夢二郷土美術館
10月14日(金)、ぼくは岡山市にいました。
当初、倉敷市内の某寺を訪う予定でしたが、
山間部までの“足”を調達できなかったことと、
「岡山・倉敷ぐるりんパス」を利用することから。
岡山電気軌道に乗って、城下で下車。
向かった先は「夢二郷土美術館」。
竹久夢二(1884~1934)こと、本名・
茂次郎は、 岡山県邑久郡本庄村の生まれ。
訪ねた時期は、同館の創設50周年記念で、
幻の夢二の油彩画《西海岸の裸婦》初公開。
“夢二式美人”、“大正の浮世絵師”といったイメージから、
夢二に対して日本画のイメージが強く持たれているかと思われますが、
商業美術として成功した作品がそうであったためで、
夢二自身は日本画にこだわらず、様々な表現技法を模索していたようです。
亡くなる3年前の昭和6年(1931)6月から翌年9月まで滞米。
その間に、裸婦かつ欧米人を描いていたことに希少価値がある模様。
赤毛に近い金髪に、白皙の肌です……顔や肢体はやはり夢二式でした。

当初、倉敷市内の某寺を訪う予定でしたが、
山間部までの“足”を調達できなかったことと、
「岡山・倉敷ぐるりんパス」を利用することから。
岡山電気軌道に乗って、城下で下車。
向かった先は「夢二郷土美術館」。
竹久夢二(1884~1934)こと、本名・
茂次郎は、 岡山県邑久郡本庄村の生まれ。
訪ねた時期は、同館の創設50周年記念で、
幻の夢二の油彩画《西海岸の裸婦》初公開。
“夢二式美人”、“大正の浮世絵師”といったイメージから、
夢二に対して日本画のイメージが強く持たれているかと思われますが、
商業美術として成功した作品がそうであったためで、
夢二自身は日本画にこだわらず、様々な表現技法を模索していたようです。
亡くなる3年前の昭和6年(1931)6月から翌年9月まで滞米。
その間に、裸婦かつ欧米人を描いていたことに希少価値がある模様。
赤毛に近い金髪に、白皙の肌です……顔や肢体はやはり夢二式でした。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術