飯山満の蒟蒻神社
「蒟蒻神社」と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、こんにゃく粉の発明者にして、「こんにゃくの神様」と呼ばれる常陸国(現・茨城県)の農民、中島藤右衛門を祀った茨城・大子町の同名神社だろう。が、千葉・船橋市にも蒟蒻神社は存在する。船橋市飯山満町の大宮神社の別名が「蒟蒻神社」なのである。
「飯山満(はさま)」の地名は、江戸時代からあった「上飯山満村」「下飯山満村」に由来する。その語源は「米(飯)が山ほど出来て満ちた土地」から付けられたとの説もあるが、高低差の激しい谷状の地勢であったことから、「狭間」の転訛という説の方が有力だ。この現・飯山満2丁目に存する大宮神社の境内に、「蒟蒻神社」の文字が刻まれた石碑が置かれている。石碑の裏には「昭和戊辰三年十二月建之、発起者富士御務講中」と刻まれている。
「富士講」の言葉から連想されるように、大宮神社の境内に在る築山は富士塚であり、蒟蒻神社の石碑も富士塚のふもとに設置されている。富士塚の上の祠にも、「御嶽神社」「浅間神社」の名が見える。1928年12月に蒟蒻神社の石碑が建てられたのは、大正2(1913)年頃に林久右衛門なる者が茨城からこんにゃくの種芋を持ち帰って以降、こんにゃく栽培が普及したことを顕彰する意味合いからだという。
飯山満は古くからサツマイモの産地として知られていたが、こんにゃく栽培の開始によって、サツマイモ以上に地域経済は大いに潤ったらしい。そこで、当時の高橋豊吉村長の主導の下、こんにゃく栽培農家が資金を持ち寄り、蒟蒻神社の碑の建立に至った。想像をたくましくするに、こんにゃく芋の導入やこんにゃく栽培の普及も、富士講のネットワークを通じてのものであったとすれば、「御嶽神社」「浅間神社」〜「蒟蒻神社」の流れも一本の線につながるのだが。
ちなみに、こんにゃく産地としての飯山満は、昭和5(1930)年頃に根腐れ病に見舞われたことで衰退した。また、大宮神社の祭神は須佐之命。古来、一帯には蛇が多く、里人を悩ませていたために、八岐の大蛇退治で有名なスサノオが祀られたともいう。
「飯山満(はさま)」の地名は、江戸時代からあった「上飯山満村」「下飯山満村」に由来する。その語源は「米(飯)が山ほど出来て満ちた土地」から付けられたとの説もあるが、高低差の激しい谷状の地勢であったことから、「狭間」の転訛という説の方が有力だ。この現・飯山満2丁目に存する大宮神社の境内に、「蒟蒻神社」の文字が刻まれた石碑が置かれている。石碑の裏には「昭和戊辰三年十二月建之、発起者富士御務講中」と刻まれている。

「富士講」の言葉から連想されるように、大宮神社の境内に在る築山は富士塚であり、蒟蒻神社の石碑も富士塚のふもとに設置されている。富士塚の上の祠にも、「御嶽神社」「浅間神社」の名が見える。1928年12月に蒟蒻神社の石碑が建てられたのは、大正2(1913)年頃に林久右衛門なる者が茨城からこんにゃくの種芋を持ち帰って以降、こんにゃく栽培が普及したことを顕彰する意味合いからだという。
飯山満は古くからサツマイモの産地として知られていたが、こんにゃく栽培の開始によって、サツマイモ以上に地域経済は大いに潤ったらしい。そこで、当時の高橋豊吉村長の主導の下、こんにゃく栽培農家が資金を持ち寄り、蒟蒻神社の碑の建立に至った。想像をたくましくするに、こんにゃく芋の導入やこんにゃく栽培の普及も、富士講のネットワークを通じてのものであったとすれば、「御嶽神社」「浅間神社」〜「蒟蒻神社」の流れも一本の線につながるのだが。
ちなみに、こんにゃく産地としての飯山満は、昭和5(1930)年頃に根腐れ病に見舞われたことで衰退した。また、大宮神社の祭神は須佐之命。古来、一帯には蛇が多く、里人を悩ませていたために、八岐の大蛇退治で有名なスサノオが祀られたともいう。
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納豆の学名
枯草菌(Bacillus subtilis)の一種である、納豆菌の正式な学名は「Bacillus subtilis var. natto」(枯草菌の一変種であるところの納豆菌みたいなニュアンス)――になるのだが、間を省略した形(正確には1948年、枯草菌に含められるまで)の「Bacillus natto」との表記もまま見られる。
が、時折「Bacillus natto Sawamura」とした誤記(?)を現在なお、たまに見かけることがある。サワムラとは、明治38年(1905)、納豆菌の純粋培養に成功した沢村真博士のこと(2012年3月「沢村真と納豆」参照)。その経緯について、沢村博士の著述を追って概観してみよう。
「大豆ニ繁殖スル細菌ハ數多アレドモ普通ニ納豆ニ存シ之ニ粘性ヲ生ゼシムルモノハばちるす、なつと(Bacillus natto Sawamura)トス」――沢村真『新細菌学』(興文社、1912年)から。
「粘氣と好き香とを生ずる細菌は其の數多からざるなり。著者は東京の納豆につきて一種の細菌を分離し之をバチルス、ナットー(Bacillus natto)と名づけ納豆菌とせり」――沢村真『農業細菌学』(明文堂、1912年)から。
「其後著者は此桿状菌に『バチルス、ナット』の名を與へ、常に之を蒸大豆に植へて納豆を作り、實業家にも著者の方法を用うるもの生ずるに至れり」――沢村真『新編農産製造論』(成美堂書店、1913年)から。
「故に之を納豆の生産者と認め、著者は之にバチルス・ナットー Bacillus natto の名を命ぜり」――沢村真『食物辞典』(隆文館、1914年)から。
以上を散見するに、ごく初期の例外を除いて、沢村博士の付けた学名もまた「Bacillus natto」が大半を占める。さらに細かい個所を指摘すると、『新細菌学』での「Bacillus natto Sawamura」の「Bacillus natto」と「Sawamura」は改行位置にあり、沢村真『営養学』(成美堂書店、1929年)で示されたように「Bacillus natto,Sawamura」のコンマが落ちたと考えられなくもない。しかも日本語の読みから「サワムラ」を外してある。時に学名の後ろに命名者や年号などが付加されることがあり、それにはコンマを伴うのだが、「Bacillus natto Sawamura」は、命名者の沢村博士の名前を(コンマ抜きで)学名自体と混同したものかとみられる。
が、時折「Bacillus natto Sawamura」とした誤記(?)を現在なお、たまに見かけることがある。サワムラとは、明治38年(1905)、納豆菌の純粋培養に成功した沢村真博士のこと(2012年3月「沢村真と納豆」参照)。その経緯について、沢村博士の著述を追って概観してみよう。
「大豆ニ繁殖スル細菌ハ數多アレドモ普通ニ納豆ニ存シ之ニ粘性ヲ生ゼシムルモノハばちるす、なつと(Bacillus natto Sawamura)トス」――沢村真『新細菌学』(興文社、1912年)から。
「粘氣と好き香とを生ずる細菌は其の數多からざるなり。著者は東京の納豆につきて一種の細菌を分離し之をバチルス、ナットー(Bacillus natto)と名づけ納豆菌とせり」――沢村真『農業細菌学』(明文堂、1912年)から。
「其後著者は此桿状菌に『バチルス、ナット』の名を與へ、常に之を蒸大豆に植へて納豆を作り、實業家にも著者の方法を用うるもの生ずるに至れり」――沢村真『新編農産製造論』(成美堂書店、1913年)から。
「故に之を納豆の生産者と認め、著者は之にバチルス・ナットー Bacillus natto の名を命ぜり」――沢村真『食物辞典』(隆文館、1914年)から。
以上を散見するに、ごく初期の例外を除いて、沢村博士の付けた学名もまた「Bacillus natto」が大半を占める。さらに細かい個所を指摘すると、『新細菌学』での「Bacillus natto Sawamura」の「Bacillus natto」と「Sawamura」は改行位置にあり、沢村真『営養学』(成美堂書店、1929年)で示されたように「Bacillus natto,Sawamura」のコンマが落ちたと考えられなくもない。しかも日本語の読みから「サワムラ」を外してある。時に学名の後ろに命名者や年号などが付加されることがあり、それにはコンマを伴うのだが、「Bacillus natto Sawamura」は、命名者の沢村博士の名前を(コンマ抜きで)学名自体と混同したものかとみられる。
雁玉・十郎の豆腐屋商売
日中戦争(1937年)をきっかけに、吉本興業と朝日新聞社が編成して中国各地に送り出した「わらわし隊」。その漫才のネタ以外にも、慰問袋に収められた新作漫才集の台本を書いていたのが秋田實(1905〜1977)。今回は、この「読み物としての漫才」から芦乃家雁玉・林田十郎の「商賣往來」(後の十八番ネタ「笑売往来」の原型か?)を取り上げよう。ちなみに雁玉は芦屋雁之助、芦屋小雁らの師匠に当たる。さて、「商売せな、あかんなあ」と振る雁玉に対して、もう実業に取り組んでいると威張って見せる十郎の商売は、実に「即席豆腐屋」!
「豆腐屋やつた。即席豆腐屋」
「自動車の上にさして豆腐を拵らへる機械をのせまんね。で、お豆腐頂戴と云ふたら、目の前で拵へて渡しまんね」
「揚(あげ)頂戴と云ふたら目の前で揚げて、温くぬくを渡しまんね」と開陳。
移動販売だけでなくその場で製造ともなれば、新しい手法であり、雁玉は「よう売れたやらう」と訊くが、十郎は「ちよつとも売れん」。何故かというと、「お豆腐屋さんと呼んでくれた時分には三町位もう行つてまんのや。自動車やから」とクラシカルなボケ。その上、車を「電信棒へ当ててな。油がこぼれるし豆腐はつぶれるし、揚が跳どるし」という始末。
その後、舞台上で仲違いする雁玉 ・ 十郎は、2人に分かれて漫才をしようと言い出す。お客も二手に分かれて、雁玉と十郎が銘々勝手に繰り出す話術に付き合わされるのだが、同じ舞台のすぐ真隣で大声を張り上げ合うのだから、次第に混線がひどくなる。
キュウリを刻む話とタコの総菜の話が交ざった後に、十郎が夏の温かい総菜の話、雁玉が漆喰を直す話。
十郎「もし、湯豆腐を拵へるときは――」
雁玉「一番簡単なのは――」
十郎「豆腐の下へさして――」
雁玉「トタン敷きまして――」
十郎「トタンの上へ豆腐をのせて」
雁玉「その上へセメントを撒き――」
十郎「何んで、豆腐の上へセメント撒かんならん? そんな、おかしな湯豆腐あるか?」
雁玉「ワタシは漆喰直した話してるのや」
十郎「ほな、豆腐の下へトタン敷ひて、どないすんのや? 小さい声でやれ!」
漆喰の主成分は水酸化カルシウムなのだから、豆乳に混ぜれば「食べてはいけない」にせよ、とりあえず凝固するのではないか。
ぼけ倒したようで、豆腐業者の目から見たらば、実は非常に微妙なネタに思えなくもない……と、一笑いの後に。
参考文献:『皇軍慰問特選漫才 十郎・雁玉集』(輝文館大阪パック社)
「豆腐屋やつた。即席豆腐屋」
「自動車の上にさして豆腐を拵らへる機械をのせまんね。で、お豆腐頂戴と云ふたら、目の前で拵へて渡しまんね」
「揚(あげ)頂戴と云ふたら目の前で揚げて、温くぬくを渡しまんね」と開陳。
移動販売だけでなくその場で製造ともなれば、新しい手法であり、雁玉は「よう売れたやらう」と訊くが、十郎は「ちよつとも売れん」。何故かというと、「お豆腐屋さんと呼んでくれた時分には三町位もう行つてまんのや。自動車やから」とクラシカルなボケ。その上、車を「電信棒へ当ててな。油がこぼれるし豆腐はつぶれるし、揚が跳どるし」という始末。
その後、舞台上で仲違いする雁玉 ・ 十郎は、2人に分かれて漫才をしようと言い出す。お客も二手に分かれて、雁玉と十郎が銘々勝手に繰り出す話術に付き合わされるのだが、同じ舞台のすぐ真隣で大声を張り上げ合うのだから、次第に混線がひどくなる。
キュウリを刻む話とタコの総菜の話が交ざった後に、十郎が夏の温かい総菜の話、雁玉が漆喰を直す話。
十郎「もし、湯豆腐を拵へるときは――」
雁玉「一番簡単なのは――」
十郎「豆腐の下へさして――」
雁玉「トタン敷きまして――」
十郎「トタンの上へ豆腐をのせて」
雁玉「その上へセメントを撒き――」
十郎「何んで、豆腐の上へセメント撒かんならん? そんな、おかしな湯豆腐あるか?」
雁玉「ワタシは漆喰直した話してるのや」
十郎「ほな、豆腐の下へトタン敷ひて、どないすんのや? 小さい声でやれ!」
漆喰の主成分は水酸化カルシウムなのだから、豆乳に混ぜれば「食べてはいけない」にせよ、とりあえず凝固するのではないか。
ぼけ倒したようで、豆腐業者の目から見たらば、実は非常に微妙なネタに思えなくもない……と、一笑いの後に。
参考文献:『皇軍慰問特選漫才 十郎・雁玉集』(輝文館大阪パック社)
大豆たんぱくの生産量(2011年)
(社)日本植物蛋白食品協会(尾上秀俊会長)では、植物性たんぱく食品の生産、出荷・自社使用量の調査結果を2010年から公表している。調査結果を見ると、2011年の大豆たんぱくの国内生産量は前年比0.98%増の3万6,554トン。同じく出荷・自社使用量は前年比1.63%増の3万6,016トンである。
「国内生産量」とは国内自社工場で生産した総量で、OEMや受託生産も含み、海外自社工場の生産量は含まない。「出荷量」は国内向けに出荷したものだけでなく、輸出したものも含む。「自社使用量」は最終製品製造のために自社で使用する原料の量を指す。
2010年からは日本植物蛋白食品協会調べだが、それ以前は、農水省食品製造卸売課(2011年9月以前は食品産業振興課)調べ。農水省調査に比べて数値が少なくなっているのは、会員企業工場の海外での生産販売量を含まないこと、調査対象企業が2社減ったことが原因とみられる。
また大豆たんぱくとは大豆を原料に、それに含まれるたんぱく質を独自の製法により抽出し、主に食品素材として使われるもの。粒状、繊維状、粉末状の製品がある。粉末状はさらに「濃縮」タイプと「分離」タイプに分けられる。
「国内生産量」とは国内自社工場で生産した総量で、OEMや受託生産も含み、海外自社工場の生産量は含まない。「出荷量」は国内向けに出荷したものだけでなく、輸出したものも含む。「自社使用量」は最終製品製造のために自社で使用する原料の量を指す。
2010年からは日本植物蛋白食品協会調べだが、それ以前は、農水省食品製造卸売課(2011年9月以前は食品産業振興課)調べ。農水省調査に比べて数値が少なくなっているのは、会員企業工場の海外での生産販売量を含まないこと、調査対象企業が2社減ったことが原因とみられる。
また大豆たんぱくとは大豆を原料に、それに含まれるたんぱく質を独自の製法により抽出し、主に食品素材として使われるもの。粒状、繊維状、粉末状の製品がある。粉末状はさらに「濃縮」タイプと「分離」タイプに分けられる。
