪天満宮)でも知られる八衢比古神、八衢比売神、来名戸神――道祖神のよう
ですけれども、“石”にまつわる伝承も残されており、再調査が必要な物件でしょう。
「光明寺」も過ぎ、「下高野橋」から大和川を渡ります。北詰近くには、阪和貨物線の
跡が在りまして、大和川上流に「近鉄大和川橋梁」、下流には「行基大橋」を眺める
ことが出来るのでした。大和川の左岸を流れる今井戸川に架かる「七郷橋」を渡って
(本来は「下七郷橋」を渡りたかった……)、「阿麻美許曽神社」に参拝。御朱印を
頂き、七郷の由来を聴けるなどして、非常に有意義。同社は矢田村の氏神であった
ため、大和川以南ながらも松原市ではなく、飛び地のように大阪市(東住吉区矢田
7丁目6−18)に属しています。神社の東側を下高野街道が走っていた訳で、さらに
南側の参道部分(約600m)も大阪市内となります。クスノキの大木に目が行きがち
ですが、地図を見るだけでも飽きることがありません。その後、「関西出雲久多美
神社」や「安楽寺」を横目に、「天美小学校」近くの道標などを押さえて、近鉄・南大阪
線の河内天美駅前で解散。既に松原市内でしたから、ぼくはマンホール蓋に釘付け。