史家にして作家
伊東忠太の話をしましょう。多分に、自分自身のことを重ね合わせつつ、
藤森照信先生は、“建築家にして建築史家だった”忠太について、
小文「伊東忠太ワールド」の中で、非常に含蓄のある評価を示していました。
忠太の思想として代表的なものに、法隆寺建築論と、建築進化論があります。
かつて、法隆寺の再建をめぐって、建築史家と歴史家の間で論争が巻き起こった際、
忠太の答えは「どっちでもいい」でした。法隆寺とギリシャのパルテノンが兄弟であり、
法隆寺が世界最古の木造建築であることにしか、忠太の関心は無かったからです。
続いて、建築進化論の問題。パルテノンが木造起源だという定説に対して、忠太は
“兄弟仮説”に基づき、日本の伝統的な木造建築も石造(煉瓦造り)に進化できる
と考えました。そうして実地に、木造建築を石造に置き換えたような造りで建築して
しまいます、実験の結果は、必ずしも成功とは言い難かったようですが、その精神は
武田五一の茶室の発見、藤井厚二の伝統とモダンデザインとの間の架橋、堀口
捨巳、板倉準三、丹下健三といった木造モダニズムに受け継がれていきます。
「後世に豊かな答をもたらす問を提示した伊東。しかし自分の答はいつも間違う
伊東。建築家にして建築史家にのみ可能な思想のあり方として、私は高く評価して
いる」と、藤森先生は結びますが、良い問いを立てること自体が、既に哲学です。
参考文献:『東洋+西洋=伊東忠太』(大阪市立住まいのミュージアム)
藤森照信先生は、“建築家にして建築史家だった”忠太について、
小文「伊東忠太ワールド」の中で、非常に含蓄のある評価を示していました。
忠太の思想として代表的なものに、法隆寺建築論と、建築進化論があります。
かつて、法隆寺の再建をめぐって、建築史家と歴史家の間で論争が巻き起こった際、
忠太の答えは「どっちでもいい」でした。法隆寺とギリシャのパルテノンが兄弟であり、
法隆寺が世界最古の木造建築であることにしか、忠太の関心は無かったからです。
続いて、建築進化論の問題。パルテノンが木造起源だという定説に対して、忠太は
“兄弟仮説”に基づき、日本の伝統的な木造建築も石造(煉瓦造り)に進化できる
と考えました。そうして実地に、木造建築を石造に置き換えたような造りで建築して
しまいます、実験の結果は、必ずしも成功とは言い難かったようですが、その精神は
武田五一の茶室の発見、藤井厚二の伝統とモダンデザインとの間の架橋、堀口
捨巳、板倉準三、丹下健三といった木造モダニズムに受け継がれていきます。
「後世に豊かな答をもたらす問を提示した伊東。しかし自分の答はいつも間違う
伊東。建築家にして建築史家にのみ可能な思想のあり方として、私は高く評価して
いる」と、藤森先生は結びますが、良い問いを立てること自体が、既に哲学です。
参考文献:『東洋+西洋=伊東忠太』(大阪市立住まいのミュージアム)
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tag : 近代建築