聚香園
近場に美味しい中華料理店が在るのは、とても
良いこと。大阪・中津(地下鉄・御堂筋線)では、
「吉祥楼」を押さえていたつもりでしたが、
そちらが北京料理であったのに対して、今回、
利用した「聚香園」は台湾料理の流れです。
以前から店の前を通るたび、仕出しも行って
いるようだなと目をつけていたのですが、普通に
どれもリーズナブルで、かつ、美味しいです。
夜のビール・セット(980円)が、飲み物1杯に
加えて料理2品。当然の如く台湾風冷や奴を
オーダーし、追加で各種料理を試してみます。餃子類にインパクトは感じられません
でしたが、何てことのない野菜の炒め物などが、不思議と旨くて感心することしきり。

良いこと。大阪・中津(地下鉄・御堂筋線)では、
「吉祥楼」を押さえていたつもりでしたが、
そちらが北京料理であったのに対して、今回、
利用した「聚香園」は台湾料理の流れです。
以前から店の前を通るたび、仕出しも行って
いるようだなと目をつけていたのですが、普通に
どれもリーズナブルで、かつ、美味しいです。
夜のビール・セット(980円)が、飲み物1杯に
加えて料理2品。当然の如く台湾風冷や奴を
オーダーし、追加で各種料理を試してみます。餃子類にインパクトは感じられません
でしたが、何てことのない野菜の炒め物などが、不思議と旨くて感心することしきり。
第34回 文楽鑑賞教室
![]() |
初めての文楽劇場、初めての鑑賞教室 |
劇場」へ出掛け、「第34回 文楽鑑賞教室」を
鑑賞しました。14時開演ですが、30分前には
連絡するようにお願いされていて、間に合えば
いいさと高を括っていたらば、かなりの満席で
少々焦りましたよ。「鑑賞教室」だけあって、
どこかの小学生らの団体が大挙して襲来して
いたようです。一旦、席につけば、焦らず、
騒がず、するが焼(元祖栗どら焼き)を摘まみ、
舞台に見入り、人形浄瑠璃に耳を傾けます。
☆
最初の演目は「二人禿(ににんかむろ)」……季節的にどうなの?と戸惑いこそすれ、
あっさりと陽気に、短めに終わるので、イントロダクションとしては上々なのかも。
その後、太夫・三味線弾き・人形遣いの技芸員による解説「文楽へようこそ」が
行われましたが、文楽の“基礎”について、頭では十分に理解できてきた気がします。
10分間の休憩を挟んで、いよいよ、「仮名手本忠臣蔵」の始まりです。
下馬先進物の段/殿中刃傷の段/塩谷(えんや)判官切腹の段/城明渡しの段
――今回は上記を上演。切腹の段から城明渡しの段にかけて幕間は無し。
なかなかにドラマティックな演出で、ぼくは好きです。大星由良助の溜めの演技。
また、遠くが見えないぼくは、眼鏡を外すと、顔世(かおよ)御前(=判官の妻)が
どうしようもなくリアルな別嬪に映ってしまうことに驚愕。そりゃ、高師直(もろのお)も
横恋慕してしまうでしょうよ、と。殿中刃傷の段で、その高師直の判官の罵倒ぶりは
黒い哄笑が抑え切れぬほどに面白くて、豊竹睦太夫の悪役ぶりに心酔しました。
「貴様もちょうどその鮒と同じこと。鮒よ鮒よ、鮒だ鮒だ、鮒侍だ」
原郷右衛門の主遣い、吉田玉勢の顔を覚えていたことでも、ちょっと嬉しくなり……
ずっと昔から興味はあったのだから、もっと早くに、文楽に親しめば良かったなあ。
tag : 文楽
淀川改修紀功碑
大阪市北区の毛馬閘門を訪ねた折、以前(ちょっと
調べてみたらば、2008年6月21日でした)も目にして
撮影した「淀川改修紀功碑」に再会し、懐かしくなって
しまいましたが、今回も相変わらず慰霊塔かと思い違い、
案内板の文字「基標」を「墓標」と読み違えることすら、
前回と全く同じ失態。進歩の無い己の有り様に、ほとほと
呆れ果ててしまったことです。明治29年(1896)に開始
された淀川改修工事は、概ね同42年(1909)に終了。
それを記念して建てられたのが、この紀功碑となります。
高さが10.6m。旧毛馬洗堰と旧毛馬第一閘門を含む
一帯の「旧淀川分流施設」は平成20年(2008)、国の
重要文化財に指定されています。紀功碑の周りにも、
毛馬北向地蔵、毛馬の残念石、旧毛馬基標など、
微妙に気になる物件がちらほら散在しているのでありました。

調べてみたらば、2008年6月21日でした)も目にして
撮影した「淀川改修紀功碑」に再会し、懐かしくなって
しまいましたが、今回も相変わらず慰霊塔かと思い違い、
案内板の文字「基標」を「墓標」と読み違えることすら、
前回と全く同じ失態。進歩の無い己の有り様に、ほとほと
呆れ果ててしまったことです。明治29年(1896)に開始
された淀川改修工事は、概ね同42年(1909)に終了。
それを記念して建てられたのが、この紀功碑となります。
高さが10.6m。旧毛馬洗堰と旧毛馬第一閘門を含む
一帯の「旧淀川分流施設」は平成20年(2008)、国の
重要文化財に指定されています。紀功碑の周りにも、
毛馬北向地蔵、毛馬の残念石、旧毛馬基標など、
微妙に気になる物件がちらほら散在しているのでありました。
一等水準点

庁舎第4号館」玄関脇、アオキの植え込みの
下に、「一等水準点(第230号)」を発見。
間重富の特集展示から、観測・測量機器~
地図のことなどを思い浮かべていたせいで、
目に留まったのかしら。水準点とは、「土地の
高さを測定する場合の基準を与える標識」
で、全国の主要道に沿って約2kmごとに設置
されています。慎ましやかな存在が愛らしく、
「點」に「四つ点」が付く旧字「点」が素敵です。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
tag : 地図
『美しい星』再読
映画を見たことをきっかけに、原作となる同名作も文庫本で再読しました。
三島由紀夫の『美しい星』ですが、小説と映画作品との異同(主に
人物相関図の面から)についてメモ。主人公となる大杉重一郎
の一男一女から成る一家は、各人が宇宙人として覚醒していきますが、
映画でも小説でも同じく、重一郎=火星人、長男・一雄=水星人、
長女・暁子=金星人として扱われているのに対して、妻・伊余子だけは
原作での木星人が映画では“地球人”として設定されていました。
元から地球人ですから、地球人として特に覚醒するシーンはなく、
“水ビジネス”に嵌まっていくだけでしたねえ。ただ、小説の方でも
木星人ながら、政治や美に走る水星人、金星人とは違って、極めて中庸で
地球人に近い性格付けなので、キャラクターに大きな変更がある訳ではないです。
(そうなると、火星人は良かれ悪しかれ、ヒューマニズムを担う“文学”担当だったのでしょうか?)
映像内では謎の弁護士秘書、陰のフィクサーだった黒木克己が、小説内だと
「閣僚には入っていないが首相の椅子を狙っている高名な政治家」として、
完全に表の世界に突出した存在です。重一郎と対になり、年齢も2、3歳違い。
映画でドストエフスキー「大審問官」風の重厚な問答を熱く遣り取りした
重一郎と黒木ですが、小説で重一郎と激突するのは、仙台市の大学の
万年助教授・羽黒真澄を中心とする3人組でした。地球や人類の救済に
心を悩ませる重一郎に対し、「地球をぶっこわす」ことを夢想する羽黒一派は
“白鳥座六十一番星の未知の惑星”からやって来たという申告です。
羽黒一派は黒木に接近して、黒木の謎めいた立ち位置に変わりはありませんが、
映画ほど、“宇宙人”性は濃厚でありません。おそらく、原作の羽黒一派をばっさり
カットした時点で、重一郎に立ち塞がる役柄を羽黒から肩代わりさせられたと同時に、
白鳥座云々の“宇宙人”性――地球人ではないが、重一郎とは対極の思想を持つ
存在――をも付与されたものと思われます。リリー・フランキー演じる重一郎が
しつこいまでに連呼していた「太陽系連合」の名称は、原作に登場していません。
重一郎らが宇宙人であるにせよ、太陽系内惑星の住人であれば、「太陽系連合」は
畢竟“家族”の言い換えに過ぎず、映画のストーリーでも“家族の再生”を丁寧に
描出していたのが印象的でした。反して、原作内で重一郎が組織した運動の名は
「宇宙友邦会」……「友邦」=UFO……(べたな洒落には触れないとしても)安直な
ヒューマニズムより、いまだ確かめられざるものへのロマンが若干勝って感じられます。
参考文献:三島由紀夫『美しい星』(新潮文庫)
三島由紀夫の『美しい星』ですが、小説と映画作品との異同(主に
人物相関図の面から)についてメモ。主人公となる大杉重一郎
の一男一女から成る一家は、各人が宇宙人として覚醒していきますが、
映画でも小説でも同じく、重一郎=火星人、長男・一雄=水星人、
長女・暁子=金星人として扱われているのに対して、妻・伊余子だけは
原作での木星人が映画では“地球人”として設定されていました。
元から地球人ですから、地球人として特に覚醒するシーンはなく、
“水ビジネス”に嵌まっていくだけでしたねえ。ただ、小説の方でも
木星人ながら、政治や美に走る水星人、金星人とは違って、極めて中庸で
地球人に近い性格付けなので、キャラクターに大きな変更がある訳ではないです。
(そうなると、火星人は良かれ悪しかれ、ヒューマニズムを担う“文学”担当だったのでしょうか?)
映像内では謎の弁護士秘書、陰のフィクサーだった黒木克己が、小説内だと
「閣僚には入っていないが首相の椅子を狙っている高名な政治家」として、
完全に表の世界に突出した存在です。重一郎と対になり、年齢も2、3歳違い。
映画でドストエフスキー「大審問官」風の重厚な問答を熱く遣り取りした
重一郎と黒木ですが、小説で重一郎と激突するのは、仙台市の大学の
万年助教授・羽黒真澄を中心とする3人組でした。地球や人類の救済に
心を悩ませる重一郎に対し、「地球をぶっこわす」ことを夢想する羽黒一派は
“白鳥座六十一番星の未知の惑星”からやって来たという申告です。
羽黒一派は黒木に接近して、黒木の謎めいた立ち位置に変わりはありませんが、
映画ほど、“宇宙人”性は濃厚でありません。おそらく、原作の羽黒一派をばっさり
カットした時点で、重一郎に立ち塞がる役柄を羽黒から肩代わりさせられたと同時に、
白鳥座云々の“宇宙人”性――地球人ではないが、重一郎とは対極の思想を持つ
存在――をも付与されたものと思われます。リリー・フランキー演じる重一郎が
しつこいまでに連呼していた「太陽系連合」の名称は、原作に登場していません。
重一郎らが宇宙人であるにせよ、太陽系内惑星の住人であれば、「太陽系連合」は
畢竟“家族”の言い換えに過ぎず、映画のストーリーでも“家族の再生”を丁寧に
描出していたのが印象的でした。反して、原作内で重一郎が組織した運動の名は
「宇宙友邦会」……「友邦」=UFO……(べたな洒落には触れないとしても)安直な
ヒューマニズムより、いまだ確かめられざるものへのロマンが若干勝って感じられます。
参考文献:三島由紀夫『美しい星』(新潮文庫)
町人天文学者・間重富
谷町四丁目へ行き、「大阪歴史博物館」を訪ねました。
前回(ひと月ほど前)訪れた際は、流れてしまったため、
満を期しての再訪です。常設展示などはよく観に出掛け、
最後に入ったのがいつだったか調べてみれば、2014年
11月7日の金曜歴史講座「考古学から見た上方の
お酒」を聴きに来ていました。今回の主目的は、重要
文化財指定記念となる特集展示「なにわの町人天文
学者・間重富」。間(はざま)重富(1756~1816)は、
大坂の質屋でありながら、江戸幕府の御用測量をも
務めた天文学者でもありました。冲方丁『天地明察』
にも描かれていましたが、天体の運行、暦法を司る者は
古来、最高権力者や神職と定まっていたものです。
対して、一介の町人である間重富が高度な科学技術・
知識をもって活躍していた点が痛快です。国語学者・新村出(『広辞苑』編集者)は
後に、「難波津にあきひと(商人)さひす天つ星 究めはかりし稀(まれ)らなる君」
との賛を寄せています。重富の息子、間重新(しげよし)宛ですが、「大塩平八郎
書状」も展示されていて、どきり。陽明学もまた天文暦学を必要としたのでしょう。
参考文献:冲方丁『天地明察(上)』(角川文庫)
冲方丁『天地明察(下)』(角川文庫)

前回(ひと月ほど前)訪れた際は、流れてしまったため、
満を期しての再訪です。常設展示などはよく観に出掛け、
最後に入ったのがいつだったか調べてみれば、2014年
11月7日の金曜歴史講座「考古学から見た上方の
お酒」を聴きに来ていました。今回の主目的は、重要
文化財指定記念となる特集展示「なにわの町人天文
学者・間重富」。間(はざま)重富(1756~1816)は、
大坂の質屋でありながら、江戸幕府の御用測量をも
務めた天文学者でもありました。冲方丁『天地明察』
にも描かれていましたが、天体の運行、暦法を司る者は
古来、最高権力者や神職と定まっていたものです。
対して、一介の町人である間重富が高度な科学技術・
知識をもって活躍していた点が痛快です。国語学者・新村出(『広辞苑』編集者)は
後に、「難波津にあきひと(商人)さひす天つ星 究めはかりし稀(まれ)らなる君」
との賛を寄せています。重富の息子、間重新(しげよし)宛ですが、「大塩平八郎
書状」も展示されていて、どきり。陽明学もまた天文暦学を必要としたのでしょう。
参考文献:冲方丁『天地明察(上)』(角川文庫)
冲方丁『天地明察(下)』(角川文庫)
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
折々の豆腐(3)
吉村睦人(新アララギ)
寒き冬帰り来たれば卓の上に鱈多く入りし湯豆腐が待つ
本多稜(短歌人)
山ひとつ朝飯前に平らげて高野豆腐に鯉の味噌漬け
☆
『角川 短歌 4月号 2017』(角川文化振興財団)から豆腐詠2首を抽出(敬称略)。
「冬」に「湯豆腐」は、俳句ならば、くどいと感じそうな語の斡旋(そもそも季重なり)
ですが、短歌なので良いか、と。当たり前ですが、音数に余裕があるのですから。
ただ引っ掛かるのは、鱈を入れたらば、鱈鍋であって、湯豆腐でないのでは?
という一抹の疑問です。鱈がメインではないけれども、意外に量が多かったの?
まあ、堅いことは言わず、何なりと好きな物を放り込もうが、豆腐は懐が深いです。
高野豆腐の歌は、「雪の武奈ヶ岳」12首のラストを飾っています。滋賀県大津市の
武奈ヶ岳ですか? 他の歌にも、深い雪山での暮らしの点景が描かれています。
「朝飯前に平らげて」がダブル・ミーニングで働いており、(おそらく)武奈ヶ岳を
朝食前の時間帯に登ってきて、非常に容易で“朝飯前”だったということなのか
……朝飯の内容が、高野豆腐に鯉の味噌漬け。シンプルでいて、滋養満点です。
寒き冬帰り来たれば卓の上に鱈多く入りし湯豆腐が待つ
本多稜(短歌人)
山ひとつ朝飯前に平らげて高野豆腐に鯉の味噌漬け
☆
『角川 短歌 4月号 2017』(角川文化振興財団)から豆腐詠2首を抽出(敬称略)。
「冬」に「湯豆腐」は、俳句ならば、くどいと感じそうな語の斡旋(そもそも季重なり)
ですが、短歌なので良いか、と。当たり前ですが、音数に余裕があるのですから。
ただ引っ掛かるのは、鱈を入れたらば、鱈鍋であって、湯豆腐でないのでは?
という一抹の疑問です。鱈がメインではないけれども、意外に量が多かったの?
まあ、堅いことは言わず、何なりと好きな物を放り込もうが、豆腐は懐が深いです。
高野豆腐の歌は、「雪の武奈ヶ岳」12首のラストを飾っています。滋賀県大津市の
武奈ヶ岳ですか? 他の歌にも、深い雪山での暮らしの点景が描かれています。
「朝飯前に平らげて」がダブル・ミーニングで働いており、(おそらく)武奈ヶ岳を
朝食前の時間帯に登ってきて、非常に容易で“朝飯前”だったということなのか
……朝飯の内容が、高野豆腐に鯉の味噌漬け。シンプルでいて、滋養満点です。
毛馬の眼鏡橋
タイトルを「大阪の眼鏡橋(3)」にしようか?と
思うくらい、“眼鏡橋”のトピックスが続きます。
淀川は標高差の少ない大阪平野を流れており、
その流路は近世まで大きく蛇行していました。
明治29年(1896)から淀川大改修事業が開始。
大阪市都島区の毛馬閘門辺りから流路を
付け替える「新淀川」の開削工事でした。
現在、「淀川」と呼んでいるものが新淀川で、
旧・淀川はほぼ現在の大川に当たります。
さて、開削工事に伴い、掘削した土を運搬
するための「長柄運河」も一時的に開削され、明治35年(1902)に完成。その運河の
仮橋が老朽化したことから、大正3年(1914)、新たに架けられたのが「眼鏡橋」。
アーチは1つしか見当たりませんね……長柄運河自体は昭和42年(1967)に
埋め立てられましたが、毛馬閘門に隣接する跡地に、眼鏡橋は保存されており、
実際に渡ってみることも可能。高欄は昭和55年(1980)に補修されたものです。
参考記事:大阪府 治水のあゆみ

思うくらい、“眼鏡橋”のトピックスが続きます。
淀川は標高差の少ない大阪平野を流れており、
その流路は近世まで大きく蛇行していました。
明治29年(1896)から淀川大改修事業が開始。
大阪市都島区の毛馬閘門辺りから流路を
付け替える「新淀川」の開削工事でした。
現在、「淀川」と呼んでいるものが新淀川で、
旧・淀川はほぼ現在の大川に当たります。
さて、開削工事に伴い、掘削した土を運搬
するための「長柄運河」も一時的に開削され、明治35年(1902)に完成。その運河の
仮橋が老朽化したことから、大正3年(1914)、新たに架けられたのが「眼鏡橋」。
アーチは1つしか見当たりませんね……長柄運河自体は昭和42年(1967)に
埋め立てられましたが、毛馬閘門に隣接する跡地に、眼鏡橋は保存されており、
実際に渡ってみることも可能。高欄は昭和55年(1980)に補修されたものです。
参考記事:大阪府 治水のあゆみ
tag : 橋
千本松大橋

狭義では、アーチが2つ連なった石造2連の
アーチ橋を指すはずですが、アーチが1つでも
見つかれば、“眼鏡橋”を乱発してしまう模様。
(造幣局にも「めがね橋」が在りましたね)
今回、紹介する“めがね橋”はアーチを持たず、
上空から見た形状を“眼鏡”に見立てての
ネーミングです。正式名称は「千本松大橋」。
画像は、千本松大橋西詰。
大阪市の大正区と西成区の間、木津川に架かっています。
眼鏡の“眼”に該当する部分が、橋の両岸の2段の螺旋状の桁で、要はループ橋。
長さが323m、水面から桁下までの高さ34mとなり、木津川を使用する大型船の
安全運航に必要な高さだといいます。片側に歩道も設けられてはいましたが、
「千本松渡し」の渡船が今も利用できるらしくて、機会があれば、乗船したいもの。
参考文献:若一光司『大阪 地名の由来を歩く』(KKベストセラーズ)
tag : 橋
日本最多差路
2本以上の道路が交わる交差点を「多差路」といいます。
交差点=十字路のような先入観をお持ちの方は多いですが、
十字路は多差路の一つ、(2本の直線路が直角に交わっている)
四差路の特殊形態と呼んで差し支えないかと思われます。
三差路の特殊形態に丁字路やY字路があるようなものです。
と、ここまではまだ片手で数えられる範疇ですが……
東京都大田区には「七辻」と呼ばれる7差路、
東京都東村山市には「九道の辻」が在り、
日本最大の多差路は、東京都江戸川区の「菅原橋交差点」!
国道14号(千葉街道)に11本の道路が集中し、11差路を形成。
近場に在れば、必ずや足を運んで、調べ倒してくれたでしょうに。
参考文献:博学面白倶楽部『眠れないほど面白い「道路」の不思議』(三笠書房)
参考記事:なにがなにやら……日本で一番道が交わる11差路が東京にあった!?
交差点=十字路のような先入観をお持ちの方は多いですが、
十字路は多差路の一つ、(2本の直線路が直角に交わっている)
四差路の特殊形態と呼んで差し支えないかと思われます。
三差路の特殊形態に丁字路やY字路があるようなものです。
と、ここまではまだ片手で数えられる範疇ですが……
東京都大田区には「七辻」と呼ばれる7差路、
東京都東村山市には「九道の辻」が在り、
日本最大の多差路は、東京都江戸川区の「菅原橋交差点」!
国道14号(千葉街道)に11本の道路が集中し、11差路を形成。
近場に在れば、必ずや足を運んで、調べ倒してくれたでしょうに。
参考文献:博学面白倶楽部『眠れないほど面白い「道路」の不思議』(三笠書房)
参考記事:なにがなにやら……日本で一番道が交わる11差路が東京にあった!?
tag : つぶやき