混沌境内

勤務地の近くに在ることもあって、ちょくちょく
足を踏み入れているのですが、さほど広くも
ない境内のそこかしこに、様々な仕掛け(?)が
あって、飽きさせません。お初・徳兵衛の
ブロンズ像の他、シナントロープの干支など…
…以前から在ったのに、朝方、目に留まったの
が「南風俳句会」の句碑。石碑の左隣に同じ
3句と作者名を記したブロック大の説明板も
置かれていますが、無粋の極みというか、要らないでしょ。その左隣に在るのが
末社となる「難波(夕日)神明社」。元々は弘仁12年(821)、あの河原左大臣・
源融が祀ったことが始まり。明治42年(1909)の“北の大火”の翌年、合祀された
そうです。築地壁に次々と拡大していく煽情的なイラストと相まって、カオスな境内。
商売上手なのか、氏子に恵まれているのか、よくわからない勢いに当てられます。
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tag : 史跡