井戸の放浪
大阪市の「国立文楽劇場」前に、「二ツ井戸」
旧蹟が在ります。2つ並んだ井戸が珍しく、
寛政年間に刊行された『摂津名所図会』では
名所のひとつに数え入れられていました。
当初は道頓堀の東に在りましたが、明治時代の
都市計画で撤去。粟おこし屋「津の清」当主が
惜しんで、店頭に移設して、その際に町名も
「二ツ井戸町」になったそうです。元の位置より
西、下大和橋よりは東の辺り。織田作之助の
『夫婦善哉』に登場する二ツ井戸は、この時代。
元の御影石の井戸枠は、大阪大空襲の被害で修復不能に。
昭和27年(1952)、さらに西の方(道頓堀東1丁目6番21号)へ移転した
「津の清」店頭に復元された二ツ井戸ですが、平成12年(2005)に
一旦、姿を消します。現在の旧跡「二ツ井戸」は、銘板と標柱が
発見されたのを期に、2012年4月、再移築。復元された物です。
二ツ井戸は都合3回、“宿替え”を行ってきたことになりますね。

旧蹟が在ります。2つ並んだ井戸が珍しく、
寛政年間に刊行された『摂津名所図会』では
名所のひとつに数え入れられていました。
当初は道頓堀の東に在りましたが、明治時代の
都市計画で撤去。粟おこし屋「津の清」当主が
惜しんで、店頭に移設して、その際に町名も
「二ツ井戸町」になったそうです。元の位置より
西、下大和橋よりは東の辺り。織田作之助の
『夫婦善哉』に登場する二ツ井戸は、この時代。
元の御影石の井戸枠は、大阪大空襲の被害で修復不能に。
昭和27年(1952)、さらに西の方(道頓堀東1丁目6番21号)へ移転した
「津の清」店頭に復元された二ツ井戸ですが、平成12年(2005)に
一旦、姿を消します。現在の旧跡「二ツ井戸」は、銘板と標柱が
発見されたのを期に、2012年4月、再移築。復元された物です。
二ツ井戸は都合3回、“宿替え”を行ってきたことになりますね。
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