★ 2018年2月に読んだ本 ★
『文楽床本集 国立文楽劇場 平成30年1月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
磯田光一『戦後史の空間』(新潮文庫)
阿川大樹『インバウンド』(小学館)……2月の「二人の読書会」テクスト。
『ジブリの立体建造物展 図録』(スタジオジブリ)
『角川 短歌 1月号 2018』(角川文化振興財団)
『トーキングヘッズ叢書(TH Series)No.68』(アトリエサード)
……特集内容は「聖なる幻想のエロス」。
下川耿史『日本エロ写真史』(ちくま文庫)……再読ですけれど。
十年以上も前に、青弓社の単行本で読んでいたことをほぼ忘れていましたわ。
(株)日本能率協会コンサルティング『改訂版 図解でわかるコールセンター/
ヘルプデスク』(日本能率協会マネジメントセンター)
磯田光一『戦後史の空間』(新潮文庫)
阿川大樹『インバウンド』(小学館)……2月の「二人の読書会」テクスト。
『ジブリの立体建造物展 図録』(スタジオジブリ)
『角川 短歌 1月号 2018』(角川文化振興財団)
『トーキングヘッズ叢書(TH Series)No.68』(アトリエサード)
……特集内容は「聖なる幻想のエロス」。
下川耿史『日本エロ写真史』(ちくま文庫)……再読ですけれど。
十年以上も前に、青弓社の単行本で読んでいたことをほぼ忘れていましたわ。
(株)日本能率協会コンサルティング『改訂版 図解でわかるコールセンター/
ヘルプデスク』(日本能率協会マネジメントセンター)
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京都市美術館

ややこしい名称は多いです。京都市は
岡崎公園内に在る「京都国立近代美術館」、
三十三間堂前の「京都国立博物館」、
阪急・烏丸(烏丸御池)近くの「京都文化
博物館」……場所を取り違えていると、
乗り換えなどが、非常に面倒くさいことに。
その点、「京都市美術館」は「京都国立近代
美術館」と同じ岡崎公園内、道路を挟んで
東側に位置しているので、混同していたにせよ、被害は最小限で済みます。
☆
当初、昭和3年(1928)に京都で執り行われた

昭和天皇即位の礼を記念して計画されていた
ことから、「大礼記念京都美術館」という名称
でした。昭和5年(1930)の設計図案競技で
一等賞を勝ち取った前田健二郎の設計です。
昭和8年(1933)11月13日、竣工式を挙行。
公立美術館としては、「東京都美術館」
(1926~)に次ぐ歴史を誇るようです。
敗戦後、進駐米軍によって接収された後、
現在の「京都市美術館」に改称されました。
☆
同美術館は昨年4月10日から再整備工事のため、閉館中。
2019年度内のリニューアル・オープンでしたか。
その際に新名称(通称?)「京都市京セラ美術館」と変わる模様。
私企業の名前が混じるのが、何だかなあ?というもやもや感。
まぁ、他美術館等との名称の混同は少なくなるでしょうし、
「京セラドーム大阪」(=大阪ドーム)より、なんぼかましかもしれません。
tag : 近代建築
ゴッホ展

出掛け、「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を
鑑賞しました。「ボストン美術館の至宝展」
でも、ゴッホの絵に接していたことから、
夢の続きを見ているような気分でした。
時間と場所を違えども、ゴッホという回路を
通して接続された観。ぼくだけでしょうか?
「アルルの女(ジヌー夫人)」に接して、
同じくアルル時代の「郵便配達人
ジョゼフ・ルーラン」やルーラン夫人の肖像画を想起していましたよ……。
☆
本展のテーマは、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)の作品における
ジャポニスムの影響(日本との相互関係)を見出すこと。「この土地が、空気の
透明さと明るい色彩効果のために 僕には日本のように美しく見える」と、
ゴッホにとって南仏アルルが理想郷=日本であったという事実は愉快です。
ゴッホ自身の油彩画やデッサンは約40点が展示され、中には有名どころの
「画家としての自画像」、「種まく人」も含まれます。やはり、力がありますね。
☆
日本初公開となる作品が4点。「雪景色」「タラスコンの乗合馬車」「夾竹桃と
本のある静物」「ポプラ林の中の二人」のうち、カラフルな乗合馬車、幻想的な
ポプラ林が良い感じでした。白樺派など、往時の文学者にも大人気だったため、
日本人のファン・ゴッホ巡礼の資料も多数展示。ゆっくり読み取れる状況ではなく、
斎藤茂吉の短歌を見落としてしまったなあ。ゴッホ以外の絵で、得をしたぞ!
と思わされたのが、エミール・ヴェルナール「ポンタヴェンの市場」、佐伯祐三
「オーヴェールの教会」。浮世絵や日本に関する文献資料を通して、ゴッホを
読み解くという切り口自体は目新しくないですが、手堅くまとめられていて満足。
参考文献:マリアンヌ・ジェグレ『殺されたゴッホ』(小学館文庫)
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
tag : 美術
おやつ蒟蒻
コンビニエンス・ストア「ミニストップ」で出会いました。
おつまみ・珍味の老舗「谷貝食品工業」(神奈川県
川崎市)の販売している「おやつこんにゃく」です。
加工は「カタクラ」(埼玉県新座市)が手掛けています。
中身としては乾燥こんにゃくですが、醤油だけでなく、
唐辛子と生姜の隠し味が飽きさせません。
今回はカップ酒のアテに購入してみたのですが、
ビーフ・ジャーキーにも似た食感は、ウイスキーに
合わせても、問題無いように感じられました。
デザートとしての蒟蒻ゼリーも良いですし、
水分を飛ばせばお酒のおつまみにもなる……
蒟蒻という食品、意外に万能選手なんですよね。

おつまみ・珍味の老舗「谷貝食品工業」(神奈川県
川崎市)の販売している「おやつこんにゃく」です。
加工は「カタクラ」(埼玉県新座市)が手掛けています。
中身としては乾燥こんにゃくですが、醤油だけでなく、
唐辛子と生姜の隠し味が飽きさせません。
今回はカップ酒のアテに購入してみたのですが、
ビーフ・ジャーキーにも似た食感は、ウイスキーに
合わせても、問題無いように感じられました。
デザートとしての蒟蒻ゼリーも良いですし、
水分を飛ばせばお酒のおつまみにもなる……
蒟蒻という食品、意外に万能選手なんですよね。
SM納豆
常々、ぼくは日本的なSM観、まったりとした
緩い相互の“共感”に基づいたSMプレイを広めた戦犯は
団鬼六ではないか?と睨んでいたのですが、
その精神性はともかく、縄責めなどのスタイルを創った
張本人は日本画家、伊藤晴雨(1882~1961)と目して良さそうです。
(晴雨をモデルにした鬼六の小説も読んでいるのに、迂闊でした)
そもそも、「SM」と併記できる観念は存せず、この世にはサディズムしか無く、
単に弱いサディストが己を偽り、マゾヒストの仮面を被って隠蔽しているだけ
――というのが、ぼくの自説です。根本的に他者を殺戮し、滅失させる
絶対的な欲望がサディズムであるから、生ぬるい共存共栄など不可能。
晴雨はサディストであり、SMプレイの源流は見かけでしかありませんが。
閑話休題。責め絵を描いていた晴雨が、実際に女性を縛り、
写真に残すようになった契機として、お葉(=鈴木かね代)の名が挙がります。
後に晴雨の下を去り、竹久夢二の愛人になったお葉ですね。
孫引きになりますが、晴雨は彼女について次のように記していました。
☆
東京美術学校に通っていたモデルで、五年許り関係を続けた。この女は田端の荒物屋の二階を借りて居て、母は納豆を売り、娘は美校に通って居た。秋田産れの、東北美人系の瓜実顔で、高島田に結わせ、縛って写生するのに絶対いい容貌と体格の所有者で、五年間にこの女を写生した画稿が積んで山を成して居たが、戦火に焼かれて、今は一枚も無くなってしまったのは惜しい気がする。今私の画いている女の顔は彼女の面影である。
参考文献:下川耿史 『日本エロ写真史』(ちくま文庫)
緩い相互の“共感”に基づいたSMプレイを広めた戦犯は
団鬼六ではないか?と睨んでいたのですが、
その精神性はともかく、縄責めなどのスタイルを創った
張本人は日本画家、伊藤晴雨(1882~1961)と目して良さそうです。
(晴雨をモデルにした鬼六の小説も読んでいるのに、迂闊でした)
そもそも、「SM」と併記できる観念は存せず、この世にはサディズムしか無く、
単に弱いサディストが己を偽り、マゾヒストの仮面を被って隠蔽しているだけ
――というのが、ぼくの自説です。根本的に他者を殺戮し、滅失させる
絶対的な欲望がサディズムであるから、生ぬるい共存共栄など不可能。
晴雨はサディストであり、SMプレイの源流は見かけでしかありませんが。
閑話休題。責め絵を描いていた晴雨が、実際に女性を縛り、
写真に残すようになった契機として、お葉(=鈴木かね代)の名が挙がります。
後に晴雨の下を去り、竹久夢二の愛人になったお葉ですね。
孫引きになりますが、晴雨は彼女について次のように記していました。
☆
東京美術学校に通っていたモデルで、五年許り関係を続けた。この女は田端の荒物屋の二階を借りて居て、母は納豆を売り、娘は美校に通って居た。秋田産れの、東北美人系の瓜実顔で、高島田に結わせ、縛って写生するのに絶対いい容貌と体格の所有者で、五年間にこの女を写生した画稿が積んで山を成して居たが、戦火に焼かれて、今は一枚も無くなってしまったのは惜しい気がする。今私の画いている女の顔は彼女の面影である。
参考文献:下川耿史 『日本エロ写真史』(ちくま文庫)
大阪天満宮

テキストに残しておかないことが多い。
何かのために、ちゃんと書き留めておこう。
「大阪天満宮」は大阪市北区天神橋2-1-8
に位置しており、日本で一番長い天神橋筋
商店街の近くに在ります。地下鉄・南森町、
JR東西線・大阪天満宮が最寄りの駅です。
上方落語の定席「天満天神繁昌亭」が
北側に建っています。日本三大祭の一つ、
「天神祭」は同宮の神事。建物について触れたかったのだけれど、また別の機会に。
画像は2月23日(金)撮影分。拝殿から幣殿を挟んで本殿にかけて写っていますが、
「てんま天神梅まつり」の出店で下の方が隠れた格好です。愛称が“天神さん”。
参考記事:大阪天満宮 ― 大阪天満宮について
参考文献:『大阪名所図解』(140B)
tag : 建築
恒例盆梅
寒波は去ったのでしょうか? 春一番は吹いたかしら? 
そんなこんなをぼんやり思いつつ、今年も大阪天満宮へ
詣でて、「てんま天神梅まつり 盆梅と盆石展」を
眺めるのでした。咲き初めとは言いながら、会場となる
書院造り100畳敷きの参集殿に梅の香が漂っています。
満開より、咲き初めの梅の花の方が、楚々とした風情で
ぼくは好きです。今回は和歌山県みなべ町の瓜渓石
(うりだにいし)のほか、石燕同好会、大阪醍醐愛石会の
盆石も展示。「長浜盆梅展」からも銘木が出展されて
いましたが、少々押し付けがましい感じも受けました。
神宝につき撮影禁止の各種天神像(図)が面白く、
飄々とした「渡唐天神像」は、“怒り天神”と全く別の
境涯を示され、ほっとする思いでした。縁側に出ると、梅の木餅を摘まみます。
昆布茶が染みます。天満宮を出てすぐ、天神橋筋商店街の「中村屋」に並び、
コロッケも頬張りました。一年ごとに同じイベントを繰り返すことの出来る悦び。
一日、一か月、一年……そのスパンをさらに大きく、徐々に拡大していければ、
果たして、“永遠”に辿り着けるのでしょうか? 歓喜としての永劫回帰を夢想します。

そんなこんなをぼんやり思いつつ、今年も大阪天満宮へ
詣でて、「てんま天神梅まつり 盆梅と盆石展」を
眺めるのでした。咲き初めとは言いながら、会場となる
書院造り100畳敷きの参集殿に梅の香が漂っています。
満開より、咲き初めの梅の花の方が、楚々とした風情で
ぼくは好きです。今回は和歌山県みなべ町の瓜渓石
(うりだにいし)のほか、石燕同好会、大阪醍醐愛石会の
盆石も展示。「長浜盆梅展」からも銘木が出展されて
いましたが、少々押し付けがましい感じも受けました。
神宝につき撮影禁止の各種天神像(図)が面白く、
飄々とした「渡唐天神像」は、“怒り天神”と全く別の
境涯を示され、ほっとする思いでした。縁側に出ると、梅の木餅を摘まみます。
昆布茶が染みます。天満宮を出てすぐ、天神橋筋商店街の「中村屋」に並び、
コロッケも頬張りました。一年ごとに同じイベントを繰り返すことの出来る悦び。
一日、一か月、一年……そのスパンをさらに大きく、徐々に拡大していければ、
果たして、“永遠”に辿り着けるのでしょうか? 歓喜としての永劫回帰を夢想します。
鎮ブロック
(極めて個人的な備忘録)
中村鎮(1890~1933)は、日本の建築家。福岡県糸島郡(現・糸島市)出身。
台湾総督府土木局に勤務後、早稲田大学理工科建築科に入学。
「建築ト装飾」編集主任。大日本帝国陸軍、「東洋コンクリート工業」の
技手・技師を経て、「日本セメント工業」技師長を務める。
中村式鉄筋コンクリート構造(=鎮ブロック)を考案した後、
「中村鎮建築研究所」を設立。都市美研究会の設立発起人に名を連ね、
早稲田高等工学校で建築歴史学の講師も務めた。大正10年(1921)4月14日、
函館区の大火を機に、函館へ赴き、鎮ブロックにより「銀座街」を建設。
函館にも縁が深い訳ですね。さて、建築材の素材が剥き出しという観点から
考えた場合、打ち放しのコンクリートと鎮ブロックとの大きな違いは何か?
(鎮)ブロックは型枠が要らない。型枠の“表情”すら全く考慮することなく、
ブロックの素材感だけが目に入ることになる。或る意味、侘び寂びの極限。
建築における“美”と、経済的合理性との間の結節点は、悩ましいところですが。
ぼくが現物で目に触れてきたのは、「本野精吾邸」、日本キリスト教団
「天満教会」、同「島之内教会」。昨年も特別公開されていた「栗原邸」
(設計・本野精吾)、「弓町本郷教会」(東京都文京区)や「福岡警固教会」
(福岡市)、「橋林寺」納骨堂・観音堂(群馬県前橋市)などの代表作は、
いつか観に行ける機会が出来ればよいなぁ。あと、ここ数年、ブログが
更新されていない「中村式鉄筋コンクリート研究会」の近況も気になります。
参考記事:笠原一人「鎮ブロックを知っていますか」
中村鎮(1890~1933)は、日本の建築家。福岡県糸島郡(現・糸島市)出身。
台湾総督府土木局に勤務後、早稲田大学理工科建築科に入学。
「建築ト装飾」編集主任。大日本帝国陸軍、「東洋コンクリート工業」の
技手・技師を経て、「日本セメント工業」技師長を務める。
中村式鉄筋コンクリート構造(=鎮ブロック)を考案した後、
「中村鎮建築研究所」を設立。都市美研究会の設立発起人に名を連ね、
早稲田高等工学校で建築歴史学の講師も務めた。大正10年(1921)4月14日、
函館区の大火を機に、函館へ赴き、鎮ブロックにより「銀座街」を建設。
函館にも縁が深い訳ですね。さて、建築材の素材が剥き出しという観点から
考えた場合、打ち放しのコンクリートと鎮ブロックとの大きな違いは何か?
(鎮)ブロックは型枠が要らない。型枠の“表情”すら全く考慮することなく、
ブロックの素材感だけが目に入ることになる。或る意味、侘び寂びの極限。
建築における“美”と、経済的合理性との間の結節点は、悩ましいところですが。
ぼくが現物で目に触れてきたのは、「本野精吾邸」、日本キリスト教団
「天満教会」、同「島之内教会」。昨年も特別公開されていた「栗原邸」
(設計・本野精吾)、「弓町本郷教会」(東京都文京区)や「福岡警固教会」
(福岡市)、「橋林寺」納骨堂・観音堂(群馬県前橋市)などの代表作は、
いつか観に行ける機会が出来ればよいなぁ。あと、ここ数年、ブログが
更新されていない「中村式鉄筋コンクリート研究会」の近況も気になります。
参考記事:笠原一人「鎮ブロックを知っていますか」
tag : 近代建築
篠山城大書院
丹波篠山には、基本的に牡丹鍋を食べに行く
くらいなのですが、(まるいのやデカボーと
いったゆるキャラは別として)篠山市の城下町に
何があるか?と言えば、二階町のバス停から
徒歩圏内で、これまでは「大正ロマン館」や
「篠山市立歴史美術館」を訪れています。
先日は、篠山城跡に「篠山城 大書院
(おおしょいん)」に足を延ばしてみました。
篠山城の歴史はいつかまた触れることが
あるかもしれませんが、慶長14年(1609)、徳川家康の命による天下普請です。
縄張奉行は藤堂高虎(津城主)、普請総奉行は池田輝政(姫路城主)。
城址である上に、最初から天守閣も築かれていなかったと聞くと、今ひとつ、
盛り上がらないかな。大書院は築城とほぼ同時に建てられるも、昭和19年(1944)、
火災によって焼失。現在の建物は平成12年(2000)に復元再建された物です。
入り母屋造り、杮葺き(画像は南側から)で、一大名の木造建築住宅(書院)としては
規模が大きいとのこと(床面積739.33m、棟高12.88m)。本当は通行禁止だった
かもしれない埋門(うずみもん)を抜けて、三の丸へ下り、南馬出(うまだし)土塁まで。
「お徒町武家屋敷群」を眺めながら、ぷらぷらと二階町へ戻る昼下がりでした。

くらいなのですが、(まるいのやデカボーと
いったゆるキャラは別として)篠山市の城下町に
何があるか?と言えば、二階町のバス停から
徒歩圏内で、これまでは「大正ロマン館」や
「篠山市立歴史美術館」を訪れています。
先日は、篠山城跡に「篠山城 大書院
(おおしょいん)」に足を延ばしてみました。
篠山城の歴史はいつかまた触れることが
あるかもしれませんが、慶長14年(1609)、徳川家康の命による天下普請です。
縄張奉行は藤堂高虎(津城主)、普請総奉行は池田輝政(姫路城主)。
城址である上に、最初から天守閣も築かれていなかったと聞くと、今ひとつ、
盛り上がらないかな。大書院は築城とほぼ同時に建てられるも、昭和19年(1944)、
火災によって焼失。現在の建物は平成12年(2000)に復元再建された物です。
入り母屋造り、杮葺き(画像は南側から)で、一大名の木造建築住宅(書院)としては
規模が大きいとのこと(床面積739.33m、棟高12.88m)。本当は通行禁止だった
かもしれない埋門(うずみもん)を抜けて、三の丸へ下り、南馬出(うまだし)土塁まで。
「お徒町武家屋敷群」を眺めながら、ぷらぷらと二階町へ戻る昼下がりでした。
恒例牡丹

賞味に出掛けました。お店はいつもの「ぼたん亭」。
ちゃんと、予約を入れて、2月20日(火)正午過ぎに
入りました。JR丹波路快速と神姫バスの乗り継ぎも
慣れました。倉敷市ほどではないですが、篠山市も
割と勝手知った街になりそうです。街も書物と同様、
読み慣れるもの。美人の女将に、顔も覚えられて
いました。今年は最初からミックス肉にするのでなく、
ロース肉ぼたん鍋でスタート。後から、野菜盛りと
併せて腿肉、バラ肉を追加注文。栗入り味噌の
鍋を突つきながら、「鳳鳴」を熱燗で頂きましたよ。
突き出しの黒豆が良い感じ。デザートも黒豆アイス。
黒豆=大豆「丹波黒」の原産地が丹波篠山なので、さすが、本場の味とこくです。