リベンジ葛井寺

後、近鉄バスに乗って、(羽曳野市)野々上から藤井寺
駅前に舞い戻りました。目指すは「葛井寺(ふじいでら)」
(藤井寺市藤井寺1-16-21)――地名として「藤井
寺」は残っていますが、寺名は変更されています。
葛井寺の創建は、百済の王族・王仁氏の渡来に遡り、
子孫が白猪連(むらじ)~葛井連と改姓。元々は、その
葛井氏の氏寺であったともされますが、神亀2年(725)、
聖武天皇の勅願で行基が創建。その際、春日仏師の
親子、稽分会・稽首勲が本尊となる「十一面千手
千眼観世音菩薩像」を造ったそうです。「千手観音」と
言うは易し、ですけれど、現実に千本の手を持つ仏像の
数は多くなく、葛井寺の本尊は馬鹿正直に千本の手を拵えた希少な作例となります。
正確に言えば、持物を持つ大手38本、小手1,001本(右500本、左501本)から
成り、計1,039本の脇手があります。しかも、律儀に一つひとつの掌に、1個ずつ
眼が描かれているといいますから、間違った方向に突っ走ったリアリズムに慄然。
この国宝・千手観音坐像は脱活乾漆造りで、やはり毎月18日のみの特別開扉です。
☆
“リアル千手観音”というイメージに惹かれ、昔(2011年7月18日)、葛井寺を
訪ねたことがありました。あの時も、葛井寺、野中寺……と同コースを辿りました。
ただし、当時はバスを用いず、藤井寺駅から野中寺まで歩いて往復。次の目的の
お寺までも行脚したものです。しかも、せっかくの秘仏公開の日だったというのに、
何に気後れしたのやら、本堂の宮殿には足を踏み入れず、他の参拝客を横目に、
ガラス越しにおろおろと、千手観音の影に眼を凝らすだけ。何をしたかったのか、
自分でもよくわかりません。今回、葛井寺へ足を向けるに際して、駅前から続く
アーケードの商店街「藤井寺一番街」には惚れ惚れとしました。商店街を流すうち、
いつの間にやら、葛井寺に着いています。西国三十三ヵ所観音霊場の第5番札所
(第6番が「壺阪寺」)。庶民的で 良いお寺さんですが、どうも“寺”というより、
“神社”のような匂いを強く感じてなりませんでした。いろいろと盛り沢山な趣向
(?)に目移りして、落ち着かなかったためか、千手観音も手数の多さだけが印象の
大部を占め、きちんと対峙できなかったしこりが……本堂宮殿内に入ったまでは一応
進歩。次回は本腰を入れて、「十一面千手千眼観世音菩薩像」に向かい合おう。
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