井真成

……といった風に、受け取ってしまうことが多いかも
しれませんね。ところが、歴史とは書かれた物
なのだから、まだ書かれていない事柄については
変わるも変わらないもないのでありまして、例えば、
学生時代の歴史の授業などでは教わっていない
事物が出現している場合にこそ、歴史が変わったと
言えるのでしょう。平成16年(2004)、中国の古都、
西安市で発見された墓誌により、717年、阿倍
仲麻呂らと同時期に遣唐使船で派遣された青年の
存在が明らかとなりました。現在の大阪府藤井寺市
出身で、当時19歳の井(いの)真成(まなり)です。姓は
中国風に省略したもので、本来は“井上”姓、もしくは“葛井(ふじい)”ではないか
といわれています。玄宗皇帝に仕え、734年、唐で病没しました。井真成の墓誌は
考古学的に、中国で発見された最初の日本人の墓誌とされ、現存する石刻資料に
おいて、わが国の国号が「日本」と記された最古の例である点が非常に重要です。
藤井寺市では、公式キャラクターの「まなりくん」まで制作されていますよ。
スポンサーサイト