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源融のこと

嵯峨嵐山の「五台山 清凉寺」(=嵯峨釈迦堂)の前身は、「棲霞寺」。
一帯には、嵯峨天皇(786~842)の皇子、左大臣・源融(822~895)の
別荘「棲霞観」が在り、彼の一周忌に、生前から造立発願されていた
阿弥陀三尊像を祀り、安置した阿弥陀堂が「棲霞寺」と号されたのです。
即ち、清凉寺の阿弥陀堂から霊宝館に移管されている 国宝
阿弥陀三尊像」(=嵯峨光仏)が棲霞寺の本尊に当たります。
丈六の本尊は、源融(とおる)の面影を伝えるともいわれていますが……。
       ☆
源融は、『源氏物語』の光源氏のモデルと目される人物の一人として
有名ですけれども、いろいろな局面で遭遇して、驚くことがよくあります。
以前働いていた京都の会社の裏手に在る、池泉回遊式庭園「渉成園」。
通称「枳殻邸」は、東本願寺の飛び地境内となっているのですが、
源融の作庭した「六条河原院」の跡地との説もありましたよ。
       ☆
京都を離れ、地元・大阪で言うと、どうにも周辺環境が怪しげではある
大阪・梅田に近い「太融寺」。家(天満)からも徒歩圏内と言えるし、
淀殿の墓所が在るとのイメージに塗り込められて、顧みることが少なく
……弘仁12年(821)、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師の創建です。
同寺の“融”の1字が表すように、源融が七堂伽藍を建立するなどした模様。

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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像史跡

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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