建築家としての詩人
未完に終わった三島由紀夫の『日本文学小史』を紐解いていると、
短歌と言わず、小説の現在~未来のためにも、今一度、古典に帰らねば
と思いつつ、勉強する時間も取れずに歯痒い日々が続いています。
第3章『万葉集』から、以下に引用してみましょう。
自然と言葉の関係で、“建築”が比喩に充てられます。
☆
詩が自然を統制し醇化し、詩がはじめて自然をして自然たらしめ、こうした手続によって所与の存在を神化する作用、そのために宮廷詩人は招かれていた。彼はあたかも建築家のように機能していたのだった。すなわち、吉野の宮の高殿の建築が、四周の野山や河川を、「依りて仕ふる」ものとして利用したことは、あたかも人麿が詩の見えざる建築によって、言葉を以て、これらの自然の意味を発見し、その自然の使命を確認したことと照応するものだった。ここでは、自然は言葉によって輝やかしく定立され、自然の或る美しさの発見は、ただちに、その美が、神的な使命に充ちたものであるというように讃仰されたのである。
☆
詩(=言葉)と自然は対立するものではありません。
もとより、三島は自然言語を称揚している訳でもありません。
言葉を経由してこそ、発見するしかない自然の美が厳然として在る。
それは所与の自然ではなく、失われた自然の思い出のようなものに過ぎない
かもしれませんが、一瞬間としての“現在”はとまれ、所詮(人間に与えられた)
時間とは、薄れ行く残影の中に垣間見るしかないのではないのでしょうか。
さて、建築は、何かしらを包み込む物、奥行きを有する美的な構造物でした。
言葉から成る詩が“建築”である所以は、ある種の空間、
場合によっては(小説であれば特に)時間をも内包するからであって、
単なる固有名詞と思われるような単語すら、確実に今ここに限定されない
広がりへ誘ってくれる可能性を秘めていることになります。以下、「懸詞」から。
☆
道行文(蓋しこれは懸詞の本領だ)におけるかけことばは、物名(もののな)や歌枕やあまたの地名が有(も)つてきた秘めやかな役割を、みやびな仕方で示してくれるものである。物の名や地名には人の世の、いひしれぬ古い思ひ出がある。ある地名はその二字、三字をみつめるときに、一巻の絵巻をひもとくよりも更にゆたかな物語と絵巻が、和やかに展(ひら)かれるのを人は知るであらう。
(中略)
かけことばは天の橋立。神への繊微な橋。悠久な美に向ふところの橋。保田氏がいはれた「日本の橋」のなかでもつとも美しい橋。すなはちことばの橋。すなはち心の橋。
☆
「保田氏」とは、文芸評論家の保田與重郎(三島の苛立ちを感じます)。
ところで、自然を定立させるような建築(=詩)とは一部の様式であって、
自然を客体視した近代西欧精神の産物である近代建築には当て嵌まらないだろう、
と考える向きには、後期のル・コルビュジエやガウディといった反例を挙げておきます。
参考文献:三島由紀夫『古典文学読本』(中公文庫)
短歌と言わず、小説の現在~未来のためにも、今一度、古典に帰らねば
と思いつつ、勉強する時間も取れずに歯痒い日々が続いています。
第3章『万葉集』から、以下に引用してみましょう。
自然と言葉の関係で、“建築”が比喩に充てられます。
☆
詩が自然を統制し醇化し、詩がはじめて自然をして自然たらしめ、こうした手続によって所与の存在を神化する作用、そのために宮廷詩人は招かれていた。彼はあたかも建築家のように機能していたのだった。すなわち、吉野の宮の高殿の建築が、四周の野山や河川を、「依りて仕ふる」ものとして利用したことは、あたかも人麿が詩の見えざる建築によって、言葉を以て、これらの自然の意味を発見し、その自然の使命を確認したことと照応するものだった。ここでは、自然は言葉によって輝やかしく定立され、自然の或る美しさの発見は、ただちに、その美が、神的な使命に充ちたものであるというように讃仰されたのである。
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詩(=言葉)と自然は対立するものではありません。
もとより、三島は自然言語を称揚している訳でもありません。
言葉を経由してこそ、発見するしかない自然の美が厳然として在る。
それは所与の自然ではなく、失われた自然の思い出のようなものに過ぎない
かもしれませんが、一瞬間としての“現在”はとまれ、所詮(人間に与えられた)
時間とは、薄れ行く残影の中に垣間見るしかないのではないのでしょうか。
さて、建築は、何かしらを包み込む物、奥行きを有する美的な構造物でした。
言葉から成る詩が“建築”である所以は、ある種の空間、
場合によっては(小説であれば特に)時間をも内包するからであって、
単なる固有名詞と思われるような単語すら、確実に今ここに限定されない
広がりへ誘ってくれる可能性を秘めていることになります。以下、「懸詞」から。
☆
道行文(蓋しこれは懸詞の本領だ)におけるかけことばは、物名(もののな)や歌枕やあまたの地名が有(も)つてきた秘めやかな役割を、みやびな仕方で示してくれるものである。物の名や地名には人の世の、いひしれぬ古い思ひ出がある。ある地名はその二字、三字をみつめるときに、一巻の絵巻をひもとくよりも更にゆたかな物語と絵巻が、和やかに展(ひら)かれるのを人は知るであらう。
(中略)
かけことばは天の橋立。神への繊微な橋。悠久な美に向ふところの橋。保田氏がいはれた「日本の橋」のなかでもつとも美しい橋。すなはちことばの橋。すなはち心の橋。
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「保田氏」とは、文芸評論家の保田與重郎(三島の苛立ちを感じます)。
ところで、自然を定立させるような建築(=詩)とは一部の様式であって、
自然を客体視した近代西欧精神の産物である近代建築には当て嵌まらないだろう、
と考える向きには、後期のル・コルビュジエやガウディといった反例を挙げておきます。
参考文献:三島由紀夫『古典文学読本』(中公文庫)
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