本野精吾(2)

また日本の20世紀建築史においても外せない
建築家として、アントニン・レーモンド(1888
~1976)の名が挙がります。その弟子・前川
國男、前川の弟子・丹下健三、さらには安藤
忠雄に至るまで、コンクリート打ち放し仕上げの
発達に、大いに貢献してきたわが国の建築界
ですが、ともすれば傍流に追いやられそうな
モダニズム建築家、本野精吾(1882~1944)の
名も看過してはならないところでしょう。“構造や材料そのものの美しさを生かす”
モダニズム建築理論に対して、コンクリートの素材感をどう表現しようとしたのか?
☆
ここでレーモンドからアンドーにいたる栄光の歩みの陰に隠れた一人の建築家のことも書いておこう。京都の本野精吾。父親が読売新聞の創業者で男爵という育ちのせいか経済的にも精神的にも恵まれ、建築に全力を尽くさなかったきらいもあり、レーモンドに比べ建築界での評価は低いけれど、ことコンクリートの表現問題については絶対に忘れるわけにはいかない。
レーモンドが打放しの自邸を東京に造ったのと同じ年に、本野もコンクリートむき出しの自邸を京都に造っている。にもかかわらず長いこと注目されずにきたのは、そのむき出しのコンクリートが打放しじゃなくて、ブロックだったからだ。かくいう私もなんだブロックかと軽く見ていたが、実物を訪れて驚嘆した。ブロック造の安っぽさはまるで感じられず、打放しの兄弟のように目に映る。安藤忠雄のじいさんの作品と言われればそういう気もする。
☆
上記のように藤森照信は語り、コンクリートそのものの材質感をどう表現するか
というテーマに立ち向かった本野の試行錯誤を賛嘆しつつも、「結局打放しという
正解には行き着けなかった」との評価にとどまっていたようです(一時は)。
しかし、そもそも、打ち放しが本当に正解だったのか?
戦後モダニズムの推進者の一人、日建設計の林昌二の疑問符が突き刺さります。
「打放しをコンクリートそのものの表現と言っていいのでしょうか。
あれは、型枠の表現ではないか。打放しに収束しなかった本野精吾の
努力の方がむしろ正解に近いのではないか」
「本野精吾邸」で採用されていた中村式鉄筋コンクリート構造
(=通称「鎮ブロック」)の中にも、鉄筋は仕込まれている訳だから、
コンクリートを打ち込んだ型枠の痕跡と、剥き出しのコンクリート・ブロックの表面の
どちらにコンクリートらしさを感じるか?という問題に置き換えられるような気がします。
近代における“自然”は都市、コンクリート・ジャングルの中にしか見出されないのです。
参考文献:藤森照信『建築史的モンダイ』(ちくま新書)
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