表現/現実
「表現だけが現実に現実らしさを与えることができるし、リアリティーは現実の中にはなく表現の中にだけある。現実は表現に比べればずっと抽象的だ。現実の世界には、人間、男、女、恋人同士、家庭、等々が雑居しているだけだ。表現の世界はこれに反して、人間性、男らしさ、女らしさ、恋人同士たるにふさわしい恋人同士、家庭をして家庭たらしめているもの、等々を代表している。表現は現実の核心をつかみ出すが現実に足をとられはしない。表現は蜻蛉のように水のおもてに姿を映し、その水面すれすれに飛びちがい、いつのまにか水の上に産卵する。その幼虫は天空をかけめぐる日のために水中で育ち、水中の秘密に精通し、しかも水の世界を軽侮している。これこそは君たちの種族の使命なんだ」
☆
三島由紀夫『禁色』における老作家、檜俊輔の御託の一部ですが、
George Clinton ならば、“Fantasy is reality”と口ずさんでおしまい。
表現(=芸術)と現実との懸隔、ねじれたように見える関係は、
三島の念頭には常に“美”が巣食い、はびこってやまないためで、
現実の模倣は芸術でも何でもないとの確信に立っているからですねえ。
年を喰って、ぼくもどうして(近代)建築などに興が尽きなくなったのか、
美術館巡りや(一部の)小説の濫読とどう関わっているものやら、
己の変心を怪訝に思うこともありましたが、もう、大丈夫。
寄り道、回り道をしているようでも、ゴールは何となく見えています。
Reproduction of a new breed
Leaders, Stand Up, Organize ♪
参考文献:三島由紀夫『禁色』(新潮文庫)
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三島由紀夫『禁色』における老作家、檜俊輔の御託の一部ですが、
George Clinton ならば、“Fantasy is reality”と口ずさんでおしまい。
表現(=芸術)と現実との懸隔、ねじれたように見える関係は、
三島の念頭には常に“美”が巣食い、はびこってやまないためで、
現実の模倣は芸術でも何でもないとの確信に立っているからですねえ。
年を喰って、ぼくもどうして(近代)建築などに興が尽きなくなったのか、
美術館巡りや(一部の)小説の濫読とどう関わっているものやら、
己の変心を怪訝に思うこともありましたが、もう、大丈夫。
寄り道、回り道をしているようでも、ゴールは何となく見えています。
Reproduction of a new breed
Leaders, Stand Up, Organize ♪
参考文献:三島由紀夫『禁色』(新潮文庫)
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