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わすれな草

おそらく、カレーに相見(まみ)えることが可能だった状況で、
カレーを食せなかったことが心残りだったのかもしれません。
大阪・中之島の「国立国際美術館」に「クラーナハ展」を観に出掛けた
3月21日(火)、肥後橋まで来ていたぼくは、ランチはカレーという腹積もり。
ところが、所期の「肥後橋南蛮亭」は、本降りになった雨を見て
ランチ・タイムを早めに切り上げた模様。ならば、と久しぶりに
わすれな草」に入店。夜は立ち呑みですが、昼は立ち食いカレー
チキン・カレーのみ提供という潔さで、トマト・ベースのさらさらソースが絶妙。
大盛り630円と、コスト・パフォーマンスも抜群。夜に備えて仕込みを始めている
大将の手際を眺めながら、「わすれな草」のカレーを堪能させていただきました。
食べ終わる頃には雨も上がり。しかし、この日は、春分の日(3月20日)の翌日。
多くの美術館・博物館は月曜日を休館日としているので、月曜日が祝日の場合、
翌火曜日を休館日に充てるのですね。何と、国立国際美術館も閉まっていました。
クラーナハとの再会は阻まれましたが、あの味を思い出せたので、無問題。

(さらにはこの日の雨によって、また別の予定が変更。結果、全て良しとなるのです)

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : カレー

「どい亭」以後

今は昔、大阪は天神橋筋商店街に「どい亭
というスタンド・カレーの名店がありました。
脱サラしたマスターが丁寧に仕上げた欧風カレーは絶品で、
商店街(天神橋筋3丁目)をそぞろ歩けば、
アーケードの下、カレーの香(かぐわ)しい匂いが漂ってきて、
思わず飛び込んで、はふはふとスプーンを口に運んだものです。
現在は天神橋筋6丁目に在る「カルダモン」が、
同等の地位を占めているような気がします。
アーケードに流れるスパイスの香り、開店前の行列などを見て、
在りし日の「どい亭」の姿を彷彿とさせられるのです。
ところで、先日、「坐・和民」での同人二次会からの帰り道、
商店街の「どい亭」跡の明かりを目にしました。
BRUGAL」の看板が目に入り、即座にバーかと断じて、カウンターで1杯。
Jose Cuervo」をロックで飲って、嗚呼、クエルボはテキーラだったな
と喉を焼き、狭い辺りの内装を見回して、居抜きで使用しているんだなあ
などと観察しながら、カウンター上のカレー皿は何なんだ?とだけ記憶。
後日、自宅周辺で(入れ替わりも激しく)開業している飲食店を確認中、
同人の合評会の夜、飛び込んだ店は必ずしも「バー」でなく、
スリランカ・カレーの「HIKOBOSHI」が移ってきていると知りました。
そうと知っていれば、締めにカレーを注文したのに……
いや、いきなり入ってきて、テキーラを呷る客に対して
カレーは勧めてくれないのかな? そもそも、スパイスの匂いも
印象に残っていないことからして、火を落としていたのかもしれないなあ。
何にせよ、思い出のカレー屋さんの在った場所に、
また(美味しそうな)カレー屋さんが入っているのは良いですね。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : 呑むカレー

小説は器か?

3月19日(日)19時から「中之島公会堂」にて、同人の月例合評会。
土曜日も、日曜日も業務を休むことなく……前日は二日酔いを押さえ込みながら、
23時まで残業をこなしました。碌に眠る時間的な余裕も無くて、この日も
朝から業務に就いて、定時に終業。同人の合評会のために定時で退出する
と申告していたからで、そうでなければ、日曜日といえども最後まで残業ですね。
2編の月旦を行いました。一方はタイトルも小気味良く、前半の展開も軽妙ですが、
後半から雲行きが怪しく、小説が一種のプロパガンダに用いられているような
薄気味の悪さかなぁ(一昔前のニューエイジ思想の臭いもしないではないです)。
他方は、書き手の良さを敢えて殺してしまったかのようなタイアップ(?)小説で、
問題は「商品」としても成立しないだろうなぁ、という懸念を抱かされた点です。
他の同人からは評価する声も上がりましたが、ぼくならば自分のお金は落とさない、
と確信しています。書かれている事柄・情報に新味が無い、知っているネタばかりでは
どうにも食指は動きません。良くも悪くも、抒情的な小説が得意な人間にとって、
私性”から離れた場所で書くことは、戦略上、不利でしょう。文章が拙い訳ではなく、
フリー・ペーパーの記事としてなら、むしろ先頭を切って、褒めたかもしれませんが。
偶然かもしれませんが、今回の2作品、小説が容器として使用されている観でした。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

tag : 同人呑む

かぼちゃの馬車

鍋プログラム」が2回連続して、もつ鍋となりました。2017_03_17_「八百屋」
手詰まりなのか? まだ10回を超えたばかりなのに。
そんなことはないでしょ。冬に食べる鍋料理だからと
日本料理に限った訳でもないし、と目をつけたのが
チーズ・フォンデュ。神戸市で元気に展開している
CJ DINING 八百屋」に、電話で予約を入れて、
かぼちゃの馬車のチーズ・フォンデュ」コースを
頂きました。ついでに、120分の飲み放題も込み。
開店早々に押しかけたのですが、かなりの満席状態。
しかも、女子率高し。厨房以外は、ぼく独り男子?! 
気にせず、グラス・ワインを次から次へと干して、
チーズ・フォンデュを賞味します。中身をくり抜いた
かぼちゃを鍋に見立てて頂く趣向です。具材が尽きた
後は、器のかぼちゃも焼いて切り分けて供せられ、最後まで美味しく、全く無駄が
ありません。ちょっとした変化球により、「鍋プログラム(12)」を遂行いたしました。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : 呑む

特別展「古代ギリシャ」

2017_03_17_特別展「古代ギリシャ」 3月17日(金)、神戸市立博物館で開催されている
 特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」を鑑賞。
 哲学科を出たから、ということもないのですが、
 ぼくにとってギリシャは基本中の基本であって、
 面白くない訳はないのですけれども……全325件、
 9割以上が日本初公開
と銘打たれていながら、
 いつか、どこかで見かけたような既視感に随時、
 襲われてしまい、刺激には欠ける嫌いがあるにせよ、
 ある意味、親しみやすいアット・ホームな展示でした。
 (左の画像は牛頭形リュトン。実物はかなり小ぶり)
 冷静に考えれば、紀元前6800年頃の古代ギリシャを
 起点として、ミノス文明ミュケナイ文明
アルカイック時代クラシック時代マケドニア王国から
アレクサンドロス大王の死(紀元前323年)を嚆矢とするヘレニズムをも含めれば、
7000年の歴史ですよ。「古代ギリシャ」と一くくりにするのは、ざっくりし過ぎ。
乱暴な話、無理な企画ではあったのです。どう見ても、“時空を超え過ぎ”ですから、
7000年の年月を貫く棒の如き強靭なコンセプトが欲しかった。惜しいですねえ。

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術

安吾と仏像(2)

この季節ですと「桜の森の満開の下」、あるいは「紫大納言」など、
坂口安吾の説話形式の小説が、ぼくの大の好物なのですけれども、
1952年6月、「新潮」に発表された「夜長姫と耳男」もまた素敵な作品です。
夜長(よなが)の長者に招かれた、飛騨随一の名人と謳われた匠の親方に代わり、
まだ20歳の若者、耳男(ミミオ)が推薦されました。親方曰く、「仏像を刻めば、
これが小僧の作かと訝
(いぶか)しく思われるほど深いイノチを現します」と。
この語り手にして主人公、大きな耳が上へ立ち、頭より高く伸びている異相をもって
「耳男」と名付けられたようなのですが、夜長の長者に大耳を論(あげつら)われ、
さらに13歳の夜長姫に(耳男の顔相が)「本当に馬にそッくりだわ」と叫ばれ、
馬耳(うまみみ)」呼ばわりされるようになります。耳男は他にも招かれた名人らと
合計3人で腕比べをさせられる訳ですが、今回の仕事は夜長姫の持仏を造ること。
このヒメの今生(こんじょう)後生をまもりたもう尊いホトケの御姿を刻んで
もらいたいものだ。持仏堂におさめて、ヒメが朝夕拝むものだが、ミホトケの
御姿と、それを収めるズシがほしい。ミホトケはミロクボサツ。その他は
銘々の工夫に任せるが、ヒメの十六の正月までに仕上げてもらいたい

と、長者は仏像造りを命じるのでした。何とも、弥勒菩薩です。しかし、耳男が
刻もうと祈願するのは“魔神”、モノノケの像なのでした。蛇の生き血を呷(あお)り、
「血を吸え。そして、ヒメの十六の正月にイノチが宿って生きものになれ。
人を殺して生き血を吸う鬼となれ」
と、3年かけて、耳男は仕事を仕上げます。
造られた像について、「それは耳の長い何ものかの顔であるが、モノノケだか、
魔神だか、死神だか、鬼だか、怨霊だか、オレにも得体が知れなかった。
オレはただヒメの笑顔を押し返すだけの力のこもった怖ろしい物でありさえ
すれば満足だった
」と耳男は述懐しています。仏像好きならば、これは弥勒菩薩
でなく、馬頭観音……いや、深沙大将ではないか?と夢想が広がるくだりです。

参考文献:坂口安吾『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』(岩波文庫)

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像小説

WN-G54/CF

ワイモバイル」から、ぼくの携帯電話への入電が相次ぎました。
ここ十年近く、PHS通信カードを愛用してきたのですが、
その「Air Edge」のサービスを終了するよ、とのお知らせです。
何でも、LTEサービスの拡大に伴い、2017年3月31日に「ULTRA SPEED」を終了。
さらには、2018年1月末をもって、対象機種自体のサービスも終了するとか。
新サービスへの移行期間中は、下り最大通信速度の低速化が始まる模様。
現在、PHSカードはメールの送受信用でしか使っていないので、いきなり、
立ち往生はしないけれど。やれやれ。どこまでキャリアに振り回されるの? 
ぼくはキーボード入力の快適さから、今なお、シャープの「Linux Zaurus」を
(中古品を予備機として買い求めてまでも)使い倒している人間ですから。
相棒のザウ8君は、テキスト入力マシンとして代替機種も出ない有り様なので、
今後も……おそらくぼくが言葉を紡ぎ出せなくなる日まで、付き合っていく予感。
メールにしてもザウ8君を介することはしない、と割り切れば、問題は無いのでしょうが、
やはり、悪あがきはしてみたくなるもので、PHSという存在並みに絶滅危惧品種の
コンパクトフラッシュ型の無線LANカードを漁りに出掛けたものです。
少々苦労はしましたが、「アイ・オー・データ」の「WN-G54/CF」を入手。
冷静に省みると、マニアックにも程があるというか、変態的なこだわりを感じます。
さて、レアとなりつつあるCF型無線LANカードは揃いました。次はWPA接続。
認証プログラム、Wi-Fi Protected Access(=WPA/WPA2)をパスできるか? 

テーマ : 周辺機器
ジャンル : コンピュータ

tag : モバイル

武田五一の建築標本

3月14日(火)はホワイト・デーでしたね。
大阪・中之島の「リーガロイヤルホテル」内のショコラ・ブティック
L'eclat」に今年も赴き、“惑星ショコラ”を入手しました。
(木星が既に売り切れていた状態でしたが……)
その足で梅田へ戻り、「グランフロント大阪」南館タワーA12階、
LIXILギャラリー」大阪会場で開催されていた
武田五一の建築標本―近代を語る材料とデザイン―」展を鑑賞。
武田五一(1872~1938)は“関西建築界の父”とも呼ばれた建築家。
桜宮橋鶴見橋などの近代建築ばかりか、
古建築の修復も多々手掛けていることが素敵です。
無数の材料とデザインの集積である建築について、
五一は個々の標本として収集しており、その多様な“建築標本”、
約100点を紹介する巡回企画展となりました。化粧材としてのタイルやテラコッタを
自身の建築にも多用したことから、五一は「タイル使用の先駆者」、
テラコッタ導入の提唱者」とも呼ばれているそうです。
テラコッタterra cotta)とは元々イタリア語で、焼いた(cotta)土(terra)
を意味しており、建築用素材などに使用される素焼きのことをいいます。
       ☆
現在は「グランフロント大阪」内に在る「LIXILギャラリー(大阪)」ですが、
以前、2012年までは大阪市中央区に在りましたね。
前身の「INAXギャラリー」の頃から、利用させていただいております。
今回、五一の建築標本とされるマテリアルの複数において、
例えば、「伊奈製陶」のテラコッタ釉薬見本などに
「おっ!」と声を上げ、五一と「LIXIL」との縁も面白いなあと感じました。
復習すると、伊那製陶が1985年にCI を実施してイナックス(=INAX)。
INAXは2001年、建材大手の「トステム」と経営統合された後、
2010年に設立されていた別会社、初代の「LIXIL」(リクシル)および
「住生活グループ」(=「INAXトステムホールディングス」の改称)傘下の
他の子会社とが合併することで、2011年、新会社「LIXIL」(2代目)に統合。
LIXILは建築材料・住宅設備機器業界最大手の企業となり、INAXは
LIXILグループの衛生陶器・住宅設備機器・建材のブランド名となりました。
紆余曲折の中、LIXILは伊那製陶時代から五一と付き合っていた訳です。

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 近代建築

役者と監督

CO2」俳優特待生のうち、3人が『可視化する心たち』に出演していました。
吉田龍一が主演・真崎トオル、白河奈々未が研究者・三島碧の役でしたが、
やはり、研究者の一人を演じた伊吹葵が映画・演劇に興味を持ったきっかけが、
園子温・監督『愛のむきだし』(2009)だったと知り、ちょっと、にんまり。
そのCO2俳優特待生座談会で、運営事務局長の富岡邦彦氏が語っていた
印象的な言葉を以下に引用してみます。
       ☆
3年前に俳優特待生を作ろうと思ったのは、CO2に来る若手監督達に役者との繋がりがあまりないこと。事務所に所属している人達は大きなオーディションを受けても中々うまくいかないという悩みがある一方、自主映画をやってる人達は役者に困っていて、イメージ優先で演技はどうでもいいやみたいな映画を作る傾向が強い。そこをリンクさせたかったけど中々フィットしない。監督達が演技について考えて見ていないから。
       ☆
一部の例かもしれませんが、役者になりたいという人間は
有名になりたい、注目されたい、売れたいと願い、
彼らを抱える事務所では、感情メインのレッスンを受けさせているそうです。
メソッド演技は、基本かもしれませんが、単なる抒情の垂れ流しでは、ねえ。
ここでもぼくが想起したのは、小野十三郎の「短歌的抒情の否定」です。
小説を映画に例えるならば、小説家は(一個の)役者であるにとどまらず、
映画監督でもあるべき。共感を性急に求め、私的な感情の追体験にかまけ、
全体的な編集の采配を疎かにしてはなりません。己の中の役者と監督とを
上手くリンクさせることが肝要か、と。そこでこそ、クールが誕生するでしょう。

テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

tag : 映画小説

可視化する心たち

大阪アジアン映画祭」のインディ・フォーラム部門、2017_03_10_『可視化する心たち』
3作品目を鑑賞しました。いずれも、「第13回シネアスト
・オーガニゼーション
(=CO2)」の助成作品です。
『おっさんのケーフェイ』『蹄』は一般公募枠、
五十嵐皓子・監督『可視化する心たち』(2017)は
俳優特待生起用枠に当たります。全て76分の上映時間
とはいえ、3本連続で観続けると、さすがに疲れます。
そのせいか、編集はもう少し、ならなかったか?とも。
まず、“心”を可視化する機械というSFチックな設定に、
興趣をそそられたのですが、“心”もまた役者の身体
~演技に準拠するため、展開が今ひとつ納得できず。
「可視化された」と提供されるものが、役者のまた別の
身体表現でしかないため、“心”を可視化するどころか、
“心”からより一層遠ざかっていくように、当初は思われたのでした。
映画が主に視覚芸術であるため、“心”もまた視覚化せざるを得ず、
さらに製作費や技術的な問題点などから、“心”を役者に演じさせる
というのが、現実的な最適解であることは理解できるのですけれども。
俳優特待生だけあって、個々の役者の演技には力が籠もっていました。
対して全体に、心というものに対する掘り下げ方が決定的に不足しているようで、
結局は色恋沙汰、ぐだぐだの三角関係に収斂していく流れが残念過ぎるという。
現象学的に、身体感覚を離れた“心”そのものなんぞ、存在しないという卓見も
一つのエクスキューズでしょうが、ならば、誰の身体感覚に基づく“心”なのか? 
その辺りの突っ込み不足が、誰かの作り出した幻影が、誰か特定の一個人として
成立するのは何故か?というナイーヴな問いを有耶無耶にしているようで、もやもや
させられました。そこから、作品の根幹に在るのは、“心”を可視化する機械でなく、
ドッペルゲンガー製造機と考えれば、首肯せざるを得ないのではないでしょうか? 
特定の個人像、あくまで視覚的なイメージを増幅させるだけの仕掛けであって、
ひとまず、“心”とは無縁と考えれば? “心”を可視化するのでなく、心の容器
(正確には、機能の現実態)である身体の数が増えて見えるだけでしょ。
そう考えれば、問題は氷解しますが、人間の“心”という興味深い問題設定自体、
雲散霧消してしまい、物語を衝き動かしていた動機までも成立しなくなるのですねえ。

テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

tag : 映画

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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