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こんにゃくと平和

太平洋戦争末期、あっと驚く無差別攻撃兵器として、こんにゃくが使用されていたことは、好事家の間でよく知られている(2006年8月「風船爆弾」参照)。焼夷弾をつるした風船(気球)の球皮に、天然素材の和紙とこんにゃくを用いることで軽量化とコスト安を実現し、抜群の気密性と量産化を誇った。何とロハスなバイオ・テクノロジー! 当時の最先端とも言える風船爆弾、何とかこれを平和な現代によみがえらせられないものか。

新潟・柏崎市高柳町に、かやぶきの「陽(ひかり)の楽家(らくや)」が在る。一見、古民家のようだが、2000年に竣工した現代建築。かやぶきの民家が多く残る豪雪地帯の高柳に違和感なく溶け込み、地域住民の集会所として親しまれている。最大の特徴は、内部の(柱、床や)壁、外側の壁にすべて和紙を張ってあること。高柳には「越後門出和紙」の産地として有名な集落、門出がある。和紙は柿渋を塗ると強くなるが、「陽の楽家」では、さらにこんにゃくを使用する。

建築素材としての門出和紙を手掛けたのは、手すき和紙職人の小林康生氏。昨今の手すき和紙の原料であるコウゾは、中国産やタイ産が多く、往年のコウゾとは繊維の長さが異なり、触り心地も違ってくる。小林氏は門出の自宅の庭に昔ながらのコウゾを植え、それを原料にして紙をすく。「陽の楽家」の建築に当たっては、柿渋で和紙を強化するのに加えて、こんにゃくをお湯で溶いてどろどろにし、はけで和紙に塗り付けた。こんにゃくを塗布しない和紙は、摩擦によって毛羽立ち、繊維が徐々にほどけ、最後はばらばらに破れてしまうからである。

和紙だけで内と外を区切ったしなやかな建築、「陽の楽家」を設計したのは隈研吾。隈研吾建築都市設計事務所を主宰し、海外でも活躍する日本人建築家。2005年の「日本国際博覧会(愛知万博)」では会場・パビリオンの設計に携わるものの、自然保護団体の反対などの憂き目にも遭ったが、初期の単なるポストモダン建築の域を脱し、日本の風土・自然を生かした建築物の在る場をつくろうと果敢な挑戦を続けている。

参考文献:隈研吾『自然な建築』(岩波新書)
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芥川賞は納豆1万個?

納豆201103_11945年から1995年までの戦後50年を通して、モノの値段の変化を見るに便利な週刊朝日編『戦後値段史年表』(朝日文庫)から、納豆の値段を抜き出してみた。「トーヨー新報」本紙では毎月、都市別4品目(納豆を含む)の小売価格を掲載しているが、月単位、年単位でなく、戦後という大きなスパンで見直すのも面白い。

納豆のの価格は、東京および東京周辺の小売標準価格。1948年は16匁(60グラム入り)、1950年以降は100グラム程度のものを1個とした値段である。

納豆だけの変遷を見ても代わり映えしないので、文学賞の芥川龍之介賞、直木三十五賞の賞金も併せて掲げた(下表)。

統計的な妥当性はともかくとして、芥川賞・直木賞の賞金は、その時々の納豆の1万倍が目安になりそうだ。ついでに2010年下半期の芥川賞は、中卒・高齢フリーターという経歴が(一部で)話題になった西村賢太らが受賞している。

納豆201103_2

参考文献:週刊朝日編『戦後値段史年表』(朝日文庫)

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徂徠豆腐

2007年、第90代内閣総理大臣、安倍晋三の突然の辞意表明に対して、第87〜89代内閣総理大臣の小泉純一郎が「人生には上り坂もあれば下り坂もあります。もうひとつ坂があるんです。『まさか』という坂であります」と、キャッチーなコメントを残した。この発言の直接的な元ネタは、NHK大河ドラマ「毛利元就」(1997年)からの「人生には3つの坂がある。上り坂と下り坂、そして『まさか』だ」になるのだろう。脚本は内館牧子、原作が永井路子。しかし「まさか」を坂のひとつとして数え上げる地口には、さらに先例がある。講談、浪曲、落語の演目「徂徠豆腐」である。

江戸時代の儒学者、荻生徂徠(1666〜1728年)は父の蟄居に伴い、生地・江戸を離れたが、父の赦免に合わせて江戸に復帰している。芝増上寺の門前にある貧乏長屋で苦学を続ける20歳代の若者(実は荻生徂徠)が、豆腐屋の上総屋七兵衛に1丁の豆腐を注文する。よっぽど空腹だったのか、ガツガツと食らいつくが、食べ終わった後で4文の豆腐代が払えない。翌日も翌々日もただ食い。それでも、学者として大成し、世の中を良くしたいという若者の心意気に感じ入った七兵衛は、「出世払い」で構わないと言うばかりか、次の日から売れ残りの商品、おからなどを差し入れるのだった。

さて、元禄15年12月14日に赤穂浪士が吉良邸へ討ち入り。翌15日には、増上寺門前で火災が起こり、貰い火から七兵衛も焼け出されてしまう。全財産を失って、なりふり構わず生活するにしても、粋を重んじる江戸っ子だけに踏ん切りが要る。その胸の内の苦渋を「知らねえ土地へ行って夫婦二人でどんなに身を落としてなりとも一生懸命働こうよ。江戸の人間は、江戸でまさかこんなことはできねえと見栄があって、その『まさか』って坂がどうしても越せねえもんだ。知らねえ土地なら何しても構わねえ」と七兵衛が吐露……生きるため、心理的に越せない坂でも越さなければいけない。

話の行く末は、幕府側用人・柳沢吉保に抜擢された徂徠が、貧窮していた時期を助けてもらった恩返しに、10両の資金と元の場所に新しく建て直した店を七兵衛へ進呈する。かつては「おから先生」と揶揄されていた徂徠だけれど、偉くなっても「豆腐好きのただの学者」と自称し、至って謙虚なのだ。ところで、七兵衛がやっていたであろう「ぼてふり」だが、浪曲師の酒井雲(1898〜1973年)も豆腐の売り子であった。売り声の良いのを見込まれ、桃中軒雲右衛門の弟子として浪曲の世界に入り、あの演歌歌手・村田英雄(元・酒井雲坊)の師匠ともなった。

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もやし工場・イン・ニューヨーク

主演作『レスラー』(ダーレン・アロノフスキー監督)が2008年の「第65回ヴェネツィア国際映画祭」で金獅子賞を受賞し、本格的復活を確信させた米国の俳優、ミッキー・ロークは1980年代に絶大な人気を博していた。映画デビュー後も批評家受けはしていたが、一般受けの端緒となった作品はやはり『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985年)だろう。監督は『ディア・ハンター』(1978年)で知られるマイケル・チミノ。「第51回アカデミー賞」などを獲得した同作はベトナム帰還兵の悲劇を描いたものだが、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』でミッキー・ロークが演じる主人公、スタンリー・ホワイトもまた、ベトナム帰りのニューヨーク市警刑事という設定だ。

着任したばかりのニューヨーク市では、イタリアン・マフィアと中国(香港)マフィアが暗闘を繰り広げ、そのチャイニーズ・マフィアを率いる若きボス、ジョーイ・タイ(演じるはジョン・ローン)とスタンリーが激突する。チャイナ・タウンを陰で支配するマフィアの物語に対して、他のチャイナ・タウンでまっとうな生活を営む中国(系米国)人から非難の声も上がったが、そんな階級間(持てる者と持たざる者……端的には世代間)の闘争は作品内でもほのめかされている。

ジョーイ・タイは組織内での己の発言力を高めるため、配下の鉄砲玉を2人、覆面姿で長老のレストランを襲撃させた。首謀者は対抗組織だと言いくるめるが、まずいことに銃撃に当たった兄弟は負傷して、人目に立ち過ぎる。定石として、用済みとなった若い兄弟2人は口封じのために消されてしまうのだが、死体は何ともやし工場の水槽に廃棄されていた。ビルの所有者は香港に住んでいるらしく、連絡が取れず。その「in a basement(地下、地下室、地階)」では、どろどろになった中国人労働者の群れがうごめいている。黄褐色に汚れた水はもやしを栽培するもので、水揚げされた兄弟の死体には何やらびっしりと白いものがへばり付いており、それがもやしだった。

日の差さないもやし工場で40年以上も働いてきた老中国人は、旧世代の勤勉さを誇らしげに語り、手段を選ばない非合法な活動にいそしむ新世代を痛罵する。スタンリーは「モヤシ工場で死体を発見した」とジョーイ・タイを問い詰め、彼の野望をくじこうと執念を燃やす……。ちなみに日本語字幕にある「モヤシ工場」に該当する単語は、英語(字幕)で見当たらなかった。米国人には、一目でもやし工場と判別できたのだろうか? 

参考映像:マイケル・チミノ監督『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
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