平和地蔵尊

偏見を抱きそうになるのですが(別に、天神さんのせい
ではないですよ)、神様に限らず、お地蔵さんも大して
変わらないよなあ、などと思ってみたりもするのです。
一例を挙げれば、「ごて地蔵尊」など。お地蔵さんを祀る
行為の背後に、何かしら、後ろめたい心底を嗅ぎ取って
しまうのは、いけないことですか? 大阪市・十三を
懐かしく散策していた時、昔は見かけなかった「平和
地蔵尊」を発見。地蔵尊の在る辺りは、往時、「堀の森」
と呼ばれていたそうです。永禄9年(1566)、細川藤賢が
築いたとされる堀城(=中嶋城)が無くなった後も、森は
残っていたようなのですね。明治時代、その「堀の森」の
「鏡ヶ池」で幼児が溺死。子の母が弔いのために設けたお地蔵さんが、時を経て、
安産・子育ての守護神として扱われるようになったようです。その後の太平洋戦争で
戦災に遭い、焼け跡から掘り起こされた物が初代の「平和地蔵」。平成19年(2007)、
ビジネス・ホテル「東横INN」大阪阪急十三駅西口が新築された際、同ビルの厚志に
よって、2代目の尊体が再安祀されました……一体、どこをどう突っ込んだものやら。
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tag : 仏像