和気橋
大阪市の「天王寺公園」内に、標高26mの
茶臼山が在ります。大坂の陣で、真田幸村が
最後の戦いを繰り広げた舞台となります。今なお
六文銭の幟や何やと、あちこちで見かけました。
茶臼山(古墳)と公園本体の間に、河底池(=
通称「ちゃぶ池」)が満々と水を湛えています。
伝えられるところでは、延暦7年(788)、
和気清麻呂が旧・大和川を付け替えようと、
上町台地を開削した際に、古墳の濠を利用した
名残だとか……“大坂夏の陣”(1615)を思い起こしていたらば、奈良~平安時代。
河底池(かわぞこいけ)に架かっている橋は、「和気橋」と名付けられています。
新幹線を使う分には問題にならないのですが、
青春18きっぷなど、普通列車を利用して
関西からさらに西へ向かおうとした場合、必ず
途中下車して、次の電車まで数十分以上
待たされる羽目に陥りますが、よく足止めを
喰うのが、岡山県の和気(わけ)駅です。
どうやら、和気清麻呂が現・和気町(旧・備前国
藤野郡)出身だったことに地名も関連する模様。
個人的な記憶を辿り続けますと、先日、
「慶沢園」から茶臼山へ向かっていて、和気橋を目にした瞬間、嗚呼、この橋は渡った
ことがある!と胸に迫りました。何かしら、封印されていた思い出に触れてしまったか。

茶臼山が在ります。大坂の陣で、真田幸村が
最後の戦いを繰り広げた舞台となります。今なお
六文銭の幟や何やと、あちこちで見かけました。
茶臼山(古墳)と公園本体の間に、河底池(=
通称「ちゃぶ池」)が満々と水を湛えています。
伝えられるところでは、延暦7年(788)、
和気清麻呂が旧・大和川を付け替えようと、
上町台地を開削した際に、古墳の濠を利用した
名残だとか……“大坂夏の陣”(1615)を思い起こしていたらば、奈良~平安時代。
河底池(かわぞこいけ)に架かっている橋は、「和気橋」と名付けられています。

青春18きっぷなど、普通列車を利用して
関西からさらに西へ向かおうとした場合、必ず
途中下車して、次の電車まで数十分以上
待たされる羽目に陥りますが、よく足止めを
喰うのが、岡山県の和気(わけ)駅です。
どうやら、和気清麻呂が現・和気町(旧・備前国
藤野郡)出身だったことに地名も関連する模様。
個人的な記憶を辿り続けますと、先日、
「慶沢園」から茶臼山へ向かっていて、和気橋を目にした瞬間、嗚呼、この橋は渡った
ことがある!と胸に迫りました。何かしら、封印されていた思い出に触れてしまったか。
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