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こんにゃくの家計支出金額(2011年)

総務省統計局の定める収支項目分類および内容例示によると、こんにゃくとはごま入り、のり入りも含み、刺し身こんにゃく、しらたき、玉こんにゃくなどを指す。その「家計調査」の結果から、2011年の全国平均1世帯(2人以上の世帯)当たりの家計支出をこんにゃくについてまとめた。

こんにゃくの支出金額の年計は、前年と比べて1.37%の減少で2,089円。3年連続で前年比減となった。月別支出金額では、2〜9月が100円台、1月、10〜12月が200円台と購入シーズンが顕著。月別最高支出金額は12月の277円、最低支出金額は7月の115円。単純計算でも、12月の支出金額は7月の2倍強に当たる。

これらのパターンから、こんにゃくが冬場に鍋物などで需要を伸ばし、夏場に低迷してしまう典型的な“季節商品”であることが読み取れる。レバーなどの代替食品としてのこんにゃくが脚光を浴びているように、夏場でも売れ足の落ちないこんにゃく製品のレシピや新商品などの開発が望まれよう。

こんにゃくの購入頻度は前年比0.29%減、1世帯当たりでは年間16.90回、月平均1.40回購入した計算になる。これは1か月に2回もこんにゃくを買っていないということ。他品目の購入頻度と比べてみると、豆腐(1世帯当たり年間49.36回)の約3分の1、納豆(同28.53回)の6割弱、油揚げ・がんもどき(24.76回)の7割弱に当たる。また計算上では、7月、8月にこんにゃくを1回も購入しない家庭が存在する。購入してもらえなければ、支出金額が下がるのも当然。

こんにゃくの購入世帯数は前年比0.71%増、1か月に63.93%の家庭がこんにゃくを購入した。ちなみに豆腐の購入世帯数は同93.17%、油揚げ類が同73.76%、納豆が同73.39%。購入頻度での開きと比較する限り、購入世帯数の占有率を上げるより、こんにゃくを購入する機会を増やすことの方が、まだ支出金額増への近道になるのだろうか?

こんにゃくの家計支出金額
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納豆の家計支出金額(2011年)

総務省統計局の「家計調査」の結果から、2011年の全国平均1世帯当たりの家計支出をまとめた。総務省統計局での収支項目分類および内容例示によると、納豆は「大豆を蒸し、納豆菌で発酵させたもの」と定義されている。ちなみに納豆こんぶはこんぶ、浜納豆は他の大豆製品に分類される。

納豆について2人以上の世帯対象の調査結果を見ると、家計支出金額は前年比0.51%減の3,295円。7年連続の前年比減ではあるが、微減に抑えた。4,000円台を割り込んでからは7年目に当たる。

月別に追ってみると、2008年11月から2011年3月まで29か月連続で前年同月比減を記録した。他の大豆加工品の下位分類(豆腐、油揚げ・がんもどき、他の大豆製品)と比べて分かることだが、納豆は豆腐や油揚げ類と違い、季節での変動幅が小さく、支出金額が一年を通してほぼ200円台後半で安定している。

近代納豆が成立するまで、すなわち、納豆の製造によって生計が成り立つまでの時代だと、納豆は農業の閑散期、すなわちコメなどの収穫を終えた冬場に農村地域で作られる地域食品という側面が大きかった。それが「食の近代化」の一環として、納豆を工業的に製造することが可能となったことから、季節商品としての特性が薄れ、年間を通して日常的に供給され、購入できるものとなった。

納豆の購入頻度については、前年比0.56%増と微増を示した。購入頻度では、1世帯当たり年間28.53回、月2.38回になる。購入世帯数は0.23%微減、月平均73.39%の家庭が納豆を購入。購入頻度、購入世帯数においても、納豆は季節の影響が小さい食品であると読み取れる。支出金額、購入頻度や購入世帯数をいずれも前年並みとしたことから、納豆の支出金額の減少傾向が底を打ったことを期待したいところ。

納豆の家計支出金額

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西六条の妖怪

青木鷺水(1658〜1733年)は京都の人で、江戸時代前期の俳人・浮世草子作者。彼の『御伽百物語』の巻3「西六条の妖化并杣が家の道具ゆへもなきに動きはたらきし事」という怪談話に、豆腐のお化けが登場する。あの“豆腐小僧”がなぜ豆腐を持っているのか系譜がよくわかっておらず、「大頭」や一つ目小僧、狸、河童など、他の妖怪のバリエーションのひとつではないか?と勘繰られないこともないのに対して、「西六条の妖怪」で姿を現すのは正真正銘、豆腐の妖怪である。

17歳の頃から京都で奉公していた吹田屋喜六が、西六条寺内の四本松町に住まうようになった。女房も持ち、2人の娘もできた。喜六は昔から川釣りを好んでいたが、ある日、「鰻に似ていながら毛があり、亀にも似ていながら大きな顎がある。なんとも妖しい生き物」を釣り上げてしまう。見世物にでもしようと家に持ち帰ったところ、やがて喜六の家に様々な怪異現象が頻発するようになる。怪しげな化け物は「九郎」と名乗り、既に姉娘と契りを結び、喜六の家の婿だと言うのだが、その霊威で豆腐の妖怪が出現するシーンは以下のとおり。

賭事にも腕にも自信のある連中を呼び集め、銭を賭け酒を呑みなどして夜がひたすら更けるのを待つうちに、喜六は客を軽くもてなそうと、豆腐をとりよせ自らまな板にのせて刃をあてた。するとこの豆腐が人のように立ち上がり、ゆらゆら歩くうちに小さな腕さえ生えてきて、骨牌をしている人の輪に割り込むと「俺にも一銭くれよ」と高い声をはりあげる。これには男たちも肝を潰して逃げ出したが、喜六ひとりはこの腕をつかんで豆腐に唾を吐いた。
豆腐の妖怪
結局、九郎という化け物は北野の真言僧・智光の秘咒に倒れる。九郎の死体は「墨のように真っ黒で、牛の子ほどの大きさ」、「ただ黒革の袋に似て口も目もない塊」だったという。その後、妹娘の方も九郎の弟「四郎」に取り憑かれるのだが、やはり智光の剣によって屠られた。

しかし、この九郎、四郎というクリーチャー、H・R・ギーガーにデザインしてもらいたいほど、なかなか魅力的だ。

参考文献:高田衛[編著]『大坂怪談集』(和泉書院)

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仲平豆

鴎外石見(島根県)津和野生まれの森鴎外(1862〜1922年)は明治文壇の重鎮。小説家、戯曲家、翻訳家、評論家のみならず陸軍軍医としてエリート・コースを歩んだ。ドイツ留学から帰国後、ドイツ体験に基づく『舞姫』を執筆。小倉に赴任した頃は文壇から距離を置くが、40歳に帰京するとやがて陸軍軍医総監などの地位に上り詰め、文学活動を再開。明治42年(1909)に「スバル」を創刊し、『青年』、『雁』などを発表した。そうして大正元年(1912)、乃木希典の殉死を受けて『興津弥五右衛門の遺書』を執筆し、歴史小説〜史伝小説の執筆へと向かう。

今回取り上げる『安井夫人』は、若山甲蔵「安井息軒先生」に依拠した歴史小説。安井息軒仲平(1799〜1876年)は江戸時代の儒学者。現・宮崎市出身だが、父にならって江戸へ出て研鑚を積み、江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いたといわれる。その地道に刻苦精励する生涯に、鴎外が自身との共通点を見出し、あるいは彼を取り巻く家族模様に自らの理想を投じたとも読める。仲平は26歳で江戸へ出る前に、21歳の春から大阪・土佐堀で修業している。

大阪土佐堀三丁目の蔵屋敷に著いて、長屋の一間を借りて自炊をしてゐた。倹約のために大豆を塩と醤油とで煮て置いて、それを飯の菜にしたのを、蔵屋敷では「仲平豆」と名づけた。

そのように質実剛健を地で行った(かつ人としての情愛の細やかさも忘れぬ)仲平は、将来有望の若者と周囲からの期待も高かったのだが、ひとつだけ残念なことに、男ぶりが宜しくなかったらしい。あばたがあって片目で、背が低く、「仲平さんは不男だ」と陰言を言われる始末。が、仲平の父・滄州翁は知恵や才気にこそ人間の美点があると考え、そんな仲平の「人物を識った女」こそ嫁に欲しいと思っていた。そこへ自分から申し出て嫁いだのが、若くも内気で「岡の小町」と呼ばれた佐代、タイトルにも取られている「安井夫人」である。

鴎外は作中、「お佐代さんはどう云ふ女であつたか」「何を望んだか」などの問いを繰り返しつつも、世俗的な対価を得たかどうかで彼女の生涯を評価することなく、「遠い、遠い所」へまなざしを向けた佐代の姿を淡々と描出している。

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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