大楠公と久米仙人

「観心寺」の金堂で風に翻っていた五色幕に意識が
飛ばされていきます……観心寺は楠木家の菩提寺。
寺伝によると、楠木正成は同寺の塔頭の中院で、
8~15歳の間、仏道修行に励んでいたそうです。
湊川の戦い(1336)で不帰の人となった楠木正成の
御首塚も観心寺内に設けられており、一心不乱に
読経を上げて、供養していた男の人の姿が思い浮かび
……左の画像は、三重塔を建立するはずが、大楠公の
戦死によって、初層のままに終わってしまった「建掛塔
(たてかけのとう)」です。連想は文楽の『楠昔噺』に流れて
いき、あの久米仙人との邂逅を果たしてしまうのでした。
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と(婆が川での洗濯に)裾引き上げて踏み掛かれば
「アヽコレこれお婆、滅多にまくり上げやんな。どこぞの仙人が見たらば、昔を思ひ出して通を失ふぞや」
「オヽホヽヽ、そりや五十年も前のこといの、今は渋紙に憲法小紋置いたやうな太股、気狂ひの仙人が目を廻して落ちやうは知らず、どこ見せても気遣ひなことはござらぬ」
(『楠昔噺』碪(きぬた)拍子の段)
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ちなみに「憲法小紋」とは、吉岡流4代目憲法の考案による
黒茶色の地に小紋を染め出した着物地のようです。
参考文献:『魅惑の仏像 如意輪観音―大阪・観心寺』(毎日新聞社)
『文楽床本集 国立文楽劇場 平成29年4月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
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