安吾と仏像(1)
それまで気にも留めていなかったのに、恣意的にキー・ワードを定めて、
その上で見直してみると、全く違った様相をもって浮かび上がってくる
……この世の中の事象すべてがそうであるように、小説もまた同じ。
例えば、仏像を基点にした場合、真っ先に思い浮かべてしまう
夏目漱石『夢十夜』の第六夜、運慶の仁王像であるとか
(何故、護国寺だったのかは、現在不問にしますが)、稲垣足穂『弥勒』、
李王家博物館三国時代の弥勒菩薩半跏思惟像であるとか、まだ簡明で、
坂口安吾の諸作品中にも、仏像が登場してくるとなると、そうだったのか?
と混迷の淵に沈み込んでしまいなそうな気を覚えてしまいます。
かつて、読んでいたはずなのに、その仏像の記憶が無いのは何故か?
☆
安吾の「南風譜」は、1938年3月、「若草」に発表。牧野信一への献辞があり、
文庫本にして10ページにも満たない掌編です。紀伊を旅する“私”が、
寄せてもらった友達の家の物置で、木彫りの地蔵菩薩像と出会います。
最初、“私”は魔物の眼、ジャングルの虎を思わせる女の鋭い視線を
その仏像に感じていたのですが、物置に放り込まれたといいながら、
埃も付いておらず、友達に問い質すと、先頃まで書斎に置いていたと言う。
よく見ると、木像の脾腹の辺りには、刃物で抉ったような傷跡も認められます。
翌日、“私”が散歩に出た海辺で、猟師に仏像のことを訊くと、
猟師は、仏像のことでなく、友達の妻のことを語り始めます。
彼女=「混血(あいのこ)の父なし娘は白痴で啞でつんぼだよ」と教え、
「なるほど、あれは仏像だ」と笑うのです。“私”は白痴が仏像に嫉妬して、
刃物を振るった様を想像すると苦しくなり、友達らの静かな生活を乱さぬよう、
その翌日、とにかく、出発してしまうのでした。友達は「俺のうちには婆やと
子供の女中のほかに女はいないよ」と明言していたのに対して、
“私”は友達の妻と思しき女性と出会った記述の無いのが、謎として残ります。
☆
仏像は物置の奥手に、埃のいっぱい積った長持に、凭(もた)れるようにして立っていました。木彫の地蔵でした。
私はかつてこのような地蔵を、鎌倉の国宝館と京都の博物館でのみ見た覚えがあります。これも恐らく鎌倉時代の作でしょう。なんとまた女性的な、むしろ現実の女体には恐らく決して有りうべくもない情感と秘密に富んだ肢体でしょうか。現実の快楽(けらく)を禁じられた人々の脳裡には、妄想の翼によって、妄想のみが達しうる特殊な現実が宿ります。その現実を夢と呼ぶ人もあるのでした。そしてそれらの人々の脳裡に宿った現実に比べたなら、地上の快楽はなんとまた貧しく、秘密なく、あまつさえ幻滅に富むものでありましょうか。ひたすら妄想に身を焼きこがした人々が、やがてこれらの仏像のように、汲(く)めども尽きぬ快楽と秘密をたきこめた微妙な肉体を創(つく)りだすこともできるのでした。老齢なお妄念の衰えを知らず、殺気をこめて鑿(のみ)を揮う老僧を思い泛(うか)べずにいられません。
私は、薄暗い手燭の燈に照しだされた木像の胸や腰や腕や頸(くび)のあまりにも生々しいみずみずしさに幾分不気味な重苦しさを覚えていました。
参考文献:坂口安吾『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』(岩波文庫)
その上で見直してみると、全く違った様相をもって浮かび上がってくる
……この世の中の事象すべてがそうであるように、小説もまた同じ。
例えば、仏像を基点にした場合、真っ先に思い浮かべてしまう
夏目漱石『夢十夜』の第六夜、運慶の仁王像であるとか
(何故、護国寺だったのかは、現在不問にしますが)、稲垣足穂『弥勒』、
李王家博物館三国時代の弥勒菩薩半跏思惟像であるとか、まだ簡明で、
坂口安吾の諸作品中にも、仏像が登場してくるとなると、そうだったのか?
と混迷の淵に沈み込んでしまいなそうな気を覚えてしまいます。
かつて、読んでいたはずなのに、その仏像の記憶が無いのは何故か?
☆
安吾の「南風譜」は、1938年3月、「若草」に発表。牧野信一への献辞があり、
文庫本にして10ページにも満たない掌編です。紀伊を旅する“私”が、
寄せてもらった友達の家の物置で、木彫りの地蔵菩薩像と出会います。
最初、“私”は魔物の眼、ジャングルの虎を思わせる女の鋭い視線を
その仏像に感じていたのですが、物置に放り込まれたといいながら、
埃も付いておらず、友達に問い質すと、先頃まで書斎に置いていたと言う。
よく見ると、木像の脾腹の辺りには、刃物で抉ったような傷跡も認められます。
翌日、“私”が散歩に出た海辺で、猟師に仏像のことを訊くと、
猟師は、仏像のことでなく、友達の妻のことを語り始めます。
彼女=「混血(あいのこ)の父なし娘は白痴で啞でつんぼだよ」と教え、
「なるほど、あれは仏像だ」と笑うのです。“私”は白痴が仏像に嫉妬して、
刃物を振るった様を想像すると苦しくなり、友達らの静かな生活を乱さぬよう、
その翌日、とにかく、出発してしまうのでした。友達は「俺のうちには婆やと
子供の女中のほかに女はいないよ」と明言していたのに対して、
“私”は友達の妻と思しき女性と出会った記述の無いのが、謎として残ります。
☆
仏像は物置の奥手に、埃のいっぱい積った長持に、凭(もた)れるようにして立っていました。木彫の地蔵でした。
私はかつてこのような地蔵を、鎌倉の国宝館と京都の博物館でのみ見た覚えがあります。これも恐らく鎌倉時代の作でしょう。なんとまた女性的な、むしろ現実の女体には恐らく決して有りうべくもない情感と秘密に富んだ肢体でしょうか。現実の快楽(けらく)を禁じられた人々の脳裡には、妄想の翼によって、妄想のみが達しうる特殊な現実が宿ります。その現実を夢と呼ぶ人もあるのでした。そしてそれらの人々の脳裡に宿った現実に比べたなら、地上の快楽はなんとまた貧しく、秘密なく、あまつさえ幻滅に富むものでありましょうか。ひたすら妄想に身を焼きこがした人々が、やがてこれらの仏像のように、汲(く)めども尽きぬ快楽と秘密をたきこめた微妙な肉体を創(つく)りだすこともできるのでした。老齢なお妄念の衰えを知らず、殺気をこめて鑿(のみ)を揮う老僧を思い泛(うか)べずにいられません。
私は、薄暗い手燭の燈に照しだされた木像の胸や腰や腕や頸(くび)のあまりにも生々しいみずみずしさに幾分不気味な重苦しさを覚えていました。
参考文献:坂口安吾『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』(岩波文庫)
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