船入橋

換金するため、各藩の蔵屋敷が建っていました。
堂島川や土佐堀川などから蔵屋敷まで、直接、
船で物産を搬入するための仕組みとして、川沿いの
屋敷内に、入堀が設けられており、「御船入」と
呼ばれていたそうです。入堀に通じる水路が川から
引かれているので、水路を跨ぐと同時に、船が潜る
橋が必要。総称として「船入橋」の名称があります。
橋長は4間から8間半(約7.2~5.3m)、幅員が2間
(約3.6m)程度。画像は大阪地方裁判所の南側
(「水晶橋」と「鉾流橋」の間)に設置された顕彰碑。
平成2年(1990)、同地に入堀跡が確認され、鍋島藩
蔵屋敷が在ったものと見なされています。例の近松
門左衛門『心中天の網島』、名残の橋に描かれた
「舟入橋」は、おそらく、ここの船入橋だろう、と。
☆
――以上、顕彰碑の文面を要約してみました。普段から目に留めてはいますが、
講座「なにわ八百八橋物語」で改めて注視しました。あの日は、午後から雨が
上がる予定が、まだ小雨がぱらついていて、女性ガイドの1人に傘を差し出されて
(傘は要らないのですけれども)、気まずさに、雨に濡れた橋々の魅力を語り。
スポンサーサイト