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こんにゃくでカテーテル実習

こんにゃくの予想をはるかに上回る利用法には事欠かない。当「こんにゃく横丁」でも兵器(2006年8月「風船爆弾」参照)、建築材(2011年3月「こんにゃくと平和」参照)など、こんにゃくの持つ様々な用途を伝えてきた。単なる健康食品、伝統食品にとどまらないこんにゃく八面六臂の活躍……今回は医療の現場でまた別な顔を見せる。カテーテル挿入の実習ができる訓練キットに、田舎こんにゃくが使用されているのだ。1月23日付「読売新聞」から要約しよう。

"体腔または膀胱・尿道・気管・食道・胃などに挿入して液体や内容の排出ないし薬液等の注入をはかるための管状の医療器具。ゴム・金属・プラスチックなどで作る"とされるカテーテル(『広辞苑』から引用)。このカテーテルを挿入する訓練キット「カテトレ」を開発したのは「鎌田スプリング」(本社=さいたま市)。針やガイドワイヤ5本、注射器、カテーテルなどがセットで、価格は1万2,600円。超音波スキャナーがあれば、研修医や医学生の実習に使える。

従来、カテーテル治療の一般的な実習に用いられてきたマネキン(人体模型)には、皮膚や血管やその周囲部分を模したシリコーン製パッドがはめ込まれ、パッドは高価な上、針を数回刺すと傷む代物だった。一体数十万〜数百万円と高価なため、台数がそろわず、多数回の練習にも使いにくかった。費用がかさむのを病院が嫌うので、マネキン練習を積まないまま、実地で患者を診る医師は少なくないという。以前から鎌田スプリングと医療機器の共同開発に当たっていた自治医科大学が、米国研究者がゼラチンを使った安価な人体模型を試作していることを知り、同社に模型作りを打診した。

しかし、ゼラチンでは人体に使う感触が再現できず、血管を模した穴もすぐに崩れてしまう。寒天で代用しても駄目。が、自治医大の地元(栃木)の「こんにゃくが使えたら面白いね」の冗談から急展開。水に浸ったこんにゃくは、超音波スキャナーの透過特性が人体と似ていて、内部を映せたのだ。そこから、さらに試行錯誤。おでん用は硬過ぎて使えず、刺し身用は軟らかくきめが細か過ぎ。対して、地元業者が手作りしている田舎こんにゃくは、人間の皮下脂肪に似た適度なきめがあり、ヒジキの粉を使った濃黒色はエコー映像をより鮮明にさせたのだった。

「ワイヤを挿入していく時の感覚が人体そっくり」とは自治医大側の弁。開発した模型や練習器具は30回以上も繰り返して使用でき、保存や廃棄も手間が要らない。価格も従来のマネキン等の20分の1程度と格安だ。

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「蒟蒻本」とは何か?

こんにゃく本」とは何か? 「蒟蒻版」とは意味合いが違う。『広辞苑』を引くと、蒟蒻版は"平版印刷の一種。ゼラチンとグリセリンを平皿に流し込んでゼリー状に固めたものに、塩基性染料で書いた原稿を転写して版を作り、これに湿り気を与えた紙を押し当てて印刷する。寒天版"とあり、寒天(版)の代わりに「もとは蒟蒻を用いたから」と具体的な理由を明記してある。

蒟蒻本は違う。『ドラえもん』の「ほんやくコンニャク」であるまいし、蒟蒻で本が出来ている訳ではさらさらない。『広辞苑』に当たると「洒落本の異称」。命名理由は「半紙本を半分にした大きさの本で、表紙の形と色とが蒟蒻に似ているから」とある。

しかし「洒落本」では、現代人にちとわかりづらい。さらに引くと"明和(1764〜1772)〜天明(1781〜1789)の頃を中心に、主として江戸で発達した小説の一様式。遊里文学で、対話を骨子とし、遊びの穿ちを主とする"と解かれている。リアルな物としての蒟蒻本に触れた体験に乏しいためか、隔靴掻痒の感は否めない。そこで、民俗学の先駆者ともいわれる山中共古(1850〜1928)考証本『砂払』を改めて手に取ろう。何を隠そう、この著書こそ、洒落本の濫読随録、すなわち蒟蒻本から当時の時代風俗を抜き書きしてまとめたもの。そもそも「砂払い」自体がこんにゃくの別名ではないか。

『砂払』は正確には「払砂録」など3篇6冊から成り、その「払砂録」序に、共古が自著に『砂払』と名付けた由来について触れている。

予は元来此類の書を好まざりしが、時代風俗を学ぶの一として(中略)、心覚へに何にとなく記し置けるもの、一冊となれり。思ふに『伊賀越』沼津の段に曰く。『しんどが利になる。蒟蒻の砂になるか』と。これこんにやくも砂を払ふの功あるを。よつて以て名とす。

結局はしんどいだけのこと。とはいえ、蒟蒻は砂(=身体の中の老廃物)を追い払いもするではないか――と、江戸趣味の洒落っ気から、蒟蒻/砂を逆手に取った表題であろう。

(共古自身は)好きではないけれども、体内の砂を払うにも似た効能があると認めざるを得なかった蒟蒻本。ひょっとしたらば、共古すら蒟蒻本に没頭してしまったように、見た目のサイズや色(薄茶色の無地)がこんにゃくに似ていたばかりでなく、その実益を認めていたからこそのネーミング・センスが本来の「蒟蒻本」という名称にも表れていたのではあるまいか。遊びがメインの遊里文学だからと馬鹿にするじゃないよ、そこにはひとつの時代風俗の真実があるよ、と。

参考文献:山中共古『砂払(上)』(岩波文庫)

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こんにゃく島の蒟蒻芸者

明和〜天文年間に流行した洒落本から当時の時代風俗を渉猟してまとめた山中共古『砂払』に、安永7年(1778)春刻の田水金魚撰『十八大通百手枕』が引かれている。その頃の通人があらゆる事象にわたって指南するといった体の書物だが、代表的な岡場所(=私娼地)と遊女をセットにして31か所並べ立てた一節に「こんにやくおりやうにつくだのおいま」という名が見える。後半は佃島の「おいま」。では、前半の遊女「おりょう」はどこの土地に居たのか? 文字どおり、こんにゃく(島)に居たのである。

実際、近世の遊里文学などをひもといていくと、「蒟蒻島」という地名に出くわし、「蒟蒻(島)芸者」を目にすることは珍しくない。例えば、酔多道士『東京妓情』(1886)では「冨島町に住む歌妓を称して蒟蒻島藝者と云ふ。蒟蒻島ハその俚諺なり」とストレートに記す。共古がまた別に引いた『寸南破良意』(安永4年)の序文でも、「近頃新ニ一場ノ埋地ヲ築、号テ蒟蒻島ト呼。然後ニ家軒並テ島守此所ニ集ル。茶店ヲ構エ美ナル給女数多抱置シ、諸客ニ茶ヲ点シテ饗応ス。故ニ此ノ遊楼日ニ増シ夜ニ盛ニシテ繁栄ス云々」とあって、蒟蒻島と蒟蒻芸者の存在が明記されている。

長くなるが、平凡社の『世界大百科事典』から、蒟蒻島の正式名である「霊岸島」の項目を適宜引用してみよう。

東京都中央区東部、隅田川河口右岸にある町名。現在の霊岸島、越前堀、新川の各町にわたる霊岸島は江戸時代初期には北に隣る箱崎島とともに江戸中島とよばれていたが、のち新川によって箱崎島と分離。地名は1624年(寛永1)霊厳雄誉上人がこの地に霊岸寺を創建し埋立地をひろげたことに由来。霊岸寺(江戸六地蔵の一つ。境内に松平定信の墓がある)は1657年の明暦の大火後、深川白河町に移転。一ノ橋以北の埋立地は地盤が軟弱で、<こんにゃく島>とよばれた

「蒟蒻島」はこんにゃく芋の産地だとかいった事柄と全く無関係であり、ただ地盤が軟弱な埋立地であったことから、霊岸島に付けられた別名であったようだ。蒟蒻芸者も遊女のタイプ云々と全くの無縁で、単に地名としての「蒟蒻島」で働いていたことから「蒟蒻(島)芸者」と呼ばれていた模様。何もがっかりすることはない。

参考文献:山中共古『砂払(上)』(岩波文庫)

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芭蕉「月見の献立」

俳聖・松尾芭蕉のこんにゃく好きはつとに知られている。その傍証として、よく引き合いに出されるものに大きく2件あって、ひとつが「こんにゃくのさしみも些(すこ)しうめの花」(2006年9月 「芭蕉こんにゃく」参照)の句。元禄6年(1693)、蕉門十哲のひとり去来と共通の知人の死を悼んで詠んだものとされる。もうひとつが、元禄7年(1694)、中秋の名月の夜、芭蕉が門人らをもてなした際の「月見の献立」である。芭蕉の真筆になる板膳が三重・伊賀市文化財に指定され、「芭蕉翁記念館」に収蔵されているが、そのメニュー内にこんにゃくを確認できる。

正保元年(1644)、伊賀上野の赤坂町に生まれ、元禄7年に没した芭蕉だから、まさに最晩年に当たる。現在もなお古典として力を持ち続ける『奥の細道』の素龍による清書本が成立、江戸の芭蕉庵(第3次)を出立し、伊賀上野に帰郷したのが、この年だった。その秋、門人らの尽力により、故郷に「無名庵」を新たに結んだ芭蕉が、西国巡遊の旅(そして再び帰らない旅)に出る前に、中秋の名月(旧暦8月15日)を愛で、門人らと新居で風雅の宴を張った。

献立表を作ったのも芭蕉自身。主立った内容は「芋の煮しめ。酒。しょうがののっぺい。吸い物には、つかみ豆腐、しめじ、みょうがが入っている。麩、こんにゃく、ごぼう、木くらげ、里芋の煮物。香の物。肴にはにんじんと初椎茸。しぼり汁にすり山のいも。松茸の吸い物。冷めし」となる。要は、こんにゃくの煮物だろうか。単品で煮るのか、またどういった味付けになるのかまでは、さすがに読めないが、近年の料理研究家は様々なアレンジを施し、芭蕉の献立の再現を試みている。中秋の名月は別名「芋名月」というくらいだから、里芋は外せない。また、つかみ豆腐の名が見えるのも興味深い。酒さえなければ、脱俗した精進料理の趣である。

この夜、芭蕉が披露したとされるのが「名月に麓の霧や田のくもり」「名月の花かと見へて綿畠」「こよひ誰吉野の月も十六里」の3句。ちなみに若き日の芭蕉(=松尾宗房)は、半農半士の「無足人」だった。伊賀の藤堂新七郎家に出仕し、俳諧を好んだ嫡男の藤堂良忠と近習役として親しく交わったことは有名だが、その頃の実際の職掌が台所用人とも料理人とも伝える説がある。真偽はともかくとして、青年時代から料理に精通していた芭蕉像をイメージすることで、真筆の「月見の献立」から読み取れるレシピは夢幻の広がりを見せる。

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鹿沼こんにゃくフライ

2012年のB級ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」は10月20、21の両日、北九州市で開催。この「B-1グランプリ in 北九州」で第7回を数えることになるが、豆腐・納豆などの関連食材をざっと拾ってみても、「いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」(愛知・豊川市)、「姫路おでん普及委員会」(兵庫・姫路市)、「『大曲の納豆汁』旨めもの研究会」(秋田・大仙市、2012年10月「大曲納豆汁」参照)、「鳥取とうふちくわ総研」(鳥取市)、「笠間のいなり寿司いな吉会」(茨城・笠間市)、「伏見稲荷寿司ひろめ隊」(京都市)――などが目に留まる。

さらに、この地域活性化を目指す町おこしイベントに名は見えなくとも、全国各地で様々なB級グルメが地元の人らに愛され、根付いている。

例えば、栃木県のB級グルメ。あまりに存在が大き過ぎる「宇都宮餃子」は別格としても、他に「じゃがいも入り焼きそば」(栃木市)や「いもフライ」(佐野市)などがある。餃子自体もそうなのだが、戦後の物資に乏しい時代、大陸から内地へ戻った帰還兵らが栄養価の高いレシピを改良・工夫して生み出した物語に裏打ちされるなど、地域を勇気づけた庶民の味と言えよう。さて、栃木には「鹿沼こんにゃく」という地域ブランドがある。地場産の原料と伝統製法から成る特産品だが、この栄えある「鹿沼こんにゃく」がB級グルメ(当初は裏メニュー)の食材として提供されている。

こんにゃく田楽の販売時に余ったこんにゃくをそのまま田楽味噌で煮てしまい、甘辛く煮付けたこんにゃくにさらにパン粉を付けて揚げれば出来上がり。鹿沼こんにゃく同様に、味噌も「かぬまブランド認定品」のはとむぎで作られている。類似のこんにゃくフライは他地域でも散見されるようだが、B級グルメとはいえ、「鹿沼こんにゃく」というブランドの持つ強みが光る逸品だ。ソースも何も付けずにそのまま食べても、鹿沼こんにゃくの絶妙な噛み心地と、噛み締めるたびに口中にあふれる甘辛い味噌の味に病みつきになるリピーターが続出したとか。

昨秋、かぬまブランド推進協議会、鹿沼蒟蒻商組合が中心となり、この鹿沼こんにゃくフライを名物にしようと、「まちの駅“新・鹿沼宿”」の軽喫茶コーナー「仲まち家」において土・日の限定販売が開始された。現在も好評販売中(1本100円)で、鹿沼市を訪れる人々の舌を楽しませている。

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ゆるキャラ「にゃくっち」

「ゆるキャラ」という存在も定着して、随分と久しい。「ゆるいマスコット・キャラクター」を略しただけのようでいて、実は「ゆるキャラ」という言葉自体、みうらじゅんと扶桑社によって2004年11月26日に商標登録(第4821202号)されていたりする。

提唱者のみうらじゅんによれば、「ゆるキャラ」として認められるための条件に3つある。すなわち、(1)郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。(2)立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。(3)愛すべき、ゆるさを持ち合わせていること――である。さらに、「原則として着ぐるみ化されていること」も条件に挙げられてはいるけれど。

諸兄も、こんにゃくを使ったゆるキャラといえば、すぐさま思い当たる節があるだろう。例えば、(財)日本こんにゃく協会の「こんにゃ君」など。だが、今回取り上げるキャラはまた別口。こんにゃく芋の生産地として有数の群馬 ・ 下仁田町が、平成13年(2001)に「こんにゃくの町下仁田」をPRするため、同町内の小中学生からアイデアを募り、誕生したキャラクター「にゃくっち」を紹介しよう。下仁田こんにゃく夏祭り実行委員会および下仁田町蒟蒻消費拡大推進協議会に所属している。

こんにゃくをモチーフにした明るくかわいい、というキャラ設定は、男の子のビジュアル・イメージ。胴体は板こんにゃくから成り、ベレー帽めいたキャップはよくよく見るとこんにゃく芋の形状になっている。キャップの徽章の位置に下仁田町の「下」の1字。所属からもわかるように、にゃくっちは夏祭りを応援する。今年(2012年8月14日)、同町こんにゃく広場などを会場に開催された「第41回下仁田こんにゃく夏祭り」では、にゃくっちを乗せた神輿も繰り出されていた。こんにゃく広場での催しとして、こんにゃく手作り体験も行われたという。

なお、2011年の下仁田町のこんにゃく芋の作付面積は5,071アール、収穫量は1万5,213トンだった。

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飯山満の蒟蒻神社

「蒟蒻神社」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、こんにゃく粉の発明者にして、「こんにゃくの神様」と呼ばれる常陸国(現・茨城県)の農民、中島藤右衛門を祀った茨城・大子町の同名神社だろう。が、千葉・船橋市にも蒟蒻神社は存在する。船橋市飯山満町の大宮神社の別名が「蒟蒻神社」なのである。

飯山満(はさま)」の地名は、江戸時代からあった「上飯山満村」「下飯山満村」に由来する。その語源は「米(飯)が山ほど出来て満ちた土地」から付けられたとの説もあるが、高低差の激しい谷状の地勢であったことから、「狭間」の転訛という説の方が有力だ。この現・飯山満2丁目に存する大宮神社の境内に、「蒟蒻神社」の文字が刻まれた石碑が置かれている。石碑の裏には「昭和戊辰三年十二月建之、発起者富士御務講中」と刻まれている。こんにゃく横丁(201208)

富士講」の言葉から連想されるように、大宮神社の境内に在る築山は富士塚であり、蒟蒻神社の石碑も富士塚のふもとに設置されている。富士塚の上の祠にも、「御嶽神社」「浅間神社」の名が見える。1928年12月に蒟蒻神社の石碑が建てられたのは、大正2(1913)年頃に林久右衛門なる者が茨城からこんにゃくの種芋を持ち帰って以降、こんにゃく栽培が普及したことを顕彰する意味合いからだという。

飯山満は古くからサツマイモの産地として知られていたが、こんにゃく栽培の開始によって、サツマイモ以上に地域経済は大いに潤ったらしい。そこで、当時の高橋豊吉村長の主導の下、こんにゃく栽培農家が資金を持ち寄り、蒟蒻神社の碑の建立に至った。想像をたくましくするに、こんにゃく芋の導入やこんにゃく栽培の普及も、富士講のネットワークを通じてのものであったとすれば、「御嶽神社」「浅間神社」〜「蒟蒻神社」の流れも一本の線につながるのだが。

ちなみに、こんにゃく産地としての飯山満は、昭和5(1930)年頃に根腐れ病に見舞われたことで衰退した。また、大宮神社の祭神は須佐之命。古来、一帯には蛇が多く、里人を悩ませていたために、八岐の大蛇退治で有名なスサノオが祀られたともいう。

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こんにゃく稲荷

東京都墨田区八広3丁目(古くは吾妻町6丁目)に位置する三輪里稲荷神社は、別称「こんにゃく稲荷」という。稲荷ずしではなく、稲荷神社の方の意味だ。

御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。「宇迦御魂尊」とも書かれるが、「うかのみたま」とは、古代の食物(殊に稲)をつかさどる神である。慶長19年(1614)、出羽(山形県)の三山(=月山、湯殿山、羽黒山)信仰の修験道場の一つ、湯殿山の大日坊の長が、この地の旧 ・ 大畑村の総鎮守として、羽黒大神の御霊の分霊を勧請したものと伝えられる。

なぜ、三輪里稲荷神社は「こんにゃく稲荷」と呼ばれるのか? 同神社では、2月の最初の午の日に祭礼「初午祭」を執り行い、そこで喉の病気に効き、声も良くするという「こんにゃくの護符」を参詣者に授けているからだ。このお守は元々湯殿山の秘法に属するといわれ、煎じて飲めば薬効あらたからしい。同地に神社が建立されてしばらくすると、江戸市中に悪疫が流行したが、こんにゃくの護符を串に刺して周辺住民に授与したところ、病害を免れたともいう。

護符は、約7センチメートルの短冊形に切ったこんにゃくを塩茹で、青竹の串に刺して乾かす。昔は氏子が奉仕して作っていたが、現在は業者が納めているとか。こんにゃくを煎じて服用するとはどういう意味か、よくわからなかったが、乾燥して縮まった状態の護符6、7本に対し、2合程度の水とともに薬缶に入れて煎じ、その湯を頂けばよいそうだ。初午祭の時のみ、護符は生で授与される(すぐに服用しない場合は天日干しなどで乾燥して保存)。初午祭の当日は随分なにぎわいで、授けられる護符は年間1万数千本に上るといわれる。

稲荷神社と言えば、即座に油揚げの方を連想してしまう(油揚げの代わりにこんにゃくを使用した稲荷ずしもあるにはある……)が、こんにゃくの護符という形態は珍しい。だが、その発祥の地が出羽三山と聞けば、山岳信仰〜修験道のメッカであり、「六条豆腐」(2012年3月参照)の今なお作られている地域でもある。食品を乾燥保存する技術といい、こんにゃくの護符には六条豆腐と通底する要素が強く感じられる。

実は、修験道と稲荷神社は、修験道の護法で使用する神使(つまりは飯綱、管狐など≒キツネ)との縁でかなり因縁が深いのだが、稲荷から揚げに向かうのではなく、こんにゃくに結び付いたところが、なかなか興味深い。

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こんにゃくの家計支出金額(2011年)

総務省統計局の定める収支項目分類および内容例示によると、こんにゃくとはごま入り、のり入りも含み、刺し身こんにゃく、しらたき、玉こんにゃくなどを指す。その「家計調査」の結果から、2011年の全国平均1世帯(2人以上の世帯)当たりの家計支出をこんにゃくについてまとめた。

こんにゃくの支出金額の年計は、前年と比べて1.37%の減少で2,089円。3年連続で前年比減となった。月別支出金額では、2〜9月が100円台、1月、10〜12月が200円台と購入シーズンが顕著。月別最高支出金額は12月の277円、最低支出金額は7月の115円。単純計算でも、12月の支出金額は7月の2倍強に当たる。

これらのパターンから、こんにゃくが冬場に鍋物などで需要を伸ばし、夏場に低迷してしまう典型的な“季節商品”であることが読み取れる。レバーなどの代替食品としてのこんにゃくが脚光を浴びているように、夏場でも売れ足の落ちないこんにゃく製品のレシピや新商品などの開発が望まれよう。

こんにゃくの購入頻度は前年比0.29%減、1世帯当たりでは年間16.90回、月平均1.40回購入した計算になる。これは1か月に2回もこんにゃくを買っていないということ。他品目の購入頻度と比べてみると、豆腐(1世帯当たり年間49.36回)の約3分の1、納豆(同28.53回)の6割弱、油揚げ・がんもどき(24.76回)の7割弱に当たる。また計算上では、7月、8月にこんにゃくを1回も購入しない家庭が存在する。購入してもらえなければ、支出金額が下がるのも当然。

こんにゃくの購入世帯数は前年比0.71%増、1か月に63.93%の家庭がこんにゃくを購入した。ちなみに豆腐の購入世帯数は同93.17%、油揚げ類が同73.76%、納豆が同73.39%。購入頻度での開きと比較する限り、購入世帯数の占有率を上げるより、こんにゃくを購入する機会を増やすことの方が、まだ支出金額増への近道になるのだろうか?

こんにゃくの家計支出金額

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こんにゃくゑんま

あゝ今日は盆の十六日だ、お焔魔樣へのお參りに連れ立つて通る子供達の奇麗な着物きて小遣ひもらつて嬉しさうな顏してゆくは、定めて定めて二人揃つて甲斐性のある親をば持つて居るのであろ

樋口一葉(1872〜1896)の『にごりえ』5章に見られる「お焔魔様へのお参り」だが、これは東京都文京区小石川にある浄土宗の寺院、源覚寺に祀られる「こんにゃくゑんま」のこと。山号は常光山。寛永元年(1624)、定誉随波上人によって開創。旧暦7月16日は「閻魔詣で」の日に当たり、閻魔王の斎日、地獄の釜の蓋が開く日と伝えられる。

夏目漱石(1867〜1916)の『こゝろ』では、「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂道を上って宅へ帰りました」と触れられている。こんにゃくゑんま

この文京区指定有形文化財(彫刻)でもある木造「閻魔王坐像」は、高さ100.4センチメートル、ヒノキ材の寄木造り。運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作。彩色を施し、玉眼が嵌め込まれているのだが……銘文によれば、寛文12年(1672)に仏師 ・ 竹内浄正が修理を行っている。閻魔王自体は、冥府で死者を裁く十王のひとり。源覚寺の右目が濁っているこの閻魔王をわざわざ「こんにゃくゑんま」と呼び習わすのには、いわれがある。

――宝暦年代(1751〜1764)の頃、眼病を患った老婆が源覚寺の閻魔王坐像に21日間の祈願を行うことにした。すると夢の中に大王が現れて、「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴女に差し上げよう」と言う。満願の日を迎えると、大王の言葉に偽りなく老婆の目は完治したが、閻魔王坐像の右目は黄色く濁ってしまっていた。老婆の代わりに、大王の右目が盲となったのだ。老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供え続けた。そこから、源覚寺の閻魔王坐像は「こんにゃくゑんま」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔王として人々の信仰を集めるようになったという。

眼病に罹った老婆がたまたまこんにゃく好きだったのか、あるいはこんにゃくと閻魔に何らかの民俗学的な連関があるのか、興味をそそられる民間伝承ではある。源覚寺は創建以来、明暦の大火(1657)、お薬園火事(1762)、戸崎町火事(1774年)、富坂火事(1884年)と4度の大火に見舞われたが、本尊も閻魔王坐像も難を逃れた。源覚寺門前一帯は「こんにゃくゑんま門前」として、現在も江戸時代から続く縁日のにぎわいを見せている。

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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