元櫻橋南詰
大阪市の“北新地”は元を辿れば、ミナミに対するキタの
新地という意味ではなく、堂島新地に対して、北側に在る
曽根崎新地を指していたようです。堂島と曽根崎新地を
分かつのが、かつて流れていた「蜆川(=曽根崎川)」
でして、明治42年(1909)の“北の大火”以降、埋め立て
られてしまったことから、架かっていた橋も当然失われて
しまいました。Wikipedia によると、曽根崎川に架かって
いた橋は、上流から順に、「難波小橋」、「蜆橋」(御堂筋)、
「曽根崎橋」、「桜橋」 (四つ橋筋)、「助成橋」、「緑橋」、
「梅田橋」、「浄正橋」(なにわ筋)、「汐津橋」、「堂島小橋」
(あみだ池筋)――とされています。画像は1月24日(金)、
四つ橋筋を南下して、「中之島フェスティバルタワー」へ
向かう途上で撮影しました。右手が南、前方が東。つまり、
蜆川の跡=新地本通でなく、新地本通の北側を流れて
いた蜆川の跡にビルが建っているところがポイントです。
近くに、「堂島薬師堂」(in 「堂島アバンザ」)も建っていますよ。

新地という意味ではなく、堂島新地に対して、北側に在る
曽根崎新地を指していたようです。堂島と曽根崎新地を
分かつのが、かつて流れていた「蜆川(=曽根崎川)」
でして、明治42年(1909)の“北の大火”以降、埋め立て
られてしまったことから、架かっていた橋も当然失われて
しまいました。Wikipedia によると、曽根崎川に架かって
いた橋は、上流から順に、「難波小橋」、「蜆橋」(御堂筋)、
「曽根崎橋」、「桜橋」 (四つ橋筋)、「助成橋」、「緑橋」、
「梅田橋」、「浄正橋」(なにわ筋)、「汐津橋」、「堂島小橋」
(あみだ池筋)――とされています。画像は1月24日(金)、
四つ橋筋を南下して、「中之島フェスティバルタワー」へ
向かう途上で撮影しました。右手が南、前方が東。つまり、
蜆川の跡=新地本通でなく、新地本通の北側を流れて
いた蜆川の跡にビルが建っているところがポイントです。
近くに、「堂島薬師堂」(in 「堂島アバンザ」)も建っていますよ。
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