掘返べら
ECCE HOMO
「国立国際美術館」で観劇後、「ECCE HOMO 現代の人間像を見よ」を鑑賞。
仰々しいテーマと裏腹に、同館所蔵作品を中心とした100余点のバラエティー展?!
非常に興味深いのですが、まとまりに欠け、何ともなしに忙しない気持ちを覚えます
……現代人だから? まさか、それが狙い? ということもないのでしょうが。
逆に言うと、誰であっても、それぞれのツボに嵌まる作品に出会えたのかも。
ぼくはと言えば、ウォーホルなんぞどうでもよくなる濃ゆい作品群に惚れました。
個人的なセンサーに引っ掛かったものを忘れないうちに、書き留めておきますね。
北山善夫「生きること 死ぬること」
石井茂雄「暴力シリーズ・曲芸」、「不安な都市シリーズ―共犯」
池田龍雄「化物の系譜」シリーズ、「見知らぬ機械」
小谷元彦「Phantom-Limb」、「Terminal Impact」
「ターミナル・インパクト」とは、歩行時、膝に掛かる衝撃のこと。
小谷は京都出身の現代美術家で、欠落(=不在)による 人体のリアルを探求?
映像やインスタレーションを駆使して、“彫刻”とは何か、問い続けてきたらしい。
同映像インスタレーションは、義足の女性作家・片山真理とのコラボレーション。
一緒に観ていた相方は「彼女はロボットだ」と終始主張。頭をくらくらさせられました。
仰々しいテーマと裏腹に、同館所蔵作品を中心とした100余点のバラエティー展?!
非常に興味深いのですが、まとまりに欠け、何ともなしに忙しない気持ちを覚えます
……現代人だから? まさか、それが狙い? ということもないのでしょうが。
逆に言うと、誰であっても、それぞれのツボに嵌まる作品に出会えたのかも。
ぼくはと言えば、ウォーホルなんぞどうでもよくなる濃ゆい作品群に惚れました。
個人的なセンサーに引っ掛かったものを忘れないうちに、書き留めておきますね。
北山善夫「生きること 死ぬること」
石井茂雄「暴力シリーズ・曲芸」、「不安な都市シリーズ―共犯」
池田龍雄「化物の系譜」シリーズ、「見知らぬ機械」
小谷元彦「Phantom-Limb」、「Terminal Impact」
「ターミナル・インパクト」とは、歩行時、膝に掛かる衝撃のこと。
小谷は京都出身の現代美術家で、欠落(=不在)による 人体のリアルを探求?
映像やインスタレーションを駆使して、“彫刻”とは何か、問い続けてきたらしい。
同映像インスタレーションは、義足の女性作家・片山真理とのコラボレーション。
一緒に観ていた相方は「彼女はロボットだ」と終始主張。頭をくらくらさせられました。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
tag : 美術
わが父、ジャコメッティ
3月19日(土)、大阪・中之島の「国立国際美術館」に赴く。
ダイキン工業現代美術振興財団創立20周年記念公演となる
劇団「悪魔のしるし」の演劇『わが父、ジャコメッティ』を観るのだ。
2014年が初演で、今回が再演。全3回公演の初回、13時からのマチネーを観た。
地下講堂に潜り込むと、通常は芝居の演じられる空間でもないのが一目瞭然。
キャンバスやベッド、プロジェクターやら雑多なオブジェが放り出された格好。
劇は既に始まっているのか、どこから始まったのか、きっかけがわからない。
舞台と観客席の境界線が、定まっているのか、はっきりしないのと同じように。
舞台の下手で、木口敬三が大谷ひかると妻(?)に向かってパリの思い出話。
木口敬三はれっきとした画家である。作・演出を手掛ける危口統之は、実の息子。
木口は役柄として、自身をアルベルト・ジャコメッティを同一視しているという設定。
そうして、ぼけ始めた木口を介護する役どころが、大谷に振られている。
木口(=ジャコメッティ)は息子を、日本人哲学者の矢内原伊作と誤認もする。
矢内原はジャコメッティと親しく交わり、ジャコメッティは彼の肖像画や彫刻を制作。
さらにジャコメッティの妻、アネットとも深い間柄になったといわれる矢内原だが……
芝居の流れで、大谷はアネットとしても振る舞う。矢内原の『ジャコメッティ』、
『完本 ジャコメッティ手帖』から、気ままにテクストが引用される。
こうした道具立てにもかかわらず、難解で、高尚な前衛劇となる訳でもなく、
ふわふわと頼りなげな(役者としての)木口統之のモノローグとともに、宙に浮き。
大谷の大望(?)もやんわりとはぐらかされ、地下講堂は緩い笑いに包まれる。
木口敬三は本当にぼけてしまってないか? 余計な心配までしたくなる。
点鼻薬と木工用ボンドを取り違えたというギャグも、子守唄のように耳に馴染んだ。
ふと、舞台上の柱時計の指し示す時刻が、現実の時刻と一致していると気付く。
舞台上の時間も、リアルな時間も、何も変わりはしないのだ。
1時間ちょっとで、お芝居は終わった。一応。幕は下りたりなどしていない。
幕なんて元々無かった。講堂の出口で木口敬三さんに見送られ、少し面映かった。
ダイキン工業現代美術振興財団創立20周年記念公演となる
劇団「悪魔のしるし」の演劇『わが父、ジャコメッティ』を観るのだ。
2014年が初演で、今回が再演。全3回公演の初回、13時からのマチネーを観た。
地下講堂に潜り込むと、通常は芝居の演じられる空間でもないのが一目瞭然。
キャンバスやベッド、プロジェクターやら雑多なオブジェが放り出された格好。
劇は既に始まっているのか、どこから始まったのか、きっかけがわからない。
舞台と観客席の境界線が、定まっているのか、はっきりしないのと同じように。
舞台の下手で、木口敬三が大谷ひかると妻(?)に向かってパリの思い出話。
木口敬三はれっきとした画家である。作・演出を手掛ける危口統之は、実の息子。
木口は役柄として、自身をアルベルト・ジャコメッティを同一視しているという設定。
そうして、ぼけ始めた木口を介護する役どころが、大谷に振られている。
木口(=ジャコメッティ)は息子を、日本人哲学者の矢内原伊作と誤認もする。
矢内原はジャコメッティと親しく交わり、ジャコメッティは彼の肖像画や彫刻を制作。
さらにジャコメッティの妻、アネットとも深い間柄になったといわれる矢内原だが……
芝居の流れで、大谷はアネットとしても振る舞う。矢内原の『ジャコメッティ』、
『完本 ジャコメッティ手帖』から、気ままにテクストが引用される。
こうした道具立てにもかかわらず、難解で、高尚な前衛劇となる訳でもなく、
ふわふわと頼りなげな(役者としての)木口統之のモノローグとともに、宙に浮き。
大谷の大望(?)もやんわりとはぐらかされ、地下講堂は緩い笑いに包まれる。
木口敬三は本当にぼけてしまってないか? 余計な心配までしたくなる。
点鼻薬と木工用ボンドを取り違えたというギャグも、子守唄のように耳に馴染んだ。
ふと、舞台上の柱時計の指し示す時刻が、現実の時刻と一致していると気付く。
舞台上の時間も、リアルな時間も、何も変わりはしないのだ。
1時間ちょっとで、お芝居は終わった。一応。幕は下りたりなどしていない。
幕なんて元々無かった。講堂の出口で木口敬三さんに見送られ、少し面映かった。
tag : 演劇
『ナジャ』再読―労働について―
私は労働の観念を物質的必要として受けいれざるをえないし、この点では労働のもっともよい配分、もっとも公正な配分にはだれよりも好意的である。いまわしい生活上の義務から労働を強いられるのならまあいい。だが、労働を信じろだの、自分の労働や他人の労働を敬えだのと要求されるのはごめんである。かさねていうが、私は自分が昼ひなかを歩く人間だと信じるよりも、夜のなかを歩いているほうが好きだ。働いているあいだは生きていたってしかたがない。だれしも自分自身の生活の意味の啓示を権利として期待できる出来事、私はまだそれを見つけていないかもしれないが、それをめざす途中で自分をさがしている出来事、そういう出来事は、労働とひきかえに与えられるものではない。
☆
ブルトンの小説(描写批判)と並び、この労働批判もぼくを刺激し続けたものです。
“批判”するには、「描写」と「労働」の中に深く沈潜し、考える必要が出てきます。
執拗に描写を重ねることもあるし、がむしゃらに働き倒すこともあるかもしれません。
しかし、それは「描写」や「労働」を信じることとは、全く関係ございませんので。
ただ、 “自由”のために。小説が何者にも囚われず、自由に生きていくために。
参考文献:アンドレ・ブルトン『ナジャ』(岩波文庫)
☆
ブルトンの小説(描写批判)と並び、この労働批判もぼくを刺激し続けたものです。
“批判”するには、「描写」と「労働」の中に深く沈潜し、考える必要が出てきます。
執拗に描写を重ねることもあるし、がむしゃらに働き倒すこともあるかもしれません。
しかし、それは「描写」や「労働」を信じることとは、全く関係ございませんので。
ただ、 “自由”のために。小説が何者にも囚われず、自由に生きていくために。
参考文献:アンドレ・ブルトン『ナジャ』(岩波文庫)
tag : 小説
赤のれん

3月15日、「三津寺仏像群初公開」鑑賞の後、
紆余曲折を経て、ぼくらは京橋に辿り着いた。
どのお店に入っても構わなかった。
懐かしさも手伝って、界隈を久しぶりに散策。
明らかに変わったようで(ある種の業態店舗)、
変わらないタイプの店も、頑として在る。
例えば、大衆居酒屋「赤のれん」……
その昔、足繁く、毎夜のように通い詰めた
あの頃の京橋にも、同じような佇まいで在った。
ぼくらはどこから来て、どこで出会ったのだろう。

どこへ向かっているのか、意識はしゃんとしているかい?
思い出せない曲名があり、ふと口ずさむ歌がある。
ぼくは昔のぼくでなくなったのかもしれないし、
君も今ある君ではなかったのだろう(誰が気にする)。
山形の超辛口吟醸生酒「黒ばくれん」を呑んだのか、
それとも、どの店に行っても顔を出す「豪快」だったか。
ぼくの思考はとめどなく彷徨い始めるけれども、
ぼくの目は、メニューの中に「豆腐」の文字を探す。
リセットする心持ちで、揚げだし豆腐を頼もう。
豆腐の味噌チーズ田楽も摘まもう。
日の高いうちから呑んでいた酔客が管を巻き始めるから、
まだ日は暮れたばかりなのに、半日ほど出遅れた気分。
L'eclat
2月14日のバレンタイン・デーに間に合わなくて、
3月14日のホワイト・デーにも一日遅れ。
それでも、以前から気になっていた「惑星ショコラ」。
欲しくてたまらなかったので、大阪・中之島に位置する
「リーガロイヤルホテル」に向かったのさ。
ショコラ・ブティック「レクラ」はホテル内。
場違いな気分を押し隠して、フロントで店舗の所在を訊いた。
ホテルマンは、すぐに横手のショーケースを指し示したよ。
どきどき、わくわく気分で、フレーバーを選ぶ。
先客に、8個セットを大人買いするお大尽もいたけど、
ぼくは一個一個、選んでみるのだ、ためつすがめつ。
ココナツ・マンゴーの水星、クリーム・レモンの金星、
カカオの地球、バニラの木星、ミルクティの天王星……計5つ。
賞味期限が4週間なので、買いだめは出来ない。
3月14日のホワイト・デーにも一日遅れ。
それでも、以前から気になっていた「惑星ショコラ」。
欲しくてたまらなかったので、大阪・中之島に位置する
「リーガロイヤルホテル」に向かったのさ。
ショコラ・ブティック「レクラ」はホテル内。
場違いな気分を押し隠して、フロントで店舗の所在を訊いた。
ホテルマンは、すぐに横手のショーケースを指し示したよ。
どきどき、わくわく気分で、フレーバーを選ぶ。
先客に、8個セットを大人買いするお大尽もいたけど、
ぼくは一個一個、選んでみるのだ、ためつすがめつ。
ココナツ・マンゴーの水星、クリーム・レモンの金星、
カカオの地球、バニラの木星、ミルクティの天王星……計5つ。
賞味期限が4週間なので、買いだめは出来ない。
tag : おやつ
三津寺仏像群初公開

(時には「三津寺町」など)という言葉が使われるように、
大阪人には極めて親しみやすいお寺さんが「三津寺」。
まさか、そんな三津寺に秘仏が眠っているとは……
平安時代にも遡れる仏像が数体も隠されているとは
……しかも、大阪市文化財に指定されたことを受け、
このたび、初公開されることになったとは!
期間限定(3月10~15日)の一般公開と聞いて、
息せき切って、喜び勇んで馳せ参じたぼくなのです。
大阪市指定有形文化財は12点。
余間で招くは、①木造聖観音菩薩坐像、
②木造男神及二眷属像、③木造明王立像。
本堂内陣に進み入ると、大阪市教育委員会の

職員の方の解説を聴きました。
意外に手堅く、なかなか勉強になります。
左厨子に、④木造愛染明王坐像、
⑤木造薬師三尊立像(薬師如来+脇侍の
日光・月光菩薩)、⑥木造不動明王立像。
中央厨子には、⑦木造地蔵菩薩立像、
⑧木造十一面観音菩薩立像(=本尊)
⑨木造毘沙門天立像。
右厨子に、⑩木造大日如来坐像、
⑪木造弘法大師坐像、⑫木造弥勒菩薩坐像。
壮麗な本堂内陣の荘厳と相まって、繁華街の一角に、こんな空間が在るとは!
思わず、唸らされましたよ。大阪市中心部は、第二次世界大戦に限らず、
近世の頃から、度重なる火災に見舞われているため、
江戸時代の雰囲気を現代に残す「三津寺」は、貴重な存在なのだとか。
聖武天皇の勅命により、行基が創建したと伝えられていますが、
真空という僧が住職を務めていた1680年頃、本格的に整備されたそうです。
その頃、編纂された摂津国の地誌『摂陽群談』(1701)には、三津寺の本尊・
十一面観音が、胎内仏として古い金銅仏を納めていると記されているそうです。
なお、三津寺の本堂に向かって右側、前堂(愛染堂)に祀られている仏像群は、
「いくたまさん」から移されたものとみられています。
「いくたまさん」=現「生國玉神社」は、元々、寺社が一体となっていた“神宮寺”
「生玉宮寺」の一部であって、生玉宮寺自体は明治時代の廃仏毀釈で廃寺に。
その生玉宮寺の一坊であった持宝院の仏像が、三津寺に残されていた模様。
中央に祀られている木造愛染明王坐像、その左の木造弁才天坐像の台座に
残る銘(修理時に墨で記される)から、持宝院に在ったものと判明したそうです。
それより何より、ぼくの刮目して見たのは、中央の愛染明王坐像と並ぶ
もう1体の愛染明王の陰に隠れた格好の木造大黒天立像……そう!
この大黒天も、あの「帯解寺」で逢った三面六臂大黒天立像なのでした。
tag : 仏像
雨宿る鳩

誰も悪くないはずなのに、疑いの心が兆して。
前触れもなく、いそいそと出かける女たち。
隠さないことが、身の潔白を証明するかのように。
(問われさえしなければ、嘘をつく必要は無いから)
目配せをして、遠くで微笑み、ケ・セラ・セラ。
昨夜の雨と、今朝方の雨は同じ冷たさだったかい?
昨日と今日をまたいで、諍うぼくらはまるで……
雨に打たれないよう、雨宿る鳩らが押し黙る。
こんな日に、鳥は飛ぼうとしないだろう。
鳴きもせず、羽ばたきもしない鳥の代わりに、
ぼくらは鳩のようにむせび泣く。喉奥で言葉、殺して。
tag : つぶやき
バッテンよかとぉ
大阪・天満でお昼から呑める優良店、
「博多串焼き バッテンよかとぉ」は
「元気ファクトリー」の運営。同系列の
「煮干しらーめん玉五郎 天満本店」や
「電撃ホルモン ツギヱ」も同じ一画に。
2006年7月にオープンしてから客足絶えず!
これは、天満のように飲食店の入れ替わりが
激甚な地域では、素直に、驚嘆すべきことです。
リーズナブルで旨い。お酒がぐんぐん進みます。
☆
シロなど、ホルモン中心の串焼きを摘まみ、
板蕎麦で締めるのが通常のパターンです。
今回(3月11日)も奈良からの帰りに立ち寄り、
串焼きを頬張り、熱燗を空けました。
上の画像はジーマミー豆腐。
“豆腐”とはいえ、大豆は関係ございません。
黒蜜様のたれが掛かっています。
左の画像はチーズ豆腐。
蜂蜜と共に、バゲットに塗って食する感じ
……酒呑みが甘い物嫌いだなんて、誰の言い草?

「博多串焼き バッテンよかとぉ」は
「元気ファクトリー」の運営。同系列の
「煮干しらーめん玉五郎 天満本店」や
「電撃ホルモン ツギヱ」も同じ一画に。
2006年7月にオープンしてから客足絶えず!
これは、天満のように飲食店の入れ替わりが
激甚な地域では、素直に、驚嘆すべきことです。
リーズナブルで旨い。お酒がぐんぐん進みます。
☆

板蕎麦で締めるのが通常のパターンです。
今回(3月11日)も奈良からの帰りに立ち寄り、
串焼きを頬張り、熱燗を空けました。
上の画像はジーマミー豆腐。
“豆腐”とはいえ、大豆は関係ございません。
黒蜜様のたれが掛かっています。
左の画像はチーズ豆腐。
蜂蜜と共に、バゲットに塗って食する感じ
……酒呑みが甘い物嫌いだなんて、誰の言い草?
大安寺
「帯解寺」を出ると、JR桜井線で京終(きょうばて)駅へ移動。
……たったの1駅なんですが、待ち時間が長い。
京終駅で下車すると、「大安寺」を目指して西進。
以前、同寺を訪ねた時は、JR奈良駅から とぼとぼ歩いたものでした。
相も変わらず、殺風景な地方都市郊外の景観です。
道路をびゅんびゅんと車が走り、風情の欠けらもなく。
“南都七大寺”の一つなんですが。わが国最初の官寺なんですが。
点在する史跡の一つひとつが、かつての寺域の広大さ、伽藍の壮麗さを物語ります。
反して、今は昔、現在の慎ましやかな大安寺の有り様が、興をそそる面も無くは無く。
いえいえ、感傷に浸ってはいけません。
今回の目的は「天平秘仏・馬頭観音特別開扉」なのですから。
前回の訪問は2009年11月24日、秋口でしたから、「十一面観音特別公開日」。
あの秋には見られなかった馬頭観音ですが、春先には鑑賞できるのでした。
まず「嘶堂」に、天平秘仏の馬頭観音立像を訪ねます。
例によって忿怒相ですが、よくある頭上の馬頭セッティングは無し。
腰に獣皮をまとい、瓔珞(ようらく)や足首には蛇が巻き付いていました。
馬頭観音の儀軌が定まる以前の作例とみられ、同寺の他の天平仏と同じ匂い。
馬が牧草を食むように、諸々の悪を喰らい尽くし、
たくさんの水を一気に飲み干すように私たちの災厄を除く、といわれています。
「讃仰堂(宝物殿)」に入ると、
いつもの天平仏7体がお出迎え。ほっとします。
小学生時代の校舎で、旧友と再会する感覚。
不空羂索観音立像を中心に、脇侍の2体が、
楊柳観音立像と聖観音立像。その横に四天王。
観音様でありながら、馬頭観音が忿怒相なのは
まだわかるのですが、楊柳観音までも忿怒相!
馬頭観音の怒りが伝染ったのかなあ?
右の画像は、境内の手水鉢の縁に居並ぶ だるまたち。
大安寺のおみくじは、だるまみくじなのでした。
……たったの1駅なんですが、待ち時間が長い。
京終駅で下車すると、「大安寺」を目指して西進。
以前、同寺を訪ねた時は、JR奈良駅から とぼとぼ歩いたものでした。
相も変わらず、殺風景な地方都市郊外の景観です。
道路をびゅんびゅんと車が走り、風情の欠けらもなく。
“南都七大寺”の一つなんですが。わが国最初の官寺なんですが。
点在する史跡の一つひとつが、かつての寺域の広大さ、伽藍の壮麗さを物語ります。
反して、今は昔、現在の慎ましやかな大安寺の有り様が、興をそそる面も無くは無く。
いえいえ、感傷に浸ってはいけません。
今回の目的は「天平秘仏・馬頭観音特別開扉」なのですから。
前回の訪問は2009年11月24日、秋口でしたから、「十一面観音特別公開日」。
あの秋には見られなかった馬頭観音ですが、春先には鑑賞できるのでした。
まず「嘶堂」に、天平秘仏の馬頭観音立像を訪ねます。
例によって忿怒相ですが、よくある頭上の馬頭セッティングは無し。
腰に獣皮をまとい、瓔珞(ようらく)や足首には蛇が巻き付いていました。
馬頭観音の儀軌が定まる以前の作例とみられ、同寺の他の天平仏と同じ匂い。
馬が牧草を食むように、諸々の悪を喰らい尽くし、
たくさんの水を一気に飲み干すように私たちの災厄を除く、といわれています。
「讃仰堂(宝物殿)」に入ると、

いつもの天平仏7体がお出迎え。ほっとします。
小学生時代の校舎で、旧友と再会する感覚。
不空羂索観音立像を中心に、脇侍の2体が、
楊柳観音立像と聖観音立像。その横に四天王。
観音様でありながら、馬頭観音が忿怒相なのは
まだわかるのですが、楊柳観音までも忿怒相!
馬頭観音の怒りが伝染ったのかなあ?
右の画像は、境内の手水鉢の縁に居並ぶ だるまたち。
大安寺のおみくじは、だるまみくじなのでした。
tag : 仏像