音と比喩
5月14日(土)18時から、大阪・谷町六丁目で開かれる
有志による小説の勉強会に参加しました。今回で第21回を数えます。
主宰を除くと、ぼくは皆勤賞……“言い出しっぺ”の責任感もあるのですが。
テーマは「描写に比喩表現が効果的なのは何故か?」で、描写対象が“音”。
ぼくの想定とはずれが生じていましたが、そこは主宰の関心との差でもあり。
提出された課題文が3編しかなく、参加者も6人と半減しそうな勢いでしたが、
その分、濃密な議論に踏み込めたかと思います。
(大勢の中で“個性”を出そうとして、かえって凡庸なフライングに走ることなく、
一人ひとりが真摯な姿勢でテーマに向き合えたせいかしら?)
ぼく自身の提起した問題点は、まず、音に関して、
鼓膜を通して介する現象のみが“音”ではないだろう、と。
狭い聴覚のみでなく、よりプリミティヴな形で体感できる振動(=波)を提示。
比喩については、「XのようなY」といったパターンにおいて、
既知の表現に落とし込めないYを言い表そうとして、Xを要請する
というのが通例かと思われますが、対して、Yを介することによって、
X自体を問い直す作業を読者に指し示すことが出来るのではないか?
いずれにしても、“音(聴覚)”や“比喩”といった概念の抜本的な再考を促すもので、
どこまで行っても哲学者のぼくは、ソクラテスのイロニーから離れられないようです。
有志による小説の勉強会に参加しました。今回で第21回を数えます。
主宰を除くと、ぼくは皆勤賞……“言い出しっぺ”の責任感もあるのですが。
テーマは「描写に比喩表現が効果的なのは何故か?」で、描写対象が“音”。
ぼくの想定とはずれが生じていましたが、そこは主宰の関心との差でもあり。
提出された課題文が3編しかなく、参加者も6人と半減しそうな勢いでしたが、
その分、濃密な議論に踏み込めたかと思います。
(大勢の中で“個性”を出そうとして、かえって凡庸なフライングに走ることなく、
一人ひとりが真摯な姿勢でテーマに向き合えたせいかしら?)
ぼく自身の提起した問題点は、まず、音に関して、
鼓膜を通して介する現象のみが“音”ではないだろう、と。
狭い聴覚のみでなく、よりプリミティヴな形で体感できる振動(=波)を提示。
比喩については、「XのようなY」といったパターンにおいて、
既知の表現に落とし込めないYを言い表そうとして、Xを要請する
というのが通例かと思われますが、対して、Yを介することによって、
X自体を問い直す作業を読者に指し示すことが出来るのではないか?
いずれにしても、“音(聴覚)”や“比喩”といった概念の抜本的な再考を促すもので、
どこまで行っても哲学者のぼくは、ソクラテスのイロニーから離れられないようです。
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