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橋づくし

謡の本は近衛流。野郎帽子は若紫、悪所狂ひの身の果ては、かくなりゆくと定まりし。釈迦の教へもあることか。もとはと問へば、分別の、あのいたいけな貝殻に、一杯もなき蜆橋
 「短きものは、我々がこの世の住居、秋の日よ十九と二十八年の今日の今宵を限りにて、丸三年も馴染まいで、この災難に大江橋、アレ見や難波小橋から舟入橋の浜伝ひ、これまで来れば来るほどは冥途の道が近付く」
と嘆けば、
女も縋り寄り
「もうこの道が冥途か」
と見交はす顔も見えぬほど、落つる涙に堀川の橋も水にや、浸るらん
北へ歩めば、我が宿をひと目に見るも見返らず、子供の行方女房の哀れも胸に押し包み。南へ渡る橋柱、数も限らぬ家々を、如何に名付けて八軒屋、誰と伏見の下り舟、着かぬうちにと道急ぐ、この世を捨てゝ行く身には聞くも恐ろし天満橋

       ☆
心中天網島道行名残の橋づくしから引用しています。
曽根崎心中」冒頭の“大坂三十三番観音廻り”ほどの
レベルを期待していると、若干の肩透かし。予想外に、
橋の名前は頻出していないようです。「蜆川」(現在の
新地本通の北側)が無いのだから、蜆川に架かっていた橋も
当然、現在は見られません。堂島川に架かる「大江橋」より
東に「難波橋」は在りますが、その北で蜆川に架かっていたのが
難波小橋」なのでしょう。「堂島大橋」と「堂島小橋」の関係です。
舟入橋」(船入橋)は特定の橋なのか、総称なのか、不分明。
「堀川の橋」も「堀川橋」のことかと迷いますが、浜伝いとあり、
二人の逃走経路も考慮して、堂島川に近い「太平橋」辺り
ではないかと管見するところです。他にも掛詞はありますが、
天満橋」は“天魔”に通じ、極楽往生を妨げる存在が恐ろしい、と。

参考文献:『文楽床本集 国立文楽劇場 令和元年11月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
       近松門左衛門『曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島』(角川ソフィア文庫)
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テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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