北野恒富展

お出掛けしました。日本一の超高層ビル
「あべのハルカス」は、3月7日で開業3周年
だったようですが、いまだに「ハルカス300」
(=展望台)には上がっていないなあ。その
代わりと言っては何ですが、16Fの美術館は
よく利用させていただきます。本当に気軽に
足を運べる、良い美術空間です。今回は没後
70年を記念しての「北野恒富展」でした。
☆
北野恒富(1880~1947)は、東京の鏑木清方、京都の上村松園と並び称される
三都の美人画家なのですが、どうも地元・大阪においてすら、その存在が今ひとつ
浸透していないようなもどかしさがあります。正直、ぼく自身の記憶だって曖昧でした
……金沢出身の恒富が、出発点として選んだのは、版下製作業者。17歳時に大阪へ
出てくると、新聞の挿絵画家となります。展覧会に出展して入賞を果たす以前に、
要はグラフィック・デザイナーとして出発していたことになります。アルチザンの技は
ポスターの原画などでありありと見せ付けられる訳ですが、半面、それ故の通俗性を
論(あげつら)われることになります。その辺りが“大阪”臭いと思われる所以かと愚考
するとともに、卑俗で何が悪い!と、ぼくなどは苛立たしくもなります。しかし、恒富は
私淑していた横山大観に「色気があり過ぎて困る」と言われたせいか知りませんが、
“内面表現”とやらを深化させる方向に走り、はんなりとして、纏綿たる上方情緒の
世界に達することになってしまいました。フライヤーにも使われた「涼み」、「いとさん
こいさん」、「願いの糸」……ええ、悪くはないでしょうよ。「なにわ美人図鑑」と呼ぶ
しかない予定調和的な世界観。ですが、それはオダサクを「夫婦善哉」だけの作家
と見做してしまう思考停止であり、あるいは、大谷崎を『細雪』のみで評価してしまう
(鷹揚に構えたふりの)偏狭さであって、谷崎潤一郎は初期の「刺青」他の幻想文学
~探偵趣味の短編を抜きに語れないのと軌を一にして、恒富は“画壇の悪魔派”と
呼ばれ、忌避された初期の妖艶美漂う作品にこそ、有無を言わせぬ一方的な強みが
発揮されているものと断言できます。緋の着物をまとった遊女の妖しさに魅入られる
「暖か」、近松門左衛門『心中天の網島』に材を取った「道行」の凄み……ぱっと一目
見て、これはあかん!と戦慄させられます。けれども、あかんからこそ良いのです。
あかんものはあかんと、ストレートにぶっ込んでくる絵力が言葉を失わせてくれますよ。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術