岸和田市の昭和橋
わが国において、元号が寺社名、学校
名等に使用されているパターンは多々
見受けられ、大阪人にとって“昭和橋”
と言えば、昭和7年(1932)、木津川の
分流点に架けられた「昭和橋」となり
ますけれど、岸和田市でも「昭和橋」を
発見しました。同市の堺町交差点の
南東角(宮本町)で目にしており、現在
暗渠のようになった古城川に架かって
いたようです。なお、“城”と言いましても、
いわゆる「岸和田城」とはまた別でして、
「岸和田古城」なる物が建っていた模様。
今は存在しない城、存在しない川……。
(ニーチェが口を極めて歴史主義を痛罵したのは、それが
ニヒリズムの温床であるからだと、非常によくわかります)
参考記事:大阪市 ― 昭和橋

名等に使用されているパターンは多々
見受けられ、大阪人にとって“昭和橋”
と言えば、昭和7年(1932)、木津川の
分流点に架けられた「昭和橋」となり
ますけれど、岸和田市でも「昭和橋」を
発見しました。同市の堺町交差点の
南東角(宮本町)で目にしており、現在
暗渠のようになった古城川に架かって
いたようです。なお、“城”と言いましても、
いわゆる「岸和田城」とはまた別でして、
「岸和田古城」なる物が建っていた模様。
今は存在しない城、存在しない川……。
(ニーチェが口を極めて歴史主義を痛罵したのは、それが
ニヒリズムの温床であるからだと、非常によくわかります)
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