道引地蔵尊

東西へ伸びている道の途中、「喫茶Y」の在る辺りに
「行基菩薩開基南濱墓所」の石碑を目印に、地蔵堂を
見つけることが出来ます(大阪市北区豊崎1-2)。
明治24年(1891)建立。4畳半ばかりのお堂に祀られて
いるのが「道引地蔵尊」でして、まずは“大坂七墓”の
ことから。江戸時代から明治時代初期、大坂には「濱」、
「梅田」、「葭原」、「千日」、「蒲生」、「鳶田(=飛田)」、
「小橋」と7つの墓地が在りました。特に(南)浜墓地は、
我が国最初の火葬所とされ、行基(668~749)が天平
19年(747)7月、弥陀如来六観音六地蔵尊を安置して、
荼毘開闢の供養を行ったそうです。少し西へJR京都線を
潜った所に、同年、行基の開山した「源光寺」も在りましたよ。さて、“七墓めぐり”の
1つでもあった濱(南浜墓地)には元々地蔵尊があった訳で、「道引之地蔵」の堂宇
などは、祈願によって嫡子を得たという天満の住人・秋田羅以(らい)の報謝による建立
……道引地蔵尊が秋田の建てた物として、祈願をかけた南浜地蔵尊の方はいずこ?
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