良弁伝説
『元亨釈書』などにも記されている良弁伝説の一つを基にして、
「南都二月堂 良弁杉由来」は作られているのですけれども
……茶摘みの時季、志賀の里で、渚の方が亡き夫を偲んで
形見の扇で舞っていたところ、大風とともに舞い降りてきた大鷲に
嫡子・光丸をさらわれてしまったのでした。それから30年、
気がふれたように、ぼろを身にまとい、我が子を捜し続ける渚の方。
一方で、(東大寺の辺りの)杉の梢に引っかかり、義淵僧正に救われ、
成人して、立派な僧になっているのが、かつての光丸=良弁なのでした。
母子は再会を果たすのですが、何をもって、親子の証しとするのでしょうか?
(まぁ、鷲にさらわれてしまう子供自体、レア・ケースとはいえ、そこは突っ込まず)
答えは如意輪観音! 渚の方は「守りのぜぜでその守り。小像如意輪観世音。
なぜいとし子の行末を、知らぬというて済むかいな」と嘆いていたように、
幼い光丸に如意輪観音像を収めた守り袋を持たせていた次第。その説明を
「背なしの絹の後紐、末長かれと結びさげ守りの中の尊像は水無瀬が家に
伝はりし、一寸八部の如意輪観音」と聞いて、良弁が取り出した錦の守り袋。
光丸の衣に提げていた守り袋に違いないと同定されて、ハッピー・エンドなのです。
「南都二月堂 良弁杉由来」は作られているのですけれども
……茶摘みの時季、志賀の里で、渚の方が亡き夫を偲んで
形見の扇で舞っていたところ、大風とともに舞い降りてきた大鷲に
嫡子・光丸をさらわれてしまったのでした。それから30年、
気がふれたように、ぼろを身にまとい、我が子を捜し続ける渚の方。
一方で、(東大寺の辺りの)杉の梢に引っかかり、義淵僧正に救われ、
成人して、立派な僧になっているのが、かつての光丸=良弁なのでした。
母子は再会を果たすのですが、何をもって、親子の証しとするのでしょうか?
(まぁ、鷲にさらわれてしまう子供自体、レア・ケースとはいえ、そこは突っ込まず)
答えは如意輪観音! 渚の方は「守りのぜぜでその守り。小像如意輪観世音。
なぜいとし子の行末を、知らぬというて済むかいな」と嘆いていたように、
幼い光丸に如意輪観音像を収めた守り袋を持たせていた次第。その説明を
「背なしの絹の後紐、末長かれと結びさげ守りの中の尊像は水無瀬が家に
伝はりし、一寸八部の如意輪観音」と聞いて、良弁が取り出した錦の守り袋。
光丸の衣に提げていた守り袋に違いないと同定されて、ハッピー・エンドなのです。
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