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弁慶と綱

家を出ますと、交通機関を利用しようか2024_04_16_ベニバナトキワマンサク
迷いながら、結局・阪急・中津駅まで
歩いてしまいました。10時から、街歩き
(4月26日)の下見を実施するのですが、
今日はI さんの引率です。レジュメや
コースは決まっていても、人それぞれ。
中津中央公園」を出発して、「中津
商店街」を北上。右上画像は、カンテ・
グランデ
」中津本店
付近で見かけましたベニバナトキワマンサクの花。「中津公園」(中津リバーサイドコーポ)~「中津東
公園
」~「豊崎中公園」と東進して、「豊崎神社」で南へ折れました。「豊崎東公園
(=花の公園)」を過ぎ、「源光寺」の「真田家之墓」については、宿題としています。
予定より約40分を超過して、Osaka Metro・中崎町駅で一旦解散。「力餅食堂」中崎
店で軽食を取りました。「カンプリ」梅田堂山店(アクトⅢ内)でデータを出力した後、
Hさん、Gさんと「英國屋」でお茶。もう、16時も近かったでしょうか。眼鏡が要るなあ。
       ☆
2024_04_16_国立文楽劇場 相方と合流して、Osaka Metro に乗って、日本橋へ
 向かいました。なんばウォークの「冨士屋」で蕎麦を
 手繰って、「国立文楽劇場」に入っていきます。18時、
 「4月文楽公演」第3部の開演です。演目は「御所桜
 堀川夜討
」弁慶上使の段、「増補大江山」戻り橋の段
 ですよ。戻り橋はわかり易くて良し。若菜は竹本織太夫
 (人形役割:吉田一輔)、渡辺綱が豊竹靖太夫(同:
 吉田玉助)で、三味線は豊竹燕三他。弁慶上使は……
 大谷崎が痴呆芸術と貶すような、あざとい趣向に満ち
 満ちているので、観客の胆力が試されているように
 感じますねえ。切は竹本錣太夫が語り、母おわさを吉田
 和生、武蔵坊弁慶を吉田玉志が遣っていました。第2部の
市若初陣(の段)もそうでしたが、弁慶上使も、主人の身代わりに実子(息子や娘)の
首を討つという道理が腑に落ちません。単なる嗜虐趣味と解した方が健康的かもね。
“伝統芸能”の皮を被っていても、旧道徳の説教が主眼であったはずはなく、あくまで
当時の庶民の娯楽であった訳ですから、血や暴力への偏向は否定できないでしょう。
高尚なものと奉っている時点で、本質を見落としていますよ、とニーチェ読みは呟き。
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テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽樹木史跡おやつ蕎麦

いわさき

連日、朝からのシフトが組まれていて、2024_04_15_焼肉「いわさき」
多少の残業をしても、そう遅くはならず。
相方と焼肉いわさき」(大阪市北区
曽根崎1-7-22)に入店。瓶ビールで
まずは乾杯です。旧店名は「岩崎塾」。
そうとわかれば、お得な名物ホルモン
盛り合わせA(2,980円)を注文するよ。
A(右画像)が約4~5人前の1kgで、半分
相当のCもあり、Aでよいか?と店員に
念押しされたけれど、無問題。盛り合わせD(赤身260g)の他、諸々を注文して完食。
腸閉塞で悶絶してから1か月も経っていないのに、無茶ばかりして、いけませんよね。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag :

4 Eras

(大阪市北区)中津の画像を整理しているだけで、
時間の経過が凄まじく、何をしていることやら。
コンビニエンス・ストア(セブン‐イレブン)でA4の
カラー出力しようとすれば、1枚50円という価格が
悩ましく、数十枚単位になれば、別途PC使用料
(一例として15分200円)は掛かりますけれども、
「カンプリ」等を利用した方がよいようです。佐伯
祐三
、モンブラン伯、文楽関連の書籍を読み進め
ながら、日々の業務は業務でこなし、事業所を
出ますと、「大栄食堂」で夕飯。時系列地形図
閲覧ソフト「今昔マップ3」を今回も使いましょうか。

Time Leap in Nakatsu

テーマ : つぶやき
ジャンル : 日記

tag : 地図

第2号線

半ドンで事業所を抜けると、13時30分から「OCATビル」
4Fの「難波市民学習センター」にて、講座「古地図で
愉しむ大阪 ―大阪メトロ谷町線を歩く―
」を聴きました。
講師はいつもの酒井裕一氏。正味、Osaka Metro(=
大阪市高速電気軌道)というテーマは、得意分野?! と
なりつつあるので、新ネタとしての面白みに欠ける訳です
が、安心して復習できているという余裕を感じます。近頃、
どの古地図を持ち出されてきても、あの頃の地図だね、と
当たりを付けられるようにもなりました(それでも、手元に
置いておきたい古地図は多々あります)。今回は昭和11年
(1936)の「大大阪觀光地圖」(日文研データベース)が
活躍しましたよ。最後に質問が挙がった阪神(大阪)梅田
駅から阪急三番街へ通じていたという、奇妙な地下通路の
正体について、酒井氏と立ち話をした後、帰途に就きました。

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 講座地図

勇者光秀

11時開演の「4月文楽公演」第1部を聴きに出掛けました。
演目は「絵本太功記」二条城配膳の段/千本通光秀館の
段/夕顔棚の段/尼ヶ崎の段です。夕顔棚の段と尼ヶ崎の
段は馴染んでいますが、二条城配膳の段と光秀館の段は
新鮮でした。武智光秀(=史実の明智光秀)が“勇者”として
描かれるのはよいとして、諫める九野豊後守の首を斬っては
尾田春長(=織田信長)と大して変わらないよねえ……美化
され過ぎな真柴久吉(=羽柴秀吉)も気になりますし、今の
ぼくは、武智の大落としにさほど感じ入ることは出来ません。
尼ヶ崎の前は豊竹呂勢太夫・鶴澤清治、切は竹本千歳太夫
・豊澤富助。武智を吉田玉男が遣っていましたが、吉田玉翔
(森の蘭丸)、吉田玉勢(武智十次郎)に見入ってしまいます。
       ☆
日本橋からOsaka Metro に乗って(南森町で乗り換え)、
中崎町で下車。さらに、徒歩で中津まで移動。15時から
街歩きの下見を有志と行います。ぶらぶら漫歩するだけで、
土地勘の無い人にルートを覚えてもらうのが主目的です。
ようやっと「富島神社」で御朱印を頂きましたが、日付は
自分で書けと投げられ、索漠とした気分。17時過ぎ、皆と
中崎町で別れ、相方と「KING MAHAL」で夕食としました。

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽史跡カレー

追加祐三

過去記事「祐三の周辺史」に1行追加しました。
「大正14年(1925) 阪神北大阪線(野田~
天神橋筋)の営業開始」です。後に「天神橋筋
六丁目」となる停留場名も、当初は「天神橋筋」
でした。中津付近の北大阪線は、梅田貨物線
)によってルートが変更されており、元々は
南濱~北野(停留場)と直線で伸びていましたが、
梅田貨物駅を避けて、北側へ一旦折れるため、
中津陸橋」(国道176号)の東側に並んで乗越
橋が設けられ、阪神(北大阪線)中津駅も開業
した次第。「實地踏測 昭和改正大大阪市街
地圖
」(昭和2年頃)と「最新大大阪全圖」(昭和
18年)を見比べると一目瞭然。佐伯祐三が第一次
渡仏から帰国した年(1926)の3月、「光徳寺」に
しばらく滞在していますが、中津周辺の風景は如何?

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術地図

夜桜抜け

十一代目 豊竹若太夫 襲名披露
2024_04_09_桜の通り抜け
2024_04_09_桜宮橋

口上” の行われた「国立文楽劇場」を
後にすると、Osaka Metro・堺筋線で
日本橋から南森町まで移動しました。
相方と合流し、「造幣局」へ向かいます。
先週末に引き続いて「桜の通り抜け」。
今年は2回目。また、何度も足を運んで
きた「通り抜け」ですが、18時30分頃の
入場で、夜桜見物は初めてのような
気がしないでもなく……ただ、暖色系の
照明によって、全体に暗く見え、時代に
そぐわないかな(色町で観る桜のような
イメージ)。今年の花は「大手毬」です。
公園降り口から出ますと、ライト・アップ
された「桜宮橋(=銀橋)」の壮麗さに
息を呑みました。嗚呼、ぼくはまだ碌に
書き上げられていないよ。屋台は出て
おらず、「DIP RASNA」に入りました。

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 樹木年中行事カレー

若太夫復活

2024_04_09_国立文楽劇場 14時から開演の「4月文楽公演」第2部を聴きに出掛けて
 います。“国立文楽劇場開場40周年記念”となります。
 若い団体客が多く、ざわついていますが、客席が埋まって
 いるのは良いこと。「団子売」の杵造を語るのは、豊竹
 靖太夫。人形役割は杵造が吉田玉佳、お臼が吉田一輔
 でした。休憩後に、いよいよ、豊竹呂太夫改め 十一代目
 豊竹若太夫襲名披露口上……思いを馳せれば、7年前
 六代呂太夫の襲名披露口上でしたから感無量。大名跡の
 襲名に対して、竹本錣太夫、竹澤團七、桐竹勘十郎の
 お祝いの言葉も楽しかったのですが、それにしても、豊竹
 呂勢太夫の声が素晴らしくてね。1月31日に亡くなられた
 豊竹咲太夫の姿が無いのが寂しくはありましたけれど、
 襲名披露狂言は「和田合戦女舞鶴」。切は若太夫と鶴澤
 清介。与一の妻・板額を勘十郎、浅利与一を吉田玉志が
 遣っていました。「釣女」では豊竹芳穂太夫(太郎冠者)、
野澤錦糸を聴けて(2月23日以来)、嬉しくもあり。桐竹紋秀が療養につき、美女を桐竹
紋吉が遣っていました。醜女の豊竹清十郎の雰囲気が妙に砕けて見えたのは狙い?!

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽

祐三の周辺史

佐伯祐三(1898~1928)について、またぞろ、調べている
途中ですけれども、佐伯祐三の年譜は各種出回っている
とはいえ、ぼくの役には立ちません。私小説的な身辺雑記の
小ネタは不要で、祐三の生まれ育った風景、時代と場所を
浮き上がらせるための補助線が要るのです。当座の備忘録。
       ☆
明治7年(1874) 大阪~神戸間鉄道開通。初代大阪駅「梅田すてん所」が開業。
 現「中津小学校」が、西成区第三区第五番小学校として創立。
明治9年(1876) 京都~大阪間鉄道開業。
明治18年(1885) 淀川大洪水。
明治22年(1889) 大阪に市制施行(大阪市は特例実施)。
  その他の町村に町村制施行。中津村誕生。
 西成郡中津村立光立寺尋常小学校と改称(中津小学校)。
明治29年(1896) 淀川改良工事(~1910)。
明治34年(1901) 第2代・大阪駅が開業。
  明治29年(1896)着工。初代駅舎から約200m東。
明治35年(1902) 堂島中学校が北野芝田町に移転、大阪府立北野中学校と改称。
 北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)は昭和6年(1931)まで同地に在った。
明治37年(1904) 現在の大阪市立北スポーツセンター付近に
  中津尋常小学校が移転。中津尋常高等小学校と称する。
明治40年(1907) 赤松麟作、梅田(大阪駅裏)に「赤松研究所(洋画塾)を開設。
明治42年(1909) 新淀川完工式。
 北の大火、51町11,300余戸焼失。
明治43年(1910) 箕面有馬電気軌道(阪急)、梅田~宝塚、石橋~箕面間開通。
 武者小路実篤、志賀直哉らを中心に「白樺」が創刊される。
大正7年(1918) 大阪にも米騒動波及、警官・軍隊出動。
大正10年(1921) 大阪市役所、中之島に新築移転。
 大阪市立市民館、開館式。
 セツルメント施設「光徳寺善隣館」を開所。
大正12年(1923) 関東大震災。
大正14年(1925) 阪神北大阪線(野田~天神橋筋)の営業開始。
 阪神急行電鉄(阪急)の中津駅が開業。
大正15年(1926) 阪神急行電鉄(阪急)梅田~十三間が高架化。
  阪急・中津駅も高架駅となる。
昭和3年(1928) 阪神北大阪線の中津駅が開業。
 梅田貨物線(上淀川仮信号場~梅田駅間)が開業。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術小説

五代と鉱山王

織田作の『五代友厚』を読んでいて、このエピソードを知っている
と思い当たり、何のことはない。別のソースから、ぼく自身が昔、
記事を書いたことがある豆腐ネタだった訳で、十年以上を経て、
五代友厚と行き当たる(当時は五代が眼中にありませんでした)
奇縁に感じ入り……ただ、河出文庫版のせいか、わかりませんが、
誤植が多過ぎますねえ。年号や人名等の誤りは、本当に勘弁。
       ☆
 友厚の鉱山経営に就てはなお述べるべき一つの逸話がある。古河市兵衛との交渉である。
 古河市兵衛は天保三年三月十六日、京都岡崎で生れ、幼名を巳之助
(原文は之助)と言った。父の長右衛門は醸酒業を営んでいたが、失敗して市兵衛の生れた頃は天秤棒を担いで豆腐を売り歩いていた。市兵衛も十一歳の時には七歳の弟を連れて、岡崎村から白河辺まで、豆腐を売りに往った。十八歳の時、継母の兄で高利貸をしていた木村理助を頼って奥州盛岡へ行き、高利の取立に使われたが、のち鴻池屋支店の手代になった。鴻池屋は大阪鴻池家の分家草間伊助の支店で、当時南部藩の為替御用掛をしていた。ところが、間もなく鴻池屋がつぶれたので、市兵衛は伯父の肝入りで、小野組の店員であった古河太郎左衛門の養子になり彼も小野組に使われた。ところが、その小野組も明治七年に没落した。そこで市兵衛は殆んど無一文となって小野組を去り、再起の策として、秋田県下阿仁(あに)院内(いんない)其の他諸鉱山の開鑿を計画した。そうしてその稼行を政府へ出願しようとする段になって、市兵衛は既に友厚の手が半田銀山(福島県)から東北各地へ伸びていることを知った。市兵衛の出願した鉱山の一部も、既に友厚の経営に移ろうとしていた。
 市兵衛は友厚に請うた。市兵衛は明治三十三年の九月まで丁髷を切らなかったというから、当時なお昔のままの頭であった。友厚は鹿児島にいる兄の徳夫を想い出して、苦笑した。この漢学者もまた死ぬまで丁髷のままで通した人であった。当然、市兵衛の頭は友厚の開化思想と相容れない。が、友厚は市兵衛の請を容れて、稼行権を市兵衛に譲った。地下資源は国家の財宝である。鉱山業は一個人のいたずらに独占すべきものではないと思ったからである。そうして友厚は稼行権を譲ったばかりでなく、進んで援助した。鉱業人を養成して、民業を大いに弘めようという志からである。ひとつには、市兵衛の志を壮としたからであろう。友厚の眼からは市兵衛の丁髷はまさしく旧弊に見えたが、しかし「鉱山の機械は外国のものを使うが、この日本魂の看板だけは引き下さない」と市兵衛の口から聴いてみると、わが意を得なくもなかったのである。市兵衛の一途を貫く気性に惚れこんだかとも思われる。
 市兵衛はのちに足尾銅山を手に入れ、やがて鉱山王と呼ばれた。


参考文献:織田作之助『五代友厚』(河出文庫)

テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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