そして、函館
……泥酔街道は続きます。大阪・天満は「天五横丁」で
「かわむら」の隣のバー「サンセット」へ入りました。
(おそらく)1970年代のロック好きなマスターとは、
全く音楽の趣味が合わず、いつ入っても酔っ払いの
ぼくは、温厚で善良なマスターに執念く絡んでしまう
どうしようもない悪党に成り下がってしまうのです。
マスター、いつも申し訳ございません。3軒目には、しばらく
ご無沙汰していたラーメン屋「もりいち」も訪問。
女将と久闊を叙し、ミニ・ラーメンを摘まみ、さらに
ちびちびと呑み続けます。「もりいち」はラーメン屋の
皮を被った小料理屋でもあり、韓国料理系のアテも
用意できたりするので、何かと便利なのですね。
ふと周りを見回せば、呑んだくれのぼくが独り。
真夜中を過ぎる頃、どういった訳だか、ぼくが「店長」と呼ばれる店が
JR天満駅前に在りました。過去形です。酔っ払った時にしか訪れないため、
正式な店名も、大将の名前もきちんと記憶できていなかった訳ですが、
その宵は酔いの勢いを借りて、心覚えのあった雑居ビルに向かって行くと、
元世界チャンピオンが現れました……えっ?! ぼくにもよくわかりませんでした。
が、本能に任せて、ドアを開けると、そのまま階段を昇りました。
知らぬ間に新しく出来ていた、その「元世界チャンピオンが営むBAR」は
ふっくらと肉付きの良い体形のマスターと、その妻らしき女性の2人で切り盛り。
この「函館バー ハメド」のバーテンダーが、函館市出身の山口圭司さんです。
プロレス好きだったぼくも、ボクシングについてはあまり詳しくございません。
頂いた名刺から、山口圭司さんのプロフィルを転記させてもらうと――。
1974年2月17日生まれ 北海道函館市出身
デビュー/1992年
生涯戦績/38戦29勝(11KO)8敗1分
タイトル防衛回数/日本ライトフライ級3回、WBAライトフライ級1回
函館から来た男が、わざわざ、天満でバーを? 怪訝に思われるかもしれません
(実は、ぼく自身もそうでした)が、実は、ほとんど“大阪人”と呼べなくもないようでして、
この夜は、(また別の)“プリンス”と呼ばれる伝説の元チャンプとお近付きとなり、
皮切りにニッカ、I・W・ハーパー、最後はグランダッドを酌み交わしていましたよ。

「かわむら」の隣のバー「サンセット」へ入りました。
(おそらく)1970年代のロック好きなマスターとは、
全く音楽の趣味が合わず、いつ入っても酔っ払いの
ぼくは、温厚で善良なマスターに執念く絡んでしまう
どうしようもない悪党に成り下がってしまうのです。
マスター、いつも申し訳ございません。3軒目には、しばらく
ご無沙汰していたラーメン屋「もりいち」も訪問。
女将と久闊を叙し、ミニ・ラーメンを摘まみ、さらに
ちびちびと呑み続けます。「もりいち」はラーメン屋の
皮を被った小料理屋でもあり、韓国料理系のアテも
用意できたりするので、何かと便利なのですね。
ふと周りを見回せば、呑んだくれのぼくが独り。
真夜中を過ぎる頃、どういった訳だか、ぼくが「店長」と呼ばれる店が
JR天満駅前に在りました。過去形です。酔っ払った時にしか訪れないため、
正式な店名も、大将の名前もきちんと記憶できていなかった訳ですが、
その宵は酔いの勢いを借りて、心覚えのあった雑居ビルに向かって行くと、
元世界チャンピオンが現れました……えっ?! ぼくにもよくわかりませんでした。
が、本能に任せて、ドアを開けると、そのまま階段を昇りました。
知らぬ間に新しく出来ていた、その「元世界チャンピオンが営むBAR」は
ふっくらと肉付きの良い体形のマスターと、その妻らしき女性の2人で切り盛り。
この「函館バー ハメド」のバーテンダーが、函館市出身の山口圭司さんです。
プロレス好きだったぼくも、ボクシングについてはあまり詳しくございません。
頂いた名刺から、山口圭司さんのプロフィルを転記させてもらうと――。
1974年2月17日生まれ 北海道函館市出身
デビュー/1992年
生涯戦績/38戦29勝(11KO)8敗1分
タイトル防衛回数/日本ライトフライ級3回、WBAライトフライ級1回
函館から来た男が、わざわざ、天満でバーを? 怪訝に思われるかもしれません
(実は、ぼく自身もそうでした)が、実は、ほとんど“大阪人”と呼べなくもないようでして、
この夜は、(また別の)“プリンス”と呼ばれる伝説の元チャンプとお近付きとなり、
皮切りにニッカ、I・W・ハーパー、最後はグランダッドを酌み交わしていましたよ。
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