臍の王神社
大阪市北区の中津界隈を徘徊していて、以前から、気に
懸かっていた物件でして、「中国街道架道橋」の東側、
個人宅(大阪市北区中津1-7)の裏手の隅っこに、
石灯籠と石柱が建っており、その石柱に彫られた文字が
「宗教法人 臍の王神社 本宮」――。「宗教法人」と
あるだけで胡散臭く感じてしまうのは偏見ですけれども、
“臍の王”? どんな王様やねん? と突っ込みつつ、
調べてみると、“臍の緒”の掛詞のようですね。おそらく
大阪府大東市野崎2丁目に在る「臍の王神社」と同根で、
そちらでは、「創神 昭和三十七年 発願 喜多一二臍翁
夫妻 発祥地 大阪市大淀区中津」と説明されています。
使わなくなった乗り物や、放置されたままの植木類の
奥に隠されているようでしたから、もう使用されているまい
と推測していたのですが、この日(7月26日)、白衣に
紗の道服を着た高齢女性が家から出てきたのを見かけて、
まだ活動を行っているのかしら? と虚を突かれた思い。

懸かっていた物件でして、「中国街道架道橋」の東側、
個人宅(大阪市北区中津1-7)の裏手の隅っこに、
石灯籠と石柱が建っており、その石柱に彫られた文字が
「宗教法人 臍の王神社 本宮」――。「宗教法人」と
あるだけで胡散臭く感じてしまうのは偏見ですけれども、
“臍の王”? どんな王様やねん? と突っ込みつつ、
調べてみると、“臍の緒”の掛詞のようですね。おそらく
大阪府大東市野崎2丁目に在る「臍の王神社」と同根で、
そちらでは、「創神 昭和三十七年 発願 喜多一二臍翁
夫妻 発祥地 大阪市大淀区中津」と説明されています。
使わなくなった乗り物や、放置されたままの植木類の
奥に隠されているようでしたから、もう使用されているまい
と推測していたのですが、この日(7月26日)、白衣に
紗の道服を着た高齢女性が家から出てきたのを見かけて、
まだ活動を行っているのかしら? と虚を突かれた思い。
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tag : 史跡