本長谷寺

失われた根源的な何か――には、ロマンティシズムを
くすぐられますもの。不在であるからこそ、強烈に郷愁を
掻き立てるサムシング。「長谷寺」の始まりは朱鳥元年
(686)、道明上人が天武天皇のため、初瀬山西の岡に
「銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)」を安置したこと。
そこが「本長谷寺」。後に神亀4年(727)、徳道上人が
聖武天皇の勅願で東の岡に「十一面観世音菩薩」を
祀り、現在の長谷寺につながる訳ですが、オリジナルと
コピーの優劣云々など、全く無縁の世界で、本長谷寺は
境内の参拝ルートに自然と立ち現れ、優しく迎え入れて
くれます。本長谷寺に向かって左手には、
戦後日本で初めて(昭和29年)建てられた五重塔がそびえ、すぐ間近に
「三重塔址」の礎石も見えます。在る物と無いものと截然と分けられはせず、
失われてしまうからこそ、何かが在ったと後から遅れて認識がやって来るのでしょう。
在った、あったようだ、そんな気もする……その記憶すらいずれ呆けてしまうにせよ。
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tag : 建築