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Brandon Coleman

2019_01_31_Brandon_Coleman ジャズと呼ぶより、ぼくにとっては Snoop Dogg との
 絡みから、Terrace Martin 等はG-ファンクの中の
 人というイメージなのです。そのテラス・マーティンも
 名を連ねるLAの新進ジャズ・ミュージシャンの仲間たち
 “West Coast Get Down”の鍵盤奏者、Brandon
 Coleman
が来日。1月31日(金)、「ビルボードライブ
 大阪
」に赴くと、18時開演の第1ステージを愉しんで
 きました。ブランドン・コールマンは、WCGDのメンバー
 として着目していただけでなく、Kendrick Lamar
 作品などにも参加していましたし、何より、昨秋リリース
 されたブランドン自身の新譜 『RESISTANCE』が大変
 快作でして、期待を募らせていたのですよ。ライヴでは
新作からのナンバーを次々に披露。EW&F
All Around The World」に会場が温まり、
A Letter To My Buggers」はサビが
素敵な歌物R&Bにしか聞こえず。殿下チックな
「Addiction」が聴けなくて残念とはいえ、
両肩に Stevie WonderRogerが宿った
と豪語する「Sexy」に大歓喜。トーク・ボックス
ではないですけれど、ヴォコーダー使いでも
無問題。「Sundae」や「Giant Feelings」は
アルバム同様、女性ボーカルで聴きたかったかなぁ。
ただ、後者はG-ファンクのバック・トラックとして
耳に入れても秀逸で、「Sexy」と並んで、この夜の収穫。
(後から思い返すと、ホーン部隊も欲しくなりますが……)
主役以外では、ドラムのロバート・ミラーが密かに大活躍でした。
メンバーは以下のとおり。
       ☆
 Brandon Coleman - keyboards
 Carnell Harrell - keyboards
 Jae Deal - Moog synthesizer
 Robert Miller - drums
 Yvette Holzwarth - violin
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テーマ : Soul, R&B, Funk
ジャンル : 音楽

tag : 黒い音呑む

鉄橋化の時代

近代都市としての大阪が形成されるに際して、
交通網の整備という観点から、(鉄道以外で)
“橋”の果たした役割を再確認してみましょう。
       ☆
 一方、主な河川の橋梁も木製から鉄製のものへと順次掛け替えられていく。その嚆矢は、江戸期に紀州街道、亀岡街道など主要な往還道の起点であり、高札場も設けられていた公儀橋たる高麗橋であり(東横堀川)、一八七〇年にイギリスから輸入された錬鉄製の橋桁が用いられた(全国で三番目)。その後、一八七二年に鋳鉄製アーチを用いた新町橋、一八七三年に鉄製ボーストリングトラス構造の心斎橋、一八七五年に鉄製桁橋を採用した雑喉場橋難波橋、一八七七年に長堀橋の順に鉄橋化が進み、一八八二年ごろまでには十数橋が鉄橋となった。なかでも一八七三年製の安治川橋は大型船舶の航行のために、船の通行にあわせて中央部分が回転して航路を開ける可動橋として活躍した。
 近代初年に鉄橋化を促進したのは、賃銭橋(通行料を徴収する)を認可する布告が太政官から出されたからでもあるが、大阪ではとくに一八八五年の大洪水でほとんどの橋梁が流出してしまうという未曾有の災害に直面し、鉄橋の需要が高まったことが理由である。また、橋梁の構造的強化は、そのころ市街地に登場した人力車との通行との関連があった。比較的大きな動輪をもった人力車が、車夫をふくめ複数人を乗せて一挙に駆け抜けることは木造橋の耐久性の面からしてやはり問題であり、鉄橋化によって大勢の通行や風水害の際にも耐える丈夫な構造にすることは喫緊の課題であった。そうした対策は、やがてむかえる市電の通行と交通機関の発達にも呼応していくことになる。街案内をになう地図に鉄橋が記号を駆使して明記されたことは、文明化の象徴である観光対象であるのと同時に、人力車などの公共型交通の通行可能などを示す意味もあったといえよう。


参考文献:吉村智博『続かくれスポット大阪』(解放出版社)

ところで、大坂に在った12の“公儀橋”を復習すると、
 天満橋、天神橋、難波橋(大川)、
 高麗橋、本町橋、農人橋(東横堀川)、
 日本橋(道頓堀川)、長堀橋(長堀川)、
 京橋(寝屋川)、鴫野橋(平野川)、
 野田橋、備前島橋(鯰江川)――。
正直、「浪華三大橋」であるとか、「日本橋」などは
身近過ぎるあまり、じっくり、観察することを怠りがち。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag :

RAMPAGE

DIAMOND BIRYANI」のビリヤニを食した昼下がり、
(本当はチキン・カレーの方が食べたかったかも……)
Iqbal Ahmed 監督『THE ANSWER』(2015)をVODで鑑賞。
何かと似ているなあ……と思い返していたらば、
James Mark 監督『MEZA(ザ・サイキック 覚醒の賢者)
(2017)でしたわ。B級映画だ、低予算映画だというだけで、
ぼくが貶すことは絶対にないのですけれど、何の訴求力、
他の映画には見られない何かが一個も感じられないのは×。
そんなレベルならば、年明け早々に観た Brad Peyton 監督の
『RAMPAGE巨獣大乱闘(2018)でも十分なのですよ。
馬鹿馬鹿しいブロック・バスターの一つと軽視されようが、
Dwayne Johnson(=ロック様)が暴れ回るだけでも楽しく、
巨大化したゴリラ(ジョージ)、狼(ラルフ)、ワニ(リジー)が
シカゴで大激突する様は、「東宝」怪獣映画のノリで大笑い。
まぁ、ワニ好きのぼくとしては、リジーの造形をもう少し、
何とかしてほしく、ジョージも大きいだけのゴリラという見た目が
不満ではありますが、主人公はジョージでなく、ロック様だからね。

テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

tag : 映画特撮プロレス

タイムトラベル大阪

2018_10_09_逆櫓の松跡 前夜から泊まり込みの夜勤業務に入り、10時過ぎに
 引き継ぎを完了して帰宅。仮眠を取った後、図書館で
 借りている資料を進めるのでした。読書は苦痛でなく、
 活字を拾い読むのは、ぼくの純然たる愉しみですから。
 以下、小松左京『タイムトラベル大阪』(『大阪タイム
 マシン紀行』の改題)から、気になる個所の抜粋です。
        ☆
  戦前まで、人口に膾炙(かいしゃ)していた「源平の
 古戦場」のほとんどは、京都山城を中心に、
 摂津、近江につらなっていて、河内、和泉、
 大和のほうは「表」の歴史に対して落人の末路を
 哀れにうたった「裏」の物語の舞台として、後世の
記憶につたえられた。――大阪市内で、ただ一つ、合戦故事のよすがと
いえそうなものといえば、「逆櫓
(さかろ)の松」あとぐらいであろうか。
 福島区の公設市場あたりを、なにわ筋からちょっと西にはいった所の
ビルとビルのはざまに、何代目かの松が、今もひょろりと立っているのは
殊勝のかぎりであるが、もとよりこれは浄瑠璃、歌舞伎ファンには先刻
御案内の如く、十八世紀中葉、文耕堂、三好松洛らの作で、竹本座で
当たりをとった人形浄瑠璃「ひらがな盛衰記」三段目の切
福島逆櫓松の場」にあてこんでのことであろう。

       ☆
『平家物語』等で、源義経と梶原景時が、屋島の合戦を前に、
船を前後進できる逆櫓を舳先に付けるかどうかについて、
軍議の評定を行ったとされるのが、松の木の下であったとか。
兄との確執から、後の無い義経としては、前進を主張するしかなく……。
現在、大阪市福島区福島2-2-4に「逆櫓乃松址」が建っていますが、
松の木自体は、近代に入る以前から、とっくに枯れていたそうです。
「ABCホール」を含む、隈研吾・設計の「朝日放送新社屋」(2008)も間近。
       ☆
 その(源頼光の四天王の筆頭、渡辺)綱の2018_09_29_渡辺橋
養母が摂津国西成郡渡辺の地にいたので、
渡辺氏を名のった。――ちなみにいえば、
渡辺橋は、大阪では仁徳帝のかけた
長柄橋に次いで古い橋で、現在の中之島に
かかる渡辺橋よりずっと東にあったらしいが、
これも九世紀はじめに名の見える「大江

(おおえの)御厨(みくりや)」あたりにかかった
大江橋とともに、大阪で最も古い橋名である。
むろん、いずれも現在その名の橋のかかるあたりとは、あった場所もずれて
いるが、朝夕、渡辺橋、大江橋をわたる北のサラリーマン、OL諸氏諸嬢は、
時に橋畔にたたずんで、千年の昔、その名の橋のかかっていたころの、
葦と洲と水禽魚族の難波の津を想像してごらんになるといい。

       ☆
「古い橋」やら「最も古い橋名」やら、記述内容自体に
揺らぎが窺えますが……最も古い橋と言うならば、
つるのはし」(⇒鶴橋)ではないか、と思います。
また、大江橋(~淀屋橋)、渡辺橋(~肥後橋)も
日中は勤め人の往来が激し過ぎるので、橋を眺めながら、
歴史に思いを馳せたいのであれば、「水晶橋」から大江橋、
中之島ガーデンブリッジ」から渡辺橋を見遣るのがお勧め。
       ☆
 この(京都市伏見区)淀の周辺に、大山崎油座、石清水八幡麹座など、
「加工生産」の一種のカルテルが、すでに平安末期から発達した。
――とくに、淀の西南、天王山西麓にできた大山崎油神人のカルテルは
強力で、はるか近世初頭にまでその力を維持しつづけた。
 国鉄山崎駅、阪急大山崎駅の近くに「離宮八幡宮」という、日本でも珍しい
油の神様」が鎮座している。対岸の石清水八幡宮が、九州宇佐から動座
してくる時、いったんこの地にとどまったというのが縁起で、嵯峨帝のつくった
河陽
(かや)離宮あとが社地になったので、この名があるという。
が、この八幡社の神人は、油座をつくって、平安期から近世へかけて、
灯油、食料、加工用の荏胡麻
(えごま)の油を大和をのぞいて近畿一円に、
十三世紀初頭には、美濃尾張あたりまで、ほとんど一手で供給していた。
 荏胡麻は、ゴマと違ってシソ科の植物だが、この種を播磨、備前、
阿波、伊予、肥後から水路、陸路ここへ集荷し、油をしぼり精製して、
京、近江、東国へと販売する権利をもっていた。


参考文献:小松左京『タイムトラベル大阪』(ケイブンシャ文庫)

テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

tag : 史跡建築文楽大豆

末吉橋

2019_01_25_末吉橋 「長堀通」は、長堀川を埋め立てて出来た
 通りであると同時に、“末吉橋通”を拡幅
 したものでもあり、当然のように、長堀通を
 東進していると、東横堀川に架かっている
 「末吉橋」を渡ることになります。そのまま
 行けば松屋町。現在の橋は昭和2年(1927)、
 第1次都市計画事業の際、完成した鉄筋
 コンクリート製のアーチ橋(桁橋)。長堀川の
 埋め立て時、拡幅されています(1971)。
覆い被さるように、上を走っているのが阪神高速1号環状線。親柱の上に載る
渦巻き状の手すり(?)、味のある橋灯、角張った擬宝珠……など、各所に凝った
意匠を愉しめますが、何となく日陰者扱いされているようで気の毒。東横堀川に
架かった橋は、大なり小なり、そうなんですけれども。昔、末吉橋の西詰の南側に
在った(はずの)お店を利用した記憶が、ぼんやりとあるのですけれど、妙に胸が
苦しくなったり、とても大事なことを思い出せないような衝迫を覚えたりして……。
もしも覚えているのならば、教えてください。遠い先の日、思い出せればよいなあ。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag :

長堀橋跡記念碑

天満堀川」だけでなく、八百八橋の大阪には2019_01_25_長堀橋跡記念碑
消えてしまった堀川や橋がたくさんありまして、
心斎橋を横切る「長堀通」も、元はと言えば、
長堀川」でした。寛永2年(1625)、東横堀川
と木津川を結ぶ形で開削された長堀川に、
最初に架けられたのが「長堀橋」で、公儀橋
だったそうです。昭和35~46年(1960~71)、
長堀川が埋め立てられる中、長堀橋は昭和
38年(1963)に撤去されています。大阪メトロの
駅名などに、その存在を思い起こさせてくれますが、
長堀橋交差点の北東角に「長堀橋跡記念碑」も
建っています。ぼくみたいな物好きが、たまに
しげしげと見入って、画像撮影などを行うでしょう。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡

利き酒+落語

2019_01_25_「船場盛進堂」_1 1月25日(金)夕方から、大阪市・船場でのイベント
 「日本酒のお話と利き酒」に足を運んできましたよ。
 会場は博労町の「船場盛進堂」で、“アートで元気に
 なるプロジェクト
”を推進中。17時からの開場予定
 でしたが、寒波の色濃い冬空の下、飲食の準備が
 整いつつあるのを見て取ると、早々と入場させて
 いただきました。おでんやおにぎり、後からタコ焼きも
 注文しながら、ドイツ・ビール「OeTTINGER」を呷り。
 手作りの屋台感が居心地良くてねえ。おでんの具に
 豆腐やがんもどきが無くとも、こんにゃくは有り。
 泉州(大阪府阪南市)から会場にお酒を持ってくる
 「浪花酒造」の成子和弘(十代目)社長の到着が遅れ、
利き酒タイムが待ち遠しくて、仕方ありませんでした。
お待ち兼ねの利き酒3種は、「浪花正宗2019_01_25_「船場盛進堂」_2にごり酒/
大吟醸(吟醸だったかな?)/しぼりたて――。
気分が出来上がっているので、醸造アルコールが
混じっていたところで、気付かないでしょう……
と言うか、そんな細かいことを詮議する野暮な場では
ないので。成子社長の“とっておきのお酒の話”で
印象に残ったのは、日本酒の消費量のピークが
昭和40年代だったこと。では、現在のブーム(?)は
何かと言えば、狭いマニア市場で高級なアイテムが
取引されているのが目立つだけ。一杯目のビールの
後で、日本酒に切り替えるという飲酒パターンが
完全崩壊しているという現実があります。ビールどころか、
最近の居酒屋は、どこもかしこもハイボールですもの。
ちなみに、生産量日本一の「白鶴」が一日1万本ならば、
「浪花酒造」は年間3万本程度と、笑いながら話しておられました。
微醺の香り漂い、良い加減に緩んだ空気の中での落語会、
2階から階段を下りてきて高座に上がったのは、桂文昇
随分とやりにくかったでしょうが、きっちりと聴かせてくれました。
演目は「酒の粕」(まずは正攻法)と「紀州」を続けて2題。
6代目ではなく、先代の桂文枝(5代目)の弟子でした。

テーマ : 落語
ジャンル : お笑い

tag : 落語呑むおでんこんにゃく

夫婦橋(2)

2019_01_20_錦地蔵尊_1 (承前
 天満堀川は無くなるも、元の橋の在った辺りに、橋梁
 顕彰碑が設置されるとともに、横断歩道の両側に欄干や
 橋柱灯も新調され、平成12年(2000)、大阪市北区の
 「天神橋筋商店街」に、“平成の夫婦橋”は復活が
 相成った訳ですけれども……平成夫婦橋の親柱は当然
 新品ですが、埋め立て時に撤去されたオリジナルの
 「夫婦橋」親柱が、天神橋4丁目の粟おこし「大清堂
 (明治20年創業)の店内に在ったんですよねえ。ただ、
 「大清堂」は閉店したらしく、現在は甘味「咲良」が
 営業中。肝腎の親柱が現存しているか、実地に目視
 確認する必要を感じるのでした。

別個に……JR天満駅の南側に、「錦地蔵尊」が祀られて2019_01_20_錦地蔵尊_2
いまして、向かって右側に、同じくオリジナルと思われる
「夫婦橋」親柱が建っているのでした。普通に考えれば、
親柱は計4本あるだろうから、在ること自体に不思議は
無いにせよ、わざわざ「錦地蔵尊」の所まで持ってきた
意味が? あるいは後から、平成夫婦橋の北詰、西側に
建つ「夫婦橋地蔵尊」の方に戻すという手もあったのでは
と思います。もっとも、錦地蔵尊の持っている親柱は、
夫婦橋だけで済まない模様(詳細は後日)。しかし、椿か
何かの木の枝に絡まれ、鉢植えの木に塞がれ、まるで
人目に触れぬよう、隠されているかのような案配です。
左手に進むと、●●ホテル「AVANCER」(旧ホテル「てんま」)
……地獄から救済してくれるのが地蔵菩薩、と妙なことを思い出します。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡仏像

酒場「おか長」

2019_01_22_酒場「おか長」 大阪市中央区のミナミ地下街の現在の愛称(?)は
 「なんばウォーク」ですが、一昔前までは「虹のまち
 でしたねえ。開業は昭和45年(1970)3月6日。
 平成6年(1994)4月16日、「なんばウォーク」に改称。
 堺筋から四つ橋筋まで、東西に延びているから、
 東端には、大阪メトロ・日本橋駅が位置しています。
 初春文楽公演」第2部を鑑賞した日、日本橋への
 到着が15時頃。ちょい呑みが可能ではないか!と、
 なんばウォーク3番街北通りの酒場「おか長」が、
 幸いにも空いていて、速攻で飛び込んだのでした。
 ほぼカウンターのみですが、椅子があります。
 立ち呑み価格にして、座れる酒屋という有り難さ。
実は「七津屋」系列店のようですが、未確認。近くに「七津屋」なんばウォーク店も
あるのよねえ。公演時刻が迫っているので、お酒は利き酒セットに留めました。
次々に、「吉の川」(福島)、「菊水」(新潟)、「久保田」(同)、「八海山」(同)、
菊姫」(石川)、「酔心」(広島)を呑み比べ。アテにはポテト・サラダ、冷や奴、
きんぴら、牛ハラミ等の他、おでんも注文。次回は、ちゃんと時間枠を取ります。
 

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : 呑むおでん豆腐

初春第2部

初春文楽公演第1部に引き続き、1月22日(火)、2019_01_22_初春文楽
第2部を鑑賞に出掛けました。16時の開演で、空席が
ほとんど無い状態。当初、予約しようとしていた20日
(日)なんて、満席でしたもの。まずは近松門左衛門
原作の「冥途の飛脚」淡路町の段/封印切の段/
道行相合かご――です。昨年の初春公演で聴いた
傾城恋飛脚」は、菅専助と若竹笛躬の合作で、
『冥途の飛脚』の改作に当たります。手を付けては
ならない公金に手を出してしまう飛脚問屋・亀屋
忠兵衛
は、商売仲間の丹波屋八右衛門からも
50両ほど寸借しており、催促を受け、「この忠兵衛を
人と思へば腹も立つ。犬の命を助けたと思うて
了簡頼み入る
」と詫びる訳ですが、淡路町の段の
終盤。懐の公金300両を持って、北(=堂島の屋敷)へ行くはずが、
梅川のいる南の花街(=新町)へ寄って行こうか、やめようか、
逡巡を重ねるシーンで、野良犬が現れ、にやりとさせられました。
(嗚呼、忠兵衛の“羽織落とし”は、往年のJBマント・ショーと同じ演出ではないか!)
       ☆
15分休憩の後、「壇浦兜軍記」阿古屋(あこや)琴責の段です。
文耕堂と長谷川千四の合作で、元はやはり、近松門左衛門の
『出世景清』。ヒップホップのサンプリング・ネタの定番がJB
あったように、人形浄瑠璃界のゴッド・ファーザーが近松なんだなあ。
遊君阿古屋の人形を遣うのは桐竹勘十郎、秩父庄司重忠を
語っていたのが竹本織太夫で、今回、猛プッシュされている印象。
豊竹呂太夫は、「冥途の飛脚」封印切の段に出演)
いや、阿古屋の衣裳や人形遣いがメインの演目ではないか……と
考えていたらば、琴・三味線・胡弓の“三曲”を操る鶴澤寛太郎
思わず、聴き惚れてしまいましたわ。本来、ヒールであるべき
岩永左衛門の動きもコミカルで、予想外の楽しさに顔も緩みまくり。

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽黒い音

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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