大阪企業家ミュージアム
「ディープに巡る!五代友厚クイズラリー」の商品として
頂いていた「大阪企業家ミュージアム」の招待券を使う
タイミングが来たのかも。5月12日(金)、大阪市中央区
本町1丁目に在る「大阪産業創造館」に向かいました。
「サンソウカン」は、壁面のオブジェ「宝の艀(はしけ)」で
ぱっと目に入ります。七福神になぞらえた企業家らが、
水の都・大阪で、航跡(=功績)を残して高みへ昇る姿を
イメージしたのでしょうか? B1Fに企業家ミュージアムは
入っており、前回のような空振りは免れ、この日は無事に
入館できました。明治以降を3つのブロックに区分して、
大阪で活躍した企業家105人が、パネルや資料で紹介
されています。トップ・バッターはやはり、五代友厚!
105人もいますし、企業家ですから、知名度が今ひとつ
という方々も多いです。ぼく個人が、惹かれたのは大原孫三郎、鳥井信治郎、
佐治敬三、安藤百福……といった、やはり強烈な個性の面々でしょうか。しかし、
キュレーター(?)のおじさま方、矢継ぎ早に質問を重ねてくるのもどうかと
思うのですが、「日本語を話せますか?」「何か、商売を始められるのですか?」
となれば、当方を何者と見ていたものやら……非常に悩ましいところではあります。
あ、サンソウカンで発行しているフリー・ペーパー「Bplatz press」は大好きですよ。

頂いていた「大阪企業家ミュージアム」の招待券を使う
タイミングが来たのかも。5月12日(金)、大阪市中央区
本町1丁目に在る「大阪産業創造館」に向かいました。
「サンソウカン」は、壁面のオブジェ「宝の艀(はしけ)」で
ぱっと目に入ります。七福神になぞらえた企業家らが、
水の都・大阪で、航跡(=功績)を残して高みへ昇る姿を
イメージしたのでしょうか? B1Fに企業家ミュージアムは
入っており、前回のような空振りは免れ、この日は無事に
入館できました。明治以降を3つのブロックに区分して、
大阪で活躍した企業家105人が、パネルや資料で紹介
されています。トップ・バッターはやはり、五代友厚!
105人もいますし、企業家ですから、知名度が今ひとつ
という方々も多いです。ぼく個人が、惹かれたのは大原孫三郎、鳥井信治郎、
佐治敬三、安藤百福……といった、やはり強烈な個性の面々でしょうか。しかし、
キュレーター(?)のおじさま方、矢継ぎ早に質問を重ねてくるのもどうかと
思うのですが、「日本語を話せますか?」「何か、商売を始められるのですか?」
となれば、当方を何者と見ていたものやら……非常に悩ましいところではあります。
あ、サンソウカンで発行しているフリー・ペーパー「Bplatz press」は大好きですよ。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
モダン寺

目を留めてしまうのが、「モダン寺」でしょう。
正式名称は、浄土真宗本願寺派・本願寺神戸別院。
浄土真宗ですから、本堂前には親鸞聖人のブロンズ
像も建っているのですが、さすが“神戸”と言うか、
5つの尖塔、壁面のレリーフやステンドグラスが随分と
エキゾチック。その“インド風仏教式鉄筋造り”は、
昭和5年(1930)に建てられた旧寺院より継承された
ようです。神戸っ子でも何でもない大阪人の場合、
“モダン”というならば、「一心寺」も負けてへんで!
と突っ込みたくなりますが、そこは張り合うところでは
ないので、自重。
他にも周辺で、「本寿寺」および最上位経王大菩薩、日本基督教団神戸教会など、
気になる物件がちらほら。花隈にまた足を運ぶ機会があるので、追跡調査ですかね。
tag : 建築
FIRE 関西限定
北大阪急行・千里中央駅ホームで時間を潰すことが
多くなり、ふと目に留まった「キリン」の「ファイア 関西
限定ミルクコーヒー」――初登場は2003年のようです
が、目に入ったのは今年3月14日、何度目かとなる
リニューアルを果たした245g缶。パッケージ・デザインの
地図で、“関西”地域2府4県として、和歌山県も含まれて
いることに、ほっとするのは何なのでしょう? 牛乳、
生クリーム、ミルクソースの3素材を掛け合わせた
“贅沢ミルク”やらが売りですが、実際に飲んでみると、
珈琲らしさを捨て去る踏ん切りは付かなかったようで、
身を持ち崩した(?)カフェ・ラテのような味わいでした。
「コーヒー飲料」(内容量100g中に生豆換算2.5g
以上5g未満のコーヒー豆を使用)の壁かもしれません。
勝手ながら、「サンガリア」や「チェリオ」ならば、脳みその溶けそうな次元まで
振り切ってくれそうなイメージはあります(あくまで、褒め言葉)。

多くなり、ふと目に留まった「キリン」の「ファイア 関西
限定ミルクコーヒー」――初登場は2003年のようです
が、目に入ったのは今年3月14日、何度目かとなる
リニューアルを果たした245g缶。パッケージ・デザインの
地図で、“関西”地域2府4県として、和歌山県も含まれて
いることに、ほっとするのは何なのでしょう? 牛乳、
生クリーム、ミルクソースの3素材を掛け合わせた
“贅沢ミルク”やらが売りですが、実際に飲んでみると、
珈琲らしさを捨て去る踏ん切りは付かなかったようで、
身を持ち崩した(?)カフェ・ラテのような味わいでした。
「コーヒー飲料」(内容量100g中に生豆換算2.5g
以上5g未満のコーヒー豆を使用)の壁かもしれません。
勝手ながら、「サンガリア」や「チェリオ」ならば、脳みその溶けそうな次元まで
振り切ってくれそうなイメージはあります(あくまで、褒め言葉)。
tag : おやつ
歴史から流れて

予定でした。間違いなく。ところが、同博物館を
ぐるりと回ると、谷町筋を少しだけ北上し、本格
中華料理「味鮮閣」に潜り込んでいたのです。
毎秋、大阪府新別館南館にて開催される「公開
講座フェスタ」で谷町四丁目を訪れる縁から、
同店の存在は織り込み済みなのでした。ぼくの
考える美味しい“中華料理店”はシンプルで、
中国人スタッフの占める割合如何。
そうして、どれだけ熱いか?(火力)で、ひとまず見切り。
「味鮮閣」は注文してすぐ、厨房から大降りの雨のように、鍋を振る音が聞こえてきて、
テーブル上に料理が、どん!と無造作に供されています。昼呑みなんぞしていると、
本当に「いつの間に?」という早業です。旨いだけでなく、お財布にも優しくて感謝。
この日のぼくは生ビール・セット(980円)。干し豆腐の和え物に、青椒牛肉絲を
合わせてみました。相方は八宝菜ランチ(700円)で、メインの八宝菜の他、サラダ、
ご飯、漬物、冷や奴、空揚げ、スープ(代わりの塩ラーメン)……紹興酒も呑みつつ、
大食漢モードに入ったぼくは、追加で酢豚、トマトと卵炒めも頂いたのでありました。
塔が見える
神戸市の「隈病院」近くに、花隈公園が在ります。
立派な石垣に囲まれた高台で、「花隈城」の跡地。
園内には、池田宣政の書による「花隈城趾」の石碑が
建っていますが、あの兵庫県南部地震(平成7年1月
17日)によって倒壊・破損した物のレプリカのようです。
隣の碑は「東郷の井」。神戸小野浜造船所にて、
初代戦艦大和の建造中、建造監督官に就任した
東郷平八郎(1848~1934)の毎日、朝夕に使用
していた井戸を記念した石碑が移設、保存されたもの。
南に目を転じてみると、眼下をJRの貨物電車などが
走り過ぎていくようです。ふと、ビルとビルの間から、
真っ赤な神戸ポートタワーが目に飛び込んできました。
神戸港・中突堤の方角は、そっちだったか!と意想外。

立派な石垣に囲まれた高台で、「花隈城」の跡地。
園内には、池田宣政の書による「花隈城趾」の石碑が
建っていますが、あの兵庫県南部地震(平成7年1月
17日)によって倒壊・破損した物のレプリカのようです。
隣の碑は「東郷の井」。神戸小野浜造船所にて、
初代戦艦大和の建造中、建造監督官に就任した
東郷平八郎(1848~1934)の毎日、朝夕に使用
していた井戸を記念した石碑が移設、保存されたもの。
南に目を転じてみると、眼下をJRの貨物電車などが
走り過ぎていくようです。ふと、ビルとビルの間から、
真っ赤な神戸ポートタワーが目に飛び込んできました。
神戸港・中突堤の方角は、そっちだったか!と意想外。
本長谷寺

失われた根源的な何か――には、ロマンティシズムを
くすぐられますもの。不在であるからこそ、強烈に郷愁を
掻き立てるサムシング。「長谷寺」の始まりは朱鳥元年
(686)、道明上人が天武天皇のため、初瀬山西の岡に
「銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)」を安置したこと。
そこが「本長谷寺」。後に神亀4年(727)、徳道上人が
聖武天皇の勅願で東の岡に「十一面観世音菩薩」を
祀り、現在の長谷寺につながる訳ですが、オリジナルと
コピーの優劣云々など、全く無縁の世界で、本長谷寺は
境内の参拝ルートに自然と立ち現れ、優しく迎え入れて
くれます。本長谷寺に向かって左手には、
戦後日本で初めて(昭和29年)建てられた五重塔がそびえ、すぐ間近に
「三重塔址」の礎石も見えます。在る物と無いものと截然と分けられはせず、
失われてしまうからこそ、何かが在ったと後から遅れて認識がやって来るのでしょう。
在った、あったようだ、そんな気もする……その記憶すらいずれ呆けてしまうにせよ。
tag : 建築
長谷寺の橋
4月末に「長谷寺」を訪ねた折、いくつかの橋とも再会しました。
近鉄・長谷寺駅から門前町へ向かう途中、まず渡ることになる
「参急橋」は、大和川に架かっています。大和川の上流が
“初瀬川”で、長谷寺参りなのだから、初瀬川の方がよいかな。
「お参りに急ぐ」ことから命名され、昭和4年(1929)の完成。
☆
参急橋の上から上流に見えていた太鼓橋が「神川橋」です。
「長谷山口坐神社(はせやまぐちにいますじんじゃ)」に参るための橋
となり、朱塗りの色は、参急橋よりも鮮やか。当日は初夏の
日差しで暖かく、暑がりのぼくは橋の上でシャツを着替える
仕儀となりました。天手力男神のご加護がありますように。
☆
門前町の途中に、不意と架かっている何の変哲も無い
コンクリート橋が「関本屋橋」でした。初瀬川の右岸と左岸の
門前町の行き来の利便を図ったものでしょうか。「竣工
昭和51年12月1日/施工 藤一建設株式会社」と見えました。
橋の袂の近くでは、国産大豆使用の「とうふミルク」(ソフト
クリーム)も販売されていましたが、今回は賞味できず。
もう少しだけ上流に架かっていたはずの「連歌橋」も見逃してしまったようで残念。
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近鉄・長谷寺駅から門前町へ向かう途中、まず渡ることになる
「参急橋」は、大和川に架かっています。大和川の上流が
“初瀬川”で、長谷寺参りなのだから、初瀬川の方がよいかな。
「お参りに急ぐ」ことから命名され、昭和4年(1929)の完成。
☆
参急橋の上から上流に見えていた太鼓橋が「神川橋」です。
「長谷山口坐神社(はせやまぐちにいますじんじゃ)」に参るための橋
となり、朱塗りの色は、参急橋よりも鮮やか。当日は初夏の
日差しで暖かく、暑がりのぼくは橋の上でシャツを着替える
仕儀となりました。天手力男神のご加護がありますように。
☆
門前町の途中に、不意と架かっている何の変哲も無い
コンクリート橋が「関本屋橋」でした。初瀬川の右岸と左岸の
門前町の行き来の利便を図ったものでしょうか。「竣工
昭和51年12月1日/施工 藤一建設株式会社」と見えました。
橋の袂の近くでは、国産大豆使用の「とうふミルク」(ソフト
クリーム)も販売されていましたが、今回は賞味できず。
もう少しだけ上流に架かっていたはずの「連歌橋」も見逃してしまったようで残念。
しもたや

シフトが空いていただけ。相方と示し合わせて
出掛けてみた「大阪企業家ミュージアム」は
何たることか、休館日。やれんなあ、と肩を
すくめながらも、昼呑みに切り替え、堺筋本町
から天王寺まで移動。さすがにゴールデン・
ウィークで、天王寺公園周辺は混雑が目立ち、
「森田屋」には行列まで出来ている始末……
アベノ地下街に戦略的撤退を行うと、
お魚と地酒の「しもたや」へ入りました。基本的に、ぼくは“肉派”
(正確には、魚族と闘っているの)ですから、相方に譲歩した形です。
こちらも流行っている反動か、お酒を注いでくれる女子店員のぞんざいさは、ちょっと
頂けませんでしたが、さいころを転がして「ばくれん」(亀の井酒造/山形)が無料で
振る舞われたり、静岡の「開運」が置かれていたり、呑んだくれに贅沢は言えません。
平目の薄造りや河豚の空揚げを摘まみつつ、冷や奴を注文するのも忘れずに、ね。
弁天橋
松尾稲荷神社
ホルモン串焼きの「中畑商店」への道を見失いかけた時、
ぼくらを救ってくれたのが、お稲荷さん、ビリケンさんの
存在でした。そもそも、「稲荷市場」という名称自体が、
稲荷社の所在を前提にしている訳で、市場の南側の
一角に、多くの提灯に飾られて、「松尾稲荷神社」が
建っていたのです。祭神は宇賀御魂(うかのみたま)大神
となりますが、同社の面白いところは、“松福大神”こと
ビリケンさんをも祀っている点です。「商売繁盛」と
「恋愛成就」に功験あらたかな「日本最古 JAPAN
ビリケン」を謳っています……通天閣は寺社でも何でも
ないですし、ビリケンさんを祀る神社はここくらいでしょう。
そのビリケン像は、大正初期、神戸元町の洋食店主が
米国の水兵が持ち込んだ物を参考に、木彫りで造った
そうで、鼻の大きさが目立つ異相です。案内板に描かれたビリケン像のイラストは、
右手に打ち出の小槌、左手に宝珠、米俵の上に鎮座し、背中に大判を背負っている
和洋折衷スタイルでした。宮司の集めたと思しき、世界のビリケンさんの写真も
多数掲示されていましたよ。ちなみに、社号にもなった「松尾稲荷」の「松」は、
楠木正成が湊川の戦いに先立って、一族郎党が集合する目印とした松の大樹。
その後、枯死した松は、大正3年(1914)の社殿造営に伴い、取り除かれた模様。

ぼくらを救ってくれたのが、お稲荷さん、ビリケンさんの
存在でした。そもそも、「稲荷市場」という名称自体が、
稲荷社の所在を前提にしている訳で、市場の南側の
一角に、多くの提灯に飾られて、「松尾稲荷神社」が
建っていたのです。祭神は宇賀御魂(うかのみたま)大神
となりますが、同社の面白いところは、“松福大神”こと
ビリケンさんをも祀っている点です。「商売繁盛」と
「恋愛成就」に功験あらたかな「日本最古 JAPAN
ビリケン」を謳っています……通天閣は寺社でも何でも
ないですし、ビリケンさんを祀る神社はここくらいでしょう。
そのビリケン像は、大正初期、神戸元町の洋食店主が
米国の水兵が持ち込んだ物を参考に、木彫りで造った
そうで、鼻の大きさが目立つ異相です。案内板に描かれたビリケン像のイラストは、
右手に打ち出の小槌、左手に宝珠、米俵の上に鎮座し、背中に大判を背負っている
和洋折衷スタイルでした。宮司の集めたと思しき、世界のビリケンさんの写真も
多数掲示されていましたよ。ちなみに、社号にもなった「松尾稲荷」の「松」は、
楠木正成が湊川の戦いに先立って、一族郎党が集合する目印とした松の大樹。
その後、枯死した松は、大正3年(1914)の社殿造営に伴い、取り除かれた模様。
tag : 仏像