北向地蔵
大阪は、阪急・梅田駅の西北に位置する
阪急三番街――その東側「地蔵横丁」の
南端に、「北向地蔵尊」が在ります。
元々、同地蔵は大阪駅近くに住んでいた
仲谷弥三兵衛が明治24年(1891)、
自家の畑から掘り出した物らしく、
明治26年10月16日、北向きに御堂を建立し、
祭祀を開始したといわれています。現在の
阪急三番街は、旧・小深町の辺りに該当し、
阪急に買収されるまでは小深町会が祭祀を
執り行っていた模様。阪急三番街の開業(1969)前に、一時、
豊中市千里山の「万福寺」に移転されたこともあったようですが、
最終的に当時の阪急社長が、北向地蔵の三番街現在地への遷座を決断。
合わせて、三番街のテナントを中心に「阪急三番街北向地蔵尊 奉賛会」も結成。
「紀伊國屋書店」のすぐ西側でもあり、大阪人の間では結構、知られています。
参考文献:村上興匡氏「大阪梅田地域の地蔵祭祀」(東京大学文学部宗教学研究室 東京大学宗教学年報、1990年3月)

阪急三番街――その東側「地蔵横丁」の
南端に、「北向地蔵尊」が在ります。
元々、同地蔵は大阪駅近くに住んでいた
仲谷弥三兵衛が明治24年(1891)、
自家の畑から掘り出した物らしく、
明治26年10月16日、北向きに御堂を建立し、
祭祀を開始したといわれています。現在の
阪急三番街は、旧・小深町の辺りに該当し、
阪急に買収されるまでは小深町会が祭祀を
執り行っていた模様。阪急三番街の開業(1969)前に、一時、
豊中市千里山の「万福寺」に移転されたこともあったようですが、
最終的に当時の阪急社長が、北向地蔵の三番街現在地への遷座を決断。
合わせて、三番街のテナントを中心に「阪急三番街北向地蔵尊 奉賛会」も結成。
「紀伊國屋書店」のすぐ西側でもあり、大阪人の間では結構、知られています。
参考文献:村上興匡氏「大阪梅田地域の地蔵祭祀」(東京大学文学部宗教学研究室 東京大学宗教学年報、1990年3月)
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