篠山城大書院
丹波篠山には、基本的に牡丹鍋を食べに行く
くらいなのですが、(まるいのやデカボーと
いったゆるキャラは別として)篠山市の城下町に
何があるか?と言えば、二階町のバス停から
徒歩圏内で、これまでは「大正ロマン館」や
「篠山市立歴史美術館」を訪れています。
先日は、篠山城跡に「篠山城 大書院
(おおしょいん)」に足を延ばしてみました。
篠山城の歴史はいつかまた触れることが
あるかもしれませんが、慶長14年(1609)、徳川家康の命による天下普請です。
縄張奉行は藤堂高虎(津城主)、普請総奉行は池田輝政(姫路城主)。
城址である上に、最初から天守閣も築かれていなかったと聞くと、今ひとつ、
盛り上がらないかな。大書院は築城とほぼ同時に建てられるも、昭和19年(1944)、
火災によって焼失。現在の建物は平成12年(2000)に復元再建された物です。
入り母屋造り、杮葺き(画像は南側から)で、一大名の木造建築住宅(書院)としては
規模が大きいとのこと(床面積739.33m、棟高12.88m)。本当は通行禁止だった
かもしれない埋門(うずみもん)を抜けて、三の丸へ下り、南馬出(うまだし)土塁まで。
「お徒町武家屋敷群」を眺めながら、ぷらぷらと二階町へ戻る昼下がりでした。

くらいなのですが、(まるいのやデカボーと
いったゆるキャラは別として)篠山市の城下町に
何があるか?と言えば、二階町のバス停から
徒歩圏内で、これまでは「大正ロマン館」や
「篠山市立歴史美術館」を訪れています。
先日は、篠山城跡に「篠山城 大書院
(おおしょいん)」に足を延ばしてみました。
篠山城の歴史はいつかまた触れることが
あるかもしれませんが、慶長14年(1609)、徳川家康の命による天下普請です。
縄張奉行は藤堂高虎(津城主)、普請総奉行は池田輝政(姫路城主)。
城址である上に、最初から天守閣も築かれていなかったと聞くと、今ひとつ、
盛り上がらないかな。大書院は築城とほぼ同時に建てられるも、昭和19年(1944)、
火災によって焼失。現在の建物は平成12年(2000)に復元再建された物です。
入り母屋造り、杮葺き(画像は南側から)で、一大名の木造建築住宅(書院)としては
規模が大きいとのこと(床面積739.33m、棟高12.88m)。本当は通行禁止だった
かもしれない埋門(うずみもん)を抜けて、三の丸へ下り、南馬出(うまだし)土塁まで。
「お徒町武家屋敷群」を眺めながら、ぷらぷらと二階町へ戻る昼下がりでした。
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