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戦中の全納協準備会

全国納豆協同組合連合会」――現在の略称は「納豆連」。
以前は「全納連」でしたが、例えば「JA全農」と混同されてしまうなど、
紛らわしかったですね。その納豆連(~全納連)の前身として、
全国納豆工業組合協会」(=全納協)が位置付けられています。
当ブログの以前の記事でも、その辺りのことに触れていたのですが、
先月、「全国納豆工業組合聯合会」に関する質問が寄せられていたので、
折を見計らい、調べさせていただきました(もり ふみお様、遅くなって、申し訳ございません)
“聯”は“連”の旧字ですから、思わず取り違えてしまいそうになるのですけれど、
現在の「全国納豆協同組合連合会」でなく、戦中の「全国納豆工業組合聯合会」。
       ☆
ぼくの手元にある町田忍『納豆大全』にも、シンプルな経緯は記されていますが、
ソースを手繰り寄せれば、別な文献に行き当たります。納豆連が複数回にわたって
発行している『納豆沿革史』……在りし日の如く、事務所の蔵書から引っ張り出して、
ささっと調べ上げることも現在は叶わないものですから、「大阪府立中之島図書館」で
資料を取り寄せる形を取ります。昭和50年(1975)版の必要ページを複写しました。
戦中の組合史年表などから、全国納豆工業組合聯合会に関する事項を以下に抽出。
       ☆
昭和14年 ○原料大豆統制の動きで各県ごとに「納豆組合」が発足する
昭和15年 ○全国納豆工業組合聯合会(全納協設立までの準備会的存在)を設立、参加17組合、633組合員で構成、会長に三浦二郎氏が就任した=10月10日、深川倉庫
       ○「大豆及び大豆油等配給統制規則」の制定により原料大豆が統制になる(10月)
昭和16年 ○臨時総会を東京上野駅前錦泉旅館で開き、「国策に順応し、ヤミ取引防止のため原料大豆の県外移出を禁止する」組合自主規制を決定、違反者は配給停止の処分とした
       ○原料大豆配給のため納豆製造工場の一斉調査実施(3~5月)
       ○「内地産大豆集荷配給統制」を実施(10月10日)
       ○全国納豆工業組合協会(全納協)の創立総会を11月5日・仙台商工会議所で開く

       ☆
第二次世界大戦が始まり、納豆の原料大豆の統制の動きに合わせて、
納豆業者にも全国的な組織(=全国納豆工業組合聯合会)が必須となります。
その全納協を設立するに当たっての準備組織が「全国納豆工業組合聯合会」。
1940年10月10日から1916年11月5日まで、満州大豆と北海道産大豆の配給と
生産量認定のための“納豆製造工場の設備実績調査”などを行ったそうです。

参考文献:『納豆沿革史』(全国納豆協同組合連合会)
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ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 納豆

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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