ラファエル前派の軌跡

「ラファエル前派の軌跡」展を鑑賞しました。入場前、
大勢の団体客が入り口の前に蝟集しているのを見て、
慌てて滑り込みましたけどねえ。後ろから直接、せき
立てられている訳でもないのに、落ち着きません。
しかし、“ラファエル前派(Pre-Rapahaelite)”―
―何となく、軟派なイメージが先行するだけで、美術史
好きでもないと、位置付けに困りそうですよねえ。
1848年、イギリスの画学生らを中心に結成された同盟
および運動、と言われてもなあ。美術評論家、ジョン・
ラスキン(1819~1900)の庇護を受けていた惰弱な
メンバーたちと決め付けるのは偏見でしょうが、幸いにも
ぼくは高階秀爾の『世紀末芸術』を読んでいたので、
助かりました。ラスキンとターナーに始まり、ウィリアム
・モリスと装飾芸術に至る展示の意図も理解できた
つもりですけれど、一般客にはどこまで伝わるものかしら? 「国立国際美術館」で
開催中の「ウィーン・モダン」と絡めれば、面白くなるのになあ、と勝手に苛々。
しかし、ラスキンに限った話ではないですが、「皆が分かち合えない芸術に何の
意味があろう」と、アカデミズムから離れ、民衆に寄り添おうとするも、畢竟、また別の
枠組みの中で享受されてしまう皮肉。社会条件からも、ポップ・アートには時期尚早。
☆
画像は、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「ムネーモシュネー(記憶の女神)」。
カメラ撮影を許可されていた絵画の中の1点です。ジョン・エヴァレット・ミレイ、
エドワード・バーン=ジョーンズらの作品にも触れ、直観したのは青臭さであり、
濃厚な文学趣味でした。そうして、嗚呼、それは日本の“白樺派”と同根のようにも
感じられ(現実の白樺派の作家連がラファエル前派を全否定したにもかかわらず)、
逆に、夏目漱石がラファエル前派を折につけ、紹介していたことと対照的でもあり。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術