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遊方×文鹿

6月21日(金)、大阪市・南森町は「ツギハギ荘」での
落語会に足を運びました。19時開演でしたから、
時間的には余裕有り。「弄堂」の焼き小籠包を摘まみ、
休日だった「一天」の代わりに、「鉄板京小町」を利用。
何ということもない、美味しい串焼き屋なんですけど、
薬膳メニューなど、健康志向をアピールし過ぎのような
……因みに、近くを通りかかった「天満天神繁昌亭」は
現在、休館。6月いっぱい掛けて補修工事が行われ、
7月1日にリニューアル・オープンする予定。
       ☆
さて、19時から、第4回「遊方×文鹿 新作トライアル」。
ツギハギ荘の2階の会場は、びっしりと満席。単なる
ネタ下ろしにしても、2人の集客力を考えれば、当然と
言ったところでしょうか。月亭遊方は2月の「喜楽館」、
桂文鹿は先月の「西大寺」以来の噺となります。
インドでネタを練ってくる文鹿さん、ファミレスなど、
カジュアルな街ネタを引き寄せる遊方さんのいずれも
創作(=新作)落語ですから、個人的に上方古典落語を
愛好するぼくとしては、どこまで頑張れるのか? 
斜に見てしまいがちとはいえ、とにかく、笑いました。
古典落語を仮想敵と見做すのならば、それなりの覚悟が
必要でしょう。それでも、いつか、古典/新作の区別が
小さなことに見えてくる時期がやって来ると信じています。
       ☆
月亭遊方「代理クルー」
桂文鹿「新宿行・夜行バス」
 中入り
月亭遊方「ツーショット」
桂文鹿「さわやか韓国エステ」

テーマ : 落語
ジャンル : お笑い

tag : 落語呑む

道明寺の国宝

20190618_道明寺 8年前に一度観たことなど、忘却の彼方。
 「道明寺」(藤井寺市道明寺1丁目14)の話
 になりますが、お寺を訪れたことだけは覚えて
 いたのに、境内に迷い込んだだけで、本尊を
 拝観していなかったように、記憶が改竄されて
 いましたよ。どうして、そんなふうになって
 しまったのか、フロイト先生に訊いてみたい。
 今回は藤井寺から近鉄・南大阪線で2駅移動。
 道明寺天神通りを上り、「道明寺天満宮」を
スルーして、所期の目的地である道明寺を目指します。元は土師(はじ)氏の氏寺。
土師氏の後裔に、菅原道真がおり、“道明”は道真の号らしいです。太宰府へ
左遷される折、叔母の覚寿尼を同寺に訪ねたとか。
啼けばこそ別れもうけれ 鶏の音の鳴からむ里も 道明寺_十一面観音菩薩立像
暁もかな
」と一首残しています。本尊が菅原道真自ら
刻んだと伝えられる「十一面観音菩薩立像」でして、
(かや)を用いた檀像様の一木造り。像高98cm。
本当に整った美仏ですが、「野中寺」の弥勒菩薩
半跏像
に胸をわしづかみにされた後でもあったから、
余計に、ぴんと来なかった模様。弥勒菩薩半跏像と
違って、写真映りは良いのだがなあ、とポスト・カード
(=右画像)を眺めて嘆息。菅原道真自刻というギミック
あってこその国宝扱いではないか? 不遜な疑いを
抱きつつ、道明寺餅を無性に食べたくなってきたぞ。
近場のスーパーで尋ねてみたところで、やはり
季に外れ、怪訝な顔をされるばかりなのでした。
十一面観音像は毎月18、25日に公開されています。

参考記事:暮らし歳時記 ― 桜餅

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像おやつ

リベンジ葛井寺

20190618_藤井寺一番街 「野中寺」の「金銅弥勒菩薩半跏像」に胸ときめかせた
 後、近鉄バスに乗って、(羽曳野市)野々上から藤井寺
 駅前に舞い戻りました。目指すは「葛井寺(ふじいでら)
 (藤井寺市藤井寺1-16-21)――地名として「藤井
 寺
」は残っていますが、寺名は変更されています。
 葛井寺の創建は、百済の王族・王仁氏の渡来に遡り、
 子孫が白猪(むらじ)葛井連と改姓。元々は、その
 葛井氏の氏寺であったともされますが、神亀2年(725)、
 聖武天皇の勅願で行基が創建。その際、春日仏師の
 親子、稽分会稽首勲が本尊となる「十一面千手
 千眼観世音菩薩像
」を造ったそうです。「千手観音」と
 言うは易し、ですけれど、現実に千本の手を持つ仏像の
数は多くなく、葛井寺の本尊は馬鹿正直に千本の手を拵えた希少な作例となります。
正確に言えば、持物を持つ大手38本、小手1,001本(右500本、左501本)から
成り、計1,039本の脇手があります。しかも、律儀に一つひとつの掌に、1個ずつ
眼が描かれているといいますから、間違った方向に突っ走ったリアリズムに慄然。
この国宝・千手観音坐像は脱活乾漆造りで、やはり毎月18日のみの特別開扉です。
       ☆
リアル千手観音”というイメージに惹かれ、昔(2011年7月18日)、葛井寺を
訪ねたことがありました。あの時も、葛井寺、野中寺……と同コースを辿りました。
ただし、当時はバスを用いず、藤井寺駅から野中寺まで歩いて往復。次の目的の
お寺までも行脚したものです。しかも、せっかくの秘仏公開の日だったというのに、
何に気後れしたのやら、本堂の宮殿には足を踏み入れず、他の参拝客を横目に、
ガラス越しにおろおろと、千手観音の影に眼を凝らすだけ。何をしたかったのか、
自分でもよくわかりません。今回、葛井寺へ足を向けるに際して、駅前から続く
アーケードの商店街「藤井寺一番街」には惚れ惚れとしました。商店街を流すうち、
いつの間にやら、葛井寺に着いています。西国三十三ヵ所観音霊場の第5番札所
(第6番が「壺阪寺」)。庶民的で 良いお寺さんですが、どうも“寺”というより、
“神社”のような匂いを強く感じてなりませんでした。いろいろと盛り沢山な趣向
(?)に目移りして、落ち着かなかったためか、千手観音も手数の多さだけが印象の
大部を占め、きちんと対峙できなかったしこりが……本堂宮殿内に入ったまでは一応
進歩。次回は本腰を入れて、「十一面千手千眼観世音菩薩像」に向かい合おう。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像

野中寺の弥勒

6月18日(火)、河内の古仏を訪ねる日帰りの20190618_野中寺
旅に出掛けました。お寺によっては、(大阪
府内とはいえ)交通の便が若干宜しくないの
と、いずれも拝観日が制限されているので、
思い立ってから、随分と延び延びとなって
いたりするのです。大阪市内からだと、まず
天王寺まで。近鉄・南大阪線に乗り換えて、
藤井寺で下車。南口から近鉄バスに乗って
野々上で降車。大阪市から外れると、ぼくの
土地勘もだいぶ怪しげになるのですけれど、
聖徳太子ゆかりの“河内三太子”の一つ、
中の太子」と呼ばれる「野中寺」の所在地は、羽曳野市野々上5-9-24
となります。蘇我馬子の助力を得て、聖徳太子が建立したといわれており、
創建当初の伽藍は灰燼に帰してしまいましたが、残された礎石等から
法隆寺式の伽藍配置だったようです。南大門が竹内街道に面していた模様。
       ☆
野中寺_弥勒菩薩半跏像 「野中寺(やちゅうじ)」の「金銅弥勒菩薩半跏像
 と「地蔵菩薩像」は、毎月18日のみの開帳です。
 本堂の裏手に回り込んで、中門を潜って、客殿の
 横を通って、事務所の受付となるので、うっかり
 すると、特別拝観に気付かずに終わってしまう
 可能性すらありますねえ。良く言えば、奥ゆかしく、
 方丈で像高18.5cm の愛らしい弥勒菩薩に
 うっとりと見惚れてしまいました……画像はポスト
 ・カードを撮り直した物ですが、絵画等と同じく、
 仏像もリアルを直接に見なければ始まりません。
 光の当たる角度もあれば、目線の位置、質感・
 空気感も在りますし。天智5年(666)作といわれ、
台座の框(かまち)後部の銘文に、「弥勒御像」と明記されている点が貴重。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像

大石権内良昭

いつも目に入っていたはずなのに、ちゃんと20190605_大石内蔵助良雄実父権内良昭墓
見えていなかった物といえば、ごまんとある
訳ですが、通勤時に看過していた物件として、
大阪市北区兎我野町は「円通院」墓地内に
在る大石権内(げんない)良昭(1640~73)の
墓を取り上げてみました。大石良昭は大石
内蔵助良雄
(よしたか)の実父に当たります。
もっとも、良昭が34歳で大坂にて病没したため、
良雄は祖父・大石内蔵助良欽(よしたか)の養子
となって家督を継ぐ形を取りました。「国立文楽劇場」
開場35周年記念で、『仮名手本忠臣蔵』の通し公演が
行われていなければ、何事も無く、通り過ぎ続けていたでしょう。
画像は6月5日(水)撮影分。墓地の表に延命地蔵尊と並んで、
大石内蔵助良雄實父権内良昭大石瀬左衛門信清實父八郎兵衛
」と記された石柱が建っており、その日はたまたま通用口が開いていたので、
中に入って、墓石を撮らせていただきました。(おそらく)八郎兵衛信澄の墓石は
ぼろぼろに崩れる過程ですねえ。大石信清もまた、赤穂浪士四十七士の一人。

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡文楽

大和西大寺駅

2019_06_06_大和西大寺駅 近鉄・大和西大寺(奈良市西大寺国見町
 1丁目1−1)についてメモ。掲載画像は6月6日
 撮影分となります。同駅が、世の鉄ちゃんらに
 知られているのは、平面交差分岐器
 線路の切り替えポイント)の数の多さから。
 たぶん、日本一。駅構内だけで、28器在ると
 いわれています。平城宮跡も近い土地柄、
 地下化も出来なければ、景観上、立体化も
 出来ない結果が、日本最多の平面交差数の
ようです。駅と一体化しているショッピング・モール「Time's Place 西大寺」に
設けられた展望デッキから、難波・京都方面に5本の線路が乗り入れる交差ぶりを
足下に観察できますよ。奈良・橿原方面の方がより複雑怪奇とは聞きますが、展望
デッキの出入り口のすぐ近くに、「蔵元豊祝」が店を開けているので許しましょう。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 呑む

はつせ

お好み焼きやたこ焼き――よく大阪人のソウル20190614_「はつせ」
・フードと呼ばれる食べ物ですね。わざわざ、
遠方の地まで足を運んで食べる食品ではない
気がします。格式張って食する物ではないし、
近所に在って、日常使いで口にして、美味しい
のであれば、上々。だからこそ、近場に名店・
優良店が在る“幸せ”もあるのでしょう。家の
近所(大阪市・天満界隈)だと、お好み焼きで
千草」、「天満風月(「鶴橋風月」とは無関係)
夜の呑み屋使いに「美濃」などが良いです。
たこ焼きでは、複数だと「うまい屋」、独りだと「寛子」。
さて、「文楽鑑賞教室」を終えて、ミナミをふらふらしながら、
何か食べようかとなるも、過度の飲食は控えよとの意向。
迷い歩いている中、板尾創路の声が聞こえてきて、
TV番組からの編集映像で客を呼び込んでいた お好み焼きの
はつせ」へ上がりました。全席個室という造りが落ち着きます。
単品をいろいろ注文していると割高感が出てくるので、
(コースだけで満腹なのに、揚げだし豆腐やコーン・バター他を注文)
お好み焼きの各種セットに、瓶ビールくらいで留めればよいかも。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : 呑む豆腐

第36回 文楽鑑賞教室

6月14日(金)、「第36回 文楽鑑賞教室」に出掛けました。
この形態の公演にも慣れました。14時開演のプログラムに
参加したところ、学生の一団が観客席を埋め、喧しかったです。
国立文楽劇場開場35周年記念」と銘打たれていましたが、
特に演目は例年と変わり映えしないようで、「五条橋」と
解説「文楽へようこそ」の後に休憩。「菅原伝授手習鑑
寺入りの段/寺子屋の段で締めとなっています。
五条橋」は、おそらく、ぼくが本物の文楽に触れた
最初の演目で、感慨深いですねえ。吉田玉翔が解説、
吉田玉勢は寺子屋の段の春藤玄蕃を遣っていました。
       ☆
最近、谷崎潤一郎の「いわゆる痴呆の芸術について」を
読み返したこともあり、文楽を好む者の踏み絵となる文章で
あることよ……と慨嘆しているのですけれども、「歌舞伎を
痴呆の芸術だといい出したのは正宗白鳥氏であったと思うが、
辰野
(隆)のいうのもつまりはそれで、痴呆という点ではむしろ
義太夫の方が本家であるから、恐らくその意味の悪口であろう

と言いながら、辰野に反駁するかと思いきや、愛憎半ばする如く、
義太夫(=文楽)の“悪”を剔抉する筆勢に度肝を抜かれます。
大谷崎は文楽の義理人情などは歯牙にもかけず、ただ、
その“畸形的な美の世界”においてのみ、評価しているようです。
「菅原伝授手習鑑」における非人間的な残忍なものについては、以下の如く。
(初期谷崎ならば、決して臆面も無く言えたはずがない、真っ当過ぎる正論)
詞章を素直に読めば、正に「忠義に凝って殺人鬼になった人間の言葉」でしかなく。
       ☆
寺子屋の源蔵は庄屋の所へ呼び付けられて菅秀才の首を打って出せと命ぜられ、悄然と我が家へ帰って来ると、手習をしている村の子供たちを見廻して、「いずれを見ても山家育ち、世話がいもなき役に立たず」と罵ったり、新参の小太郎を見付けて「忽ち面色やわらぎ、さてさて器量すぐれて気高い生れつき、公家高家の御子息というても恐らく恥かしからず、ハテそなたはよい子じゃなあ」と喜んだりするのであるが、これらの台詞(せりふ)は、忠義に凝って殺人鬼になった人間の言葉としか受け取れず、いかに主家のために眼が晦(くら)んでいるからとはいえ、見も知らぬ人の子を「お役に立て」ることに聊(いささ)かの良心の苛責も感じないというのは、ただ呆れるより外はない。

参考文献:『谷崎潤一郎随筆集』(岩波文庫)

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽カレー

お里澤市の像

2019_06_11_お里・沢市の像 「壺阪寺」の知名度を特段に上げてくれたのが、
 「壺坂観音霊験記」であろうことは論を俟(ま)たず、
 ぼくも昨秋の「中之島文楽」、昨年末「公演記録
 鑑賞会
」、今年の「初春文楽公演」のお里・
 沢市に引き寄せられて、壺阪山に登ってしまった
 口ですから。しかし、この“澤市開眼350年”に
 たじろぐのはまだ早く……いや、むしろ、まだましな
 部類で、他にも「お里観音」、「澤市忠魂碑」なる
 物まで建てられていますし、「お里沢市投身の谷
 との立て看板に至っては、やり過ぎ感が半端ない
 のですけれども、寺全体を覆うインド的な多幸感の
 せいか、あざとさに眉を顰めるより、馬鹿負けして、
まぁ、いいか。そんな気になるのは、「壺坂観音霊験記」の大団円にも似ていて。
初演は明治12年(1879)。2世・豊沢団平が作曲し、その妻・加古千賀が改訂。

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽史跡

魔除橋

平成15年(2003)、「壺阪寺開創1300年奉納歌舞伎2019_06_11_魔除橋
舞踊」が執り行われまして、壺坂霊験記「雅菊」
演じられたそうです。「壺阪寺」で観た記録映像で
知ったのですが、その折、歌舞伎役者らが会場と
なった同寺本堂に上がる途中で渡ったのが、朱塗りの
まよけばし」でした。作庭上の橋であり、河川等に
架かっている実用上の橋ではありません。礼堂の
前、三重塔の近く、仏伝図レリーフ「釈迦一代記」の
左端の辺りに設けられています。橋を渡ることで、
魔除けになるのでしょうか? 橋の袂に陣取る鬼の
人形の周囲には、使用済みと思われるお守りの
魔除面や大草鞋魔除面が山積みとなっていました。

参考記事:眼病封じのお寺 壺阪寺

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
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