幻の長柄橋

大阪の天神橋筋をずっと北上していけば、
淀川に出る。大阪市北区天神橋は8丁目まで。
天神橋筋の東側が天八、西側が北区本庄東。
本庄東と大阪市東淀川区柴島との間を流れる
淀川に架かるのが、長柄橋となります。
全長656.4m、幅員20m の鋼道路橋で、
構造上の形式は、バスケットハンドル型
ニールセンローゼ橋とされています。
(画像の右手の鉄橋は、阪急・千里線)
古代の史料にも「長柄橋」の名は見え、“人柱”に関する伝説がよく知られていますが、
古代長柄橋の人柱碑が残されているのは、大阪市淀川区東三国の辺り。
淀川の位置自体が現代と異なるのですから、古代長柄橋も、現在の長柄橋と
全く異なった位置に架かっていたことになります。しかも、水害によって廃絶。
しかし、その“存在しない橋”は、人柱伝説とともに独り歩きを始め、歌に詠まれたり、
「長柄の人柱」「雉も鳴かずば撃たれまい」という諺になったりするなどして、
いつの間にやら、“幻の名橋”扱いされるに至った経緯があるそうです。
現在の長柄橋は、本体が古代長柄橋と全くの別物であるのは当然至極として、
架かっている場所すら異なる、単に名前だけを継承した格好となるのですが、
時折、見当違いの「人柱伝説」を引き合いに出して、
心霊スポットとして盛り上げようという輩を目にすることがあります……。
今の長柄橋を正確に語り伝えようとするならば、弘仁時代の人柱云々でなく、
1945年6月7日の「長柄橋惨事」からにすべきでしょう。
第3回 大阪大空襲により、長柄橋南詰では約400人の市民が亡くなりました。
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