日本磁器発祥(1)
ヘレンド窯の色鮮やかな東洋風の花鳥文、「ヴィクトリア」文に顕著ですが、
必ずしもヘレンド窯だけがそうであった訳ではなく、マイセンやウィーンなど、
他のヨーロッパの名窯からして、東洋磁器に様々な技術やモチーフの着想を
得ていた時代がありました。或る時代までのヨーロッパは、磁器の高度な
製造技法を持ち合わせておらず、王侯貴族の間では、中国の景徳鎮など、
東洋の薄手で硬い白磁器が珍重されていたという時代背景が在ります。
☆
1659年、ヨーロッパ人が伊万里焼に注目し始めます。それまで中国から得ていた景徳鎮のやきものが中国の鎖国政策で入手しづらくなり、日本との交易を許されていたオランダが伊万里焼を輸出しようと注文をしてきたのです。大量消費の時代を迎えて伊万里焼は、ヨーロッパ向けの「柿右衛門様式」ものと国内向けの「古九谷様式」に分かれます。ヨーロッパに輸出された柿右衛門様式は1720年代にドイツのマイセン窯で再現され ヨーロッパに白磁の文化を根付かせるきっかけとなりました。
参考文献:『器の教科書 完全版』(宝島社)
必ずしもヘレンド窯だけがそうであった訳ではなく、マイセンやウィーンなど、
他のヨーロッパの名窯からして、東洋磁器に様々な技術やモチーフの着想を
得ていた時代がありました。或る時代までのヨーロッパは、磁器の高度な
製造技法を持ち合わせておらず、王侯貴族の間では、中国の景徳鎮など、
東洋の薄手で硬い白磁器が珍重されていたという時代背景が在ります。
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1659年、ヨーロッパ人が伊万里焼に注目し始めます。それまで中国から得ていた景徳鎮のやきものが中国の鎖国政策で入手しづらくなり、日本との交易を許されていたオランダが伊万里焼を輸出しようと注文をしてきたのです。大量消費の時代を迎えて伊万里焼は、ヨーロッパ向けの「柿右衛門様式」ものと国内向けの「古九谷様式」に分かれます。ヨーロッパに輸出された柿右衛門様式は1720年代にドイツのマイセン窯で再現され ヨーロッパに白磁の文化を根付かせるきっかけとなりました。
参考文献:『器の教科書 完全版』(宝島社)
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
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