露天神社由緒略記

閑話休題。本題に戻ります。「露天神社」は「露天(つゆてん)/神社(じんじゃ)」でなく、「露(つゆ)/天神社(てんじんしゃ)」と読みます、区切ります。生粋の大阪人、年配の方でも、たまに間違えている方が見受けられます。天神さん、すなわち菅原道真公と縁のあるお社ですから。大阪各所に在る菅公ゆかりの寺社同様に、露天神社の境内でも牛が祀られていますよ。史実に当たるより先に、境内の説明板「露天神社由緒略記」に目を通してみますと――。
後 菅原道真公 筑紫に謫遷の途次 此地を過ぎ 路上 露深かりければ
露と散る涙に袖は朽ちにけり
都のことを思出づれば
と詠歌ありしに因み 露天神社と称せらる
無論、「昌泰の変」、菅公が大宰府に左遷されたのが昌泰4年(901)。露天神社の創建が、少なくとも嘉祥3年(850)まで遡れるというならば、菅公の歌以前の名称は?との疑問も湧きますし、また、境内に存する神泉「露の井戸」を引き合いに出されることもあるなど、諸説定まらずといった観。ただ、事実はどうあれ、「露天神社」というネーミングを決定付け、(かつての大坂庶民の間で)人口に膾炙するようになったのは、天神さん人気あってのことは確かかなぁ、と。
参考文献:近松門左衛門『曽根崎心中・冥途の飛脚 他五篇』(岩波文庫)
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