My Prerogative
ブリトニー・スピアーズのカバー(2004)でなく、
絶対に、ボビー・ブラウンのオリジナル(1988)
で。もう30年も昔の曲ですが、テディ・ライリーの
ニュー・ジャック・スウィングを代表する楽曲の
三本指のひとつが「My Prerogative」でしょ。
他の2曲はキース・スウェット「I Want Her」
(1987)、ジョニー・ケンプ「Just Got Paid」
(1988)で、次点にガイ「My Fantasy」(1989)。
マイケル・ジャクソンの「Remember The Time」(1991)も好きですけど、
“宴のあと”といった観が強く、マイケルの潔癖症も過ぎてか、小綺麗にまとめ過ぎ。
……ともかく、誰にも邪魔されたくないのです。不動明王の怒りに身を燃やします。
黙って、ぼくらはぼくらの仕事をする。彼らは彼らの業務に専念すればいい。
くだらない思惑で、保障も何もない一労働者を右往左往させないでほしい。
☆
Everybody's talkin' all this stuff about me
Why don't they just let me live
I don't need permission
Make my own decisions
That's my prerogative
絶対に、ボビー・ブラウンのオリジナル(1988)
で。もう30年も昔の曲ですが、テディ・ライリーの
ニュー・ジャック・スウィングを代表する楽曲の
三本指のひとつが「My Prerogative」でしょ。
他の2曲はキース・スウェット「I Want Her」
(1987)、ジョニー・ケンプ「Just Got Paid」
(1988)で、次点にガイ「My Fantasy」(1989)。
マイケル・ジャクソンの「Remember The Time」(1991)も好きですけど、
“宴のあと”といった観が強く、マイケルの潔癖症も過ぎてか、小綺麗にまとめ過ぎ。
……ともかく、誰にも邪魔されたくないのです。不動明王の怒りに身を燃やします。
黙って、ぼくらはぼくらの仕事をする。彼らは彼らの業務に専念すればいい。
くだらない思惑で、保障も何もない一労働者を右往左往させないでほしい。
☆
Everybody's talkin' all this stuff about me
Why don't they just let me live
I don't need permission
Make my own decisions
That's my prerogative
テーマ : Soul, R&B, Funk
ジャンル : 音楽
tag : 黒い音
リド飲食街「門」

近くの「リド飲食街」。「ヨドバシカメラ」等が出来て
再開発されつつある観の強い駅周辺ですが、リド飲食街
に限っては、“昭和”の風情を色濃く残す異空間ぶり。
その佇まいは現在なお健在で、嬉しくなってしまいます。
(会長らも使っていたと聞く)「浜ちゃん」、「面影」、
酒肴屋「じじばば」などは、利用した記憶があります。
☆
5月19日(金)、「京都国立博物館」からの帰り道、
来るバス、来たバス、どれも満員だったので、てくてくと
京都駅まで歩くと、その足で「リド飲食街」を探訪。
この日はホルモン焼き「門」に入ってみましたよ。
狭いカウンター席しかないのは、どの店でもデフォルト。
☆
難しいことは考えたくないので、お薦めの

“ちりとり鍋”を薦められるままに注文しました。
大阪・鶴橋の焼き肉店でよく見かける鉄板鍋
ですが、最初のレバー焼きが美味。自信の
一品なのでしょう。続いて赤盛りと白盛りの
ホルモン・ミックスを投入。追加のホルモンや
野菜を足して、締めにご飯を頼みました。
たれの濃さ・辛さを卵で和らげる感じです。
お酒をお代わりして、つい長居しそうですが、
常連さんの入ってくる時間帯を前に引き揚げ。
☆
「リド飲食街」を出ると、もう1軒、和洋食彩「楽膳」へ入店。
京都で働いていた頃、ランチなどでも、お世話になっていたお店です。
女将は焼酎ソムリエの資格も取っており、焼酎、日本酒の品揃えも的確。
顔を覚えられていたのか知りませんが、混んでいる中、座敷に上げてもらいました。
この夜は、麦焼酎「対馬 やまねこ」を頂きました。また、青菜の胡麻和えに
細切りの薄揚げがあしらわれているのを目に留めて、ざる豆腐も注文。
京都駅へ向かう道すがら、昔と変わらぬ京都タワーに、ふと感傷を覚える宵でした。
120歳
![]() |
京都国立博物館(明治古都館) |
ということですが、120歳を迎えたのは
「明治古都館(旧称・本館)」の方であって、
平常展示を行う「平成知新館」(谷口吉生
・設計)とは別物ですよ。あの「方広寺」の
旧境内に立地。宮廷建築家、片山東熊
(1854~1917)の設計による煉瓦造り・平屋
建て、フレンチ・ルネサンス様式の建物で、
明治28年(1895)10月の竣工。東熊は
工部大学校で、“コンドル先生”に教わった
最初の学生の一人に当たりますが、第1回生は他に、辰野金吾、曽禰達蔵らを
筆頭に、錚々たる面子。明治30年(1897)、「帝国京都博物館」として開館しました。
tag : 近代建築
KAIHO YUSHO

生き急ぎます。観るべき物を観られる時に観る。
修学旅行シーズンなのか、京都は年がら年中
観光シーズンか、JR京都駅のバス乗り場から
えらい行列が出来ていて、臨時運行のバスに。
同博物館の開館120周年を記念しての特別展
「海北(かいほう)友松(ゆうしょう)」です。海北友松
(1533~1615)は武家出身、安土・桃山時代
から江戸時代初期にかけて活躍した画家。
狩野派に学んでいたようですが、後に海北独自の画風の確立に至ります。
特に“龍の名手”として賞賛され、建仁寺の「雲龍図」(大方丈障壁画)とは別に、
他の雲龍図の屏風や掛け軸だけで設えたコーナーもあって、壮観でした。
近江浅井家の家臣、海北綱親の五男(or 三男)の生まれ故、
やはり、武門再興の思いはやみ難かったようで、「誤落芸家(あやまりてげいかにおつ)」
との言葉も残っていますが、その気概と挫折感は嫌いになれません。
(相方は、荒くれる龍の鼻孔から突き出す鼻毛にばかり、目を奪われていた模様)
昭和33年(1958)、ネルソン・アトキンズ美術館(米国)に渡った友松最晩年の
最高傑作「月下渓流図屏風」(6曲1双)に広がる 穏やかな朧月夜の光景に、
ほっと心を洗われます。絵師として、己の在り方を受け容れたからこその境地か、と。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
本町橋
大阪市内の本町通が、東横堀川に架かっている
個所が、「本町橋」となります。現在ですと、
「大阪産業創造館」と「シティプラザ大阪」の
間をつなぐということになります。以前から、
橋の佇まいは撮影しており、本町橋も、ぼくの
劇団員時代(2010年2月)、あるいはイベント
「船場を遊ぼう」への参加(2014年10月、
2016年9、10月)に乗じて、撮り置いてある
のですが、碌な画像が手元にありません……。
(右画像は、今年5月12日撮影分)
片側2車線(全4車線)に歩道等も加わり、幅員21.6m に対して、橋長は46.5m。
東横堀川の真上を阪神高速1号環状線が走り、橋自体の長さを実感しづらくて、
全景がわかりづらいのですね。東横堀川の際に出て、真横から撮らなければ。
“浪速の名橋50選”の一つで、大正2年(1913年)に架け替えられたとはいえ、
大阪市内で現役最古の橋となります。種別・形式は3径間2ヒンジ鋼アーチ。

個所が、「本町橋」となります。現在ですと、
「大阪産業創造館」と「シティプラザ大阪」の
間をつなぐということになります。以前から、
橋の佇まいは撮影しており、本町橋も、ぼくの
劇団員時代(2010年2月)、あるいはイベント
「船場を遊ぼう」への参加(2014年10月、
2016年9、10月)に乗じて、撮り置いてある
のですが、碌な画像が手元にありません……。
(右画像は、今年5月12日撮影分)
片側2車線(全4車線)に歩道等も加わり、幅員21.6m に対して、橋長は46.5m。
東横堀川の真上を阪神高速1号環状線が走り、橋自体の長さを実感しづらくて、
全景がわかりづらいのですね。東横堀川の際に出て、真横から撮らなければ。
“浪速の名橋50選”の一つで、大正2年(1913年)に架け替えられたとはいえ、
大阪市内で現役最古の橋となります。種別・形式は3径間2ヒンジ鋼アーチ。
tag : 橋
折々の豆乳(1)
“豆乳”が分類されていることは、職掌柄、記憶していたつもりでしたが、
日本農林規格(JAS規格)自体が変更されているようですね。
知識は常にアップグレードし、ブラッシュ・アップを図らなければなりません。
大豆固形分(=製品から水分を除いた残り成分)の占める割合から
現在(平成28年3月25日)、豆乳は下記の4つに分類されています。
1. 豆乳=大豆固形分8%以上(大豆たんぱく質換算3.8%以上)
2. 調製豆乳=同6%以上(同3.0%以上)
3. 豆乳飲料[果汁入り]=同2%以上(同0.9%以上)
4. 豆乳飲料[その他]=同4%以上(同1.8%以上)
☆
山城一成(玲瓏)
ささやかな刺激を求め十二月ルッコラ豆乳ムースむずむず
☆
さて本題(?)の『角川 短歌 2月号 2017』(角川文化振興財団)から豆乳の歌。
ルッコラは、アブラナ科キバナスズシロ属のハーブで、10~12月が旬。
「ルッコラ/豆乳ムース」なのか、一息に「ルッコラ豆乳ムース」なのか、
区切れ云々でなく、迷いましたが、豆乳ムースにルッコラを添えた物より、
豆乳ムース上にルッコラ・ゼリーを載せたスイーツが、ネット上で多々紹介
されており、驚きました。「ムース」から「むずむず」へつながれ、むず痒くなり。
参考記事:豆乳の作り方と商品の見分け方
日本農林規格(JAS規格)自体が変更されているようですね。
知識は常にアップグレードし、ブラッシュ・アップを図らなければなりません。
大豆固形分(=製品から水分を除いた残り成分)の占める割合から
現在(平成28年3月25日)、豆乳は下記の4つに分類されています。
1. 豆乳=大豆固形分8%以上(大豆たんぱく質換算3.8%以上)
2. 調製豆乳=同6%以上(同3.0%以上)
3. 豆乳飲料[果汁入り]=同2%以上(同0.9%以上)
4. 豆乳飲料[その他]=同4%以上(同1.8%以上)
☆
山城一成(玲瓏)
ささやかな刺激を求め十二月ルッコラ豆乳ムースむずむず
☆
さて本題(?)の『角川 短歌 2月号 2017』(角川文化振興財団)から豆乳の歌。
ルッコラは、アブラナ科キバナスズシロ属のハーブで、10~12月が旬。
「ルッコラ/豆乳ムース」なのか、一息に「ルッコラ豆乳ムース」なのか、
区切れ云々でなく、迷いましたが、豆乳ムースにルッコラを添えた物より、
豆乳ムース上にルッコラ・ゼリーを載せたスイーツが、ネット上で多々紹介
されており、驚きました。「ムース」から「むずむず」へつながれ、むず痒くなり。
参考記事:豆乳の作り方と商品の見分け方
Matisse et Rouault

「マティスとルオー」展を鑑賞しました。副題には
「友情50年の物語」とあり、『マティスとルオー
友情の手紙』刊行を記念しての開催となります。
アンリ・マティス(1869~1954)とジョルジュ・ルオー
(1871~1958)という2人の画家の出会いは1892年、
国立美術学校のギュスターヴ・モロー教室を起点と
しますが、1906年から1953年(マティス没年前年)に
かけての往復書簡が近年、発見されたことから、
2人の固い絆と、その関係性から2人の作品を逆に
照射してみようとの流れです。
ルオーの絵については、同美術館で年頭に
開催されていた「拝啓ルノワール先生」で、既にぎょっと驚かされたこともあって、
生々しく盛り上がるマチエール、その骨太な輪郭線をじっくりと堪能できました。
マティスがルオーを評して記した「黒は色である」は、至言だと思い知ります。
装飾性に富んでいて……悪く言えば、ちゃらちゃらした観の強いマティスにしても、
「ジャズ」シリーズまで吹っ切れてくれれば、気持ち良くなって、ぼくも大好きです。
(上掲の画像は、アンリ・マティス「鏡の前の青いドレス」の複製)
2人に対して、その風貌や作風から勝手なイメージを描いていたのですけれど、
美術学校時代はルオーの方が優等生タイプだったらしく、器用にモローの作風を
取り入れてみたり、「ギュスターヴ・モロー美術館」の初代館長を務めていたり、
実直と言うか、愚直だった模様。画商・ヴォラールとの裁判沙汰も宜(むべ)なるかな。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
tag : 美術
折々の納豆(2)
本田一弘(心の花)
つやめける納豆餅を呑みこめばうつせみのわが喉がよろこぶ
☆
『角川 短歌 2月号 2017』(角川文化振興財団)から、納豆の歌(敬称略)。
かつて、青木青児のエッセイ「陶然亭」にて紹介された一品、
あるいは京都・京北地域のソウル・フードとしての納豆餅について
触れたことがあります。水田稲作民にとっての“ハレ”の日の食べ物がお餅です。
そこに日本食らしい納豆が加わるだけなのですけれども、山形県、京都府の
公式ホームページで堂々と、郷土料理として取り上げられているほか、
宮城県、北海道などでも食されているようです。ただし、搗き混ぜるのか、
搗きたてに絡めるのか、焼いた(茹でた)後に絡めるのか、スタイルは千差万別。
冒頭の一首は、「おさがり」と名付けられた計7首のうちに含まれ、他の歌に
柳津、磐梯山、安達太良などの地名が見えることから、作者は福島県人。
となれば、山形県タイプのように、搗きたての餅に納豆を絡める食し方でしょうか。
「つやめける」の語も、つやつやとした搗きたてのお餅を表現しているようですね。
「うつせみ(=うつそみ)」は、この世の人、この世、現世の意。
“うつせみ”という古語により、卑近な正月風景が、ぐんと文学的に映じてくる仕掛け。
つやめける納豆餅を呑みこめばうつせみのわが喉がよろこぶ
☆
『角川 短歌 2月号 2017』(角川文化振興財団)から、納豆の歌(敬称略)。
かつて、青木青児のエッセイ「陶然亭」にて紹介された一品、
あるいは京都・京北地域のソウル・フードとしての納豆餅について
触れたことがあります。水田稲作民にとっての“ハレ”の日の食べ物がお餅です。
そこに日本食らしい納豆が加わるだけなのですけれども、山形県、京都府の
公式ホームページで堂々と、郷土料理として取り上げられているほか、
宮城県、北海道などでも食されているようです。ただし、搗き混ぜるのか、
搗きたてに絡めるのか、焼いた(茹でた)後に絡めるのか、スタイルは千差万別。
冒頭の一首は、「おさがり」と名付けられた計7首のうちに含まれ、他の歌に
柳津、磐梯山、安達太良などの地名が見えることから、作者は福島県人。
となれば、山形県タイプのように、搗きたての餅に納豆を絡める食し方でしょうか。
「つやめける」の語も、つやつやとした搗きたてのお餅を表現しているようですね。
「うつせみ(=うつそみ)」は、この世の人、この世、現世の意。
“うつせみ”という古語により、卑近な正月風景が、ぐんと文学的に映じてくる仕掛け。
宇野薬局

昭和初期(1933)竣工、国の登録有形文化財
(第27-0091号)となります。木造3階建て、
タイル張りの看板建築で、松屋町筋に面した
下層部分だけを見ると、普通の薬局ですが、
北側に回って見ると、3階の丸窓、パラペットの
上の緑色したスパニッシュ風の瓦などが、
おっ、お洒落やん!という感じです。ぼくは
1階軒先のU字を繰り返したような、不思議な
意匠に惹かれました。一見、何ということもない
昭和建築ですが、目を留めるとやはり面白く、ぼくが画像を撮っている姿を見て、
行き交う通行人の何人かは足を止め、しげしげと薬局に見入っていましたよ。
tag : 近代建築
わんしょっと

「せんべろ」――「1,000円でべろべろに酔える」
酒場のことですが、最近は「せんべろ」を騙る店も
増えてきて、頭が痛いです。千円で、べろんべろんに
酔えるのが条件であって、数品のアテと生ビールか
何か1ドリンクのセットで、千円札1枚からお釣りが来る
というだけでは、単なるちょい呑みセットではないか!と
ぼくみたいな呑んだくれは、怒ってしまう訳です。
もっとも、らも本『せんべろ探偵が行く』の出版が
2003年。当時と物価も異なりますから、正真正銘の
せんべろ店が希少となっていることも仕方ないのですが、
大阪市内、谷町四丁目駅(地下鉄・谷町線)が最寄りの
「わんしょっと」は本物でした。“立ち飲み処”と書かれていますが、
現在ではテーブル席も出来ているし、カウンターにも椅子が用意されています。
1コイン・セットやおでんセットが500円から。セロリのきんぴらやチヂミも美味。
安かろう、不味かろうは通用しません。冷や奴も忘れずに注文しましたよ。
冷酒1号250円。普通の人ならば、お酒のセットで始め、後2合で十分なのでは?
夕方の開店時から押しかけ、結構、呑み喰いしたはずが、2,000円前後の勘定。
学生やリーマンには重宝なお店です。近所にあれば、ぼくだって通い詰めますわ。
参考文献:中島らも+小堀純『せんべろ探偵が行く』(集英社文庫)