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原発事故の影響

2011年3月11日、東日本大震災そのものの記憶がいつか遠ざかることがあったにしても、今後何十年もわが国を悩ませるであろう放射能。二次災害とも人災とも言うべき、東電福島第一原発事故の余波は不穏にくすぶり続け、いまだに解決の糸口は見えない。農林水産省生産局農産部地域作物課から9月に配布された資料「最近のこんにゃくをめぐる事情」では、原発事故の影響下におけるこんにゃくの芋の生産についても触れている。

こんにゃく芋は、群馬県で栽培面積の8割程度、収穫量の9割程度を占める。他に栃木県(4%)、茨城県(2%)、福島県(1%)と北関東、東北を中心とした中山間地域で生産されている重要な作物。そして、この北関東、東北こそ、大震災の被災地であり、放射能の影響が最も深刻視されている地域である。土壌中の放射性セシウムの動向を見るため、主なこんにゃく芋産地の測定結果を見てみると、土壌1キログラム当たりで、福島・塙町が260ベクレル、茨城・大子町が195ベクレル、栃木・那須烏山市が182ベクレル、同・鹿沼市が246ベクレル、群馬・沼田市が208、同・高崎市が236ベクレル、同・下仁田町が569という数値。福島県については畑・樹園地による土壌調査結果(6月29日現在)、他県については水田による土壌調査結果(4月8日現在)である。

様々な憶説が流布しているが、放射性セシウムがこんにゃく芋にどの程度移行するか、現時点での知見は不十分。放射性セシウムの移行係数が示されているのは稲のみ。それ以外の作物、こんにゃく芋の放射性セシウム移行係数を明らかにすることは重要な課題だが、1年1作の作物であることから、移行の程度の把握は秋以降となると農水省はみている。ちなみに、群馬県で9月上旬に出回り前の生芋を(生芋こんにゃく用として)検査した結果は、「検出せず」だった。

10月上旬には生芋から精粉への加工段階で、放射能セシウムの濃度がどの程度移行するか、試験的に調査するという。その調査結果を踏まえた上で、生芋における放射性セシウムの濃度が低く、精粉段階でも暫定規制値を超過する恐れがない生芋については、精粉段階での検査は行わないとしている。なお、2011年3月17日通達の暫定規制値は、放射性ヨウ素で野菜類(根菜、芋類を除く)1キログラム当たり2,000ベクレル、放射性セシウムで野菜類1キログラム当たり500ベクレル。もっとも、この規制値自体が、食品安全委員会の食品健康影響評価を受けずに定められたものではあるが。
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納豆製造施設数の増減を見る

厚生労働省の公表する「衛生行政報告例」から、近年の納豆製造業に関する営業許可施設数および、新規、廃業の施設数を抽出し、製表した。注意すべき点は、営業許可施設数が年度末現在(例えば2009年度ならば、2010年3月)の時点のものであるのに対して、新規および廃業施設数は該当年度中のものであること。よって、新規と廃業の施設数を増減したものが営業許可施設数の増減に直結する訳ではない。2001〜2010年の納豆製造許可施設数は、723から641まで72の減少を示している。が、納豆製造業に限った話ではないが、ただひたすらに既存の施設数を減らしてきた訳ではなく、新規数を廃業数が上回っての減少である。

納豆201110

2001〜2010年の10年間の中で、新規の施設数が最も多かったのが2002年(45)で、前年比では2001年の161.1%に次ぐ155.2%を記録している。しかし一方で、廃業した施設の数が多かったのも2002年。68もの施設が廃業し、これもまた前年比で2001年(246.2%)に次ぐ212.5%を記録した。21世紀を迎える頃に、多くの納豆製造施設が新設されたが、それを上回る勢いで廃業した施設のあることが読み取れる。同年度中に、新規施設数が廃業施設数を上回ったのは、実に2005年のみである。

近年の納豆製造許可施設数は、2002年まで激しい増減に見舞われるが、2005年頃には落ち着く。その後、現在に至るまで漸減している格好だ。あくまで机上の計算ではあるが、2010年の製造許可施設数に統計局の公表する人口・世帯数(2010年3月)、家計支出金額(2009年)から、1納豆製造許可施設が賄う世帯数は8万3,249人、人数だと19万8,218人。そうして、1施設当たりで2億4,009万円分の納豆(家計支出金額の総計から。業務用は除く)を製造していると推測できる。

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1975年の市場規模

とある読者の方から、昭和50年頃の豆腐についての市場規模を聞かれた。昭和50年……1975年のことになる。懐かしい1970年代のど真ん中だ。手元の年表を繰ってみると――1972年2月、浅間山荘事件。同年5月、沖縄が日本に復帰。同年10月、日中国交正常化。1973年6月、ウオーターゲート事件。同年8月、金大中事件。同年10月第一次石油ショック。そして1975年11月、フランスで第1回主要先進国首脳会議(サミット)開催。1976年1月、中国の首相・周恩来が死去。同年7月、ロッキード疑惑で前首相・田中角栄が逮捕。同年9月、中国共産党首席・毛沢東が死去。戦後とはまた違った意味で、激動の昭和史というものを感じさせられる。あるいは、昭和も遠くなりにけり、か。
豆腐横丁(201110)

市場規模の算出にはいくつか手法があるが、経済産業省の発表している「工業統計(品目編)」から出荷額を抽出してみよう。ただし、対象は4人以上の事業所であり、豆腐、しみ豆腐、油揚げ類の出荷額である。1973(昭和48)年は904億4,960万円、1974(昭和49)年は1,158億4,740万円、1975(昭和50)年が1,394億100万円。ちなみに2009年の豆腐などの出荷額が3,096億9,000万円。(物価などの変動を無視すれば)現在の半分以下の市場規模になる。しかし、昭和50年に至る数年前から市場規模が急速に拡大している印象を受ける。

また、総務省統計局の発表している「家計調査」から、豆腐と油揚げ・がんもどきの家計支出金額に同年の世帯数を乗じることで、家庭消費金額を推計できる。支出金額については、1973年の豆腐3,953円、油揚げ類1,923円、1974年の豆腐4,710円、油揚げ類2,547円、1975年の豆腐5,155円、油揚げ類2,801円—-これらに各年の世帯数を乗じてみると、1973年の家庭消費金額が約1,874億9,013万円、1974年が2,367万7,989万円、1975年が2,683億4,680万円となる。ちなみに2010年における豆腐や油揚げ類の家庭向け末端市場は約4,948億8,662万円。

推計による家庭消費金額も、出荷額と同様に昭和50年のほぼ2倍に拡大しているようだ。そればかりか、1973年から1975年にかけて市場規模を大きく伸ばしているのも同様である。高度経済成長時代が一段落し、オイル・ショックから低成長時代へ移行する1970年代半ば。全国にスーパー・マーケットが普及するのも、この時代である。数字を挙げたのは1975年までだが、この年までは豆腐市場も高度成長に合わせ、順調に拡大していたようにうかがわれる。

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若狭〜丹波のかて飯

豆、小豆、麦やお芋とへだつれぞ 混ぜれば同じかて飯の種」という江戸の狂歌がある。豆とはもちろん大豆のこと。“かて飯”とは、少ないコメを食いのばすため、様々な雑穀や野菜、山菜や海藻などを混ぜて炊いたご飯。現代の炊き込みご飯、混ぜご飯のことであり、広義に取れば、麦飯や粟飯もかて飯だろう。大豆雑学(201110)

かて飯は、地域に根ざした伝統食だから、地方によって各種各様のかて飯が見られる。コメの代わりに地域にある食材を使用する訳だから、自然と地域色豊かなレシピの出来上がり。かつては必要に迫られての貧乏飯であったかもしれないが、飽食の時代を過ぎ、地産地消の叫ばれる現代、かて飯は新たな魅力を放ち始めているようにも思われる。

かて飯に大豆が使用されるのは全国的か。奥村彪生氏の解説『聞き書ふるさとの家庭料理』などから、大豆(加工品)を用いたかて飯を拾い上げてみる。

例えば、信越地方から福井県の豆腐野菜のぼっかけ飯。「ぼっかけ」は福井の郷土料理のひとつ。炊きたてのご飯に熱々の汁を「ぶっかける」という意味の「ぼっかけ」が料理名に転じた。代表的な具材としては、ゴボウ、ニンジンなどの根菜に(名産品でもある)油揚げ、糸こんにゃくなど。削り節を使い、具材を軟かくなるまで煮込み、醤油、酒などで味を調える。ここに豆腐を足せば、豆腐野菜のぼっかけ飯になる。

福井県と一口に言っても、ローカル色は細かく分岐。大量に作り、結婚披露宴の最後に客へ供されるぼっかけがある。蕎麦皿に盛り付けて食するとか。今立町では「ぼっかけ豆腐(豆腐めし)」として親しまれ、報恩講の夜食に出され、丹生郡でも同じ「豆腐めし」が伝わる。食の国境は政治と無縁。近畿地方でも、兵庫県に同じ名の豆腐飯が存在する。篠山市大山地区では「とふめし」と呼ぶ。古くは寺院での「お講」の際に振る舞われてきたという在り方も福井と同様。今も結婚式、彼岸、葬式、運動会など、大勢の人が集まる時には食卓に並ぶという。

とふめしのレシピは、堅めの木綿豆腐を茹でてつぶし、ゴボウ、ニンジン、油揚げを細かく刻む。だしなどを加え、醤油で炒めたものを炊きたてのご飯に載せ、十分ほど蒸らした後、混ぜ合わせる。具材を載せた後で混ぜるなど、調理法の細部に土地柄の違いが出ているが、根っこは同じだろう。篠山と言えば、黒豆の産地。京都府の黒豆のおにぎりも広い意味ではかて飯になるか。福井、兵庫、京都と呼べば、少し縁遠く感じるが、若狭、丹波と呼べば、意外に身近ではないだろうか。

参考文献:『食の検定 食農1級公式テキストブック』(食の検定協会)

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